ゴミ捨て場

「あの、奴隷スクラヴォスとは言いましたが、叶哉さんの思っているものとは違うと思います。重労働とかそういうものではないので、いえ大変ではあるんですが」


「全然安心できないんですけど」


 僕はなんだか落ち着かなくて視線を部屋の中に滑らせた。冒険者ギルドって言っていたけどやっぱり元はコーヒーショップがバーのように見える。壁はところどころ剥がれているのを強引に直した跡が残っている。ソファはぼろぼろだけど、ミオさんが座っている椅子は新品のように光沢を放っているし、カウンター越しに見える食器もきれいなものだ。


 古いものが少しずつ新しいものに変わっているまさにその途中という感じがする。まだこのギルドは立ち上がったばかりで、その初めの奴隷スクラヴォスとして僕がここに連れてこられたのだ。


「やっぱり珍しいんですか?」


 僕が不躾ぶしつけに見ていたからだろうか、ミオさんが不安そうに僕に聞いた。


「いえ、外と比べればきれいですし、変ってことはないですよ」


「やっぱり人間ヒューマンには違和感があるみたいですよ」


 僕の言葉を聞いてミオさんは僕じゃなく、寝転んだままのロウさんを見て言っている。


「んなこと言ったってこれが限界だったんだよ。うちのギルドが貧乏なことくらいお前だってわかってるだろ」


「せっかく叶哉さんが来たんですし、もう少し改善しましょう。本人の意見が聞けるんですから」


「あの、別に嫌とかそういうことはないですから。見慣れないだけで」


 僕だけのためにいろいろやってもらったら逆に悪いと思ってしまう。なんだか本当に大改装が始まってしまいそうで、僕は慌てて話題を変える。


「あ、あの。それで僕はいったい何をすればいいんでしょう?」


「お、意外にやる気だな」


「そういうわけでもないんですけど」


 そもそも初めて来た川越で急に亜人プルシオスに捕まえられたところなんだからやる気も何もあったものじゃない。とりあえず今僕がわかっていることは目の前にいる二人が僕に対して危害を加えようとはしていないってことくらいなのだ。


「ここ川越では叶哉さんのような人間ヒューマンは貴重な戦力なんです」


「戦力、ですか?」


 さっき逃げ回ってきたところだったけど、あの人たちが敵だってことはないだろう。もしも僕を追いかけてきたのならロウさんの一声で諦めて帰ったりはしないだろう。ということは、僕がまだ見たことのないものを相手にしなきゃいけないってことなのだ。


「はい。私たちのような冒険者ギルドは川越の地下に広がる迷宮ダンジョンへ赴き、奴隷スクラヴォス死霊ファントムという危険な敵と戦わせているのです」


 聞き慣れない言葉が続いて、僕の頭はもうパンクしそうだった。川越って元々は普通に日本の都市だったはずなのに地下迷宮ができてて、しかもその中には変な化け物までいるらしい。そんなこと教科書には載ってなかったはずだ。


 ミオさんは立ち上がってギルドの入り口にふらりと歩いていく。川越は太陽がさんさんと輝いているけど、入り組んだ路地の中にあるギルドまではほとんど届いては来てくれない。


「さっき追われていたのは他のギルドの方です。川越に迷い込んだ人間ヒューマン奴隷スクラヴォスにするのは冒険者ギルドの最重要事項なので」


 ミオさんがこちらに振り返る。その表情が硬くなっているのが見えて、僕は少しほっとした。僕だけじゃなくてミオさんも緊張しているのだ。初めてここに人間を迎え入れたのだから。


「ですから少し荒っぽくなってしまったのは私たちの」


「ただいまっ!」


「にゃーっ!」


 ミオさんの頬に白い手が伸びてくる。さっき聞いた死霊ファントムとかいうやつなのかと思ったけど、どうやら違ったらしい。雪みたいに白い肌の女性はいたずらっぽく笑ったままギルドの中に入ってくる。曇りのない白い肌に青白い髪、二十歳過ぎくらいのきれいな女性だった。でも白い浴衣のような服に氷がまとわりついている。なんていうか目のやり場に困る。


「戻ったぞ」


「普通に帰ってきてください!」


 ミオさんが今度は入ってきたポニーテールの女性を睨む。頬に鱗のようなものが見えてすぐに亜人プルシオスだとわかった。遠目にもわかりそうな派手なダンダラ羽織。新選組が着ていたものと同じだ。腰に刀を提げていてまさに戦ってきたという風貌だった。


 ミオさんは元いた椅子に腰かけると触れられた頬を擦りながらため息をついた。自然と一番入り口に近い僕に視線が集まる。


 白い浴衣の女性は僕の方をじっと見つめている。長いまつ毛に大きな瞳。それから豊満な体つき。それが薄い布を身にまとっただけで僕を見つめているのだ。なんて言葉を出せばいいのかわからなくなってしまう。しかし動揺している僕とは違って女性の方はとぼけた声でこう言った。


「しらないひとがいる」


「えぇ、先ほど保護した叶哉さんですよ」


 保護っていうか奴隷契約をさせられたんですけどね。


「かにゃおにいちゃん。ひさめおぼえた」


 舌っ足らずな声で氷雨、と名乗った女性はにっこりと笑う。僕より年上に見えるのにこの純真さはなんなんだろう。


「ひさめ、おきゃくさんにこーひーいれる」


 そう言って氷雨さん、もとい氷雨ちゃんはカウンターの方に小走りで行ってしまう。僕はよくわからないままその姿を見送るしかないけど、きっと彼女も亜人プルシオスなんだろうということだけはわかった。


雪女スノーホワイトはそういう種族だ。あれでまだ幼いから気にするな」


 頭に浮かんだ僕の疑問を読み取ったように背中から声がした。さっきのうろこの女性じゃない。まだギルドのメンバーはいたみたいだ。


 振り返ってみると、今度こそ人間の女性に見えた。歳は氷雨ちゃんと変わらないように見えるけど、もう外見だけで判断できないことはわかっている。金色の短髪は癖が強いのか好き放題に荒れているけど、ロウさんと違って体は毛に覆われていない。褐色の肌は日焼けした人間と同じように見える。


 丈の短いタンクトップにカンフーパンツみたいな光沢のあるボトム。氷雨ちゃんとは違った意味で目のやり場に困るような格好で、僕は視線を横に動かすことしかできなかった。


「私を人間ヒューマンだと思ったか?」


「はい。でも違うんですね?」


 ここにいる中では一番人間に近い外見をしているけど、やっぱり違ったらしい。そもそもミオさんは僕が初めての奴隷スクラヴォスと言っていたんだから当然なんだけど。


「私は大猿コングのエレナだ。訓練士ドクトルと、それから興行師ラニスタも兼任ということになっている。仕事はないがな」


「エレナさんたちはさっき話した迷宮ダンジョンに向かう訓練士ドクトルのお仕事をお願いしているんです」


 ミオさんがそう言って教えてくれる。つまり今帰ってきたってことはその迷宮ダンジョンから帰ってきたってことらしい。


「そういうことだ。今後君にも同行してもらうことになると思う」


 エレナさんはそう言うと僕の向かいにあるソファに寝ころんでいたロウさんは片手で掴み上げて床に放り投げた。


「痛てぇな、おい!」


「いつまでも一人で占領しているからだ」


 女性とはいえロウさんだって人間の大人と変わらない身長がある。それを片手で持ち上げるなんてやっぱりこの人も亜人プルシオスなんだな。どんどんと新しい人たちに囲まれて僕はようやく自分が川越に来たということを理解できそうな気がしていた。

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