奴隷契約は突然に

「いたぞ! 人間ヒューマンだ!」


 そりゃ僕は人間だけど、と言おうと振り返って、僕の頭はまた混乱させられる。駅を挟んで反対側にある西口。そこからたくさんの人が一斉に走ってくる。今までどこにいたのかわからないけど、三十人はいる。そしてその全員が明らかに人間じゃない部分を持っていた。


「え、なに? 仮装大会?」


 犬、猫、ウサギ。頭の上に生えた耳。腕や足が毛で覆われていたり翼になったりしている。コスプレしてはちょっと気合いが入り過ぎているような。


「こっちだ!」


 東口の方でもビルの陰から同じようなコスプレをした人たちが続々と集まってきている。みんなどこか殺気立った雰囲気で川越に来た僕を歓迎しているようには思えない。地図から消えた後の川越がどうなっているかなんて教科書に書いているはずもない。


「とにかく逃げよう!」


 あまりコスプレの人がいない方角を目指して僕は走り出す。元々運動は得意じゃない。受験勉強のせいでますますなまっている。陸橋を駆け下りて細い路地に入る頃にはもうへとへとだった。


 追いかけてくる姿はどんどん近づいてきている。明らかに人間じゃない速さの人もいる。もうこれはダメみたいだ。諦めかけた僕の腕を柔らかな手がつかんだ。


「こっちです!」


「え!?」


 細い腕が僕を引っ張る。ほとんど飛んでいるような感覚で路地の中を連れていかれる。僕より背の低い女の子に見えるけど、きちんと整えられたスーツ姿で、でも頭には猫みたいな耳が生えている。


 誰、と聞く間もないまま風が頬を撫でていくのをただ感じることしかできなかった。細い通りを何度も曲がっているせいで、土地勘のない僕には今どこを走っているのかなんてまったくわからない。ただ猫耳の女の子はちゃんと目的地があったようで、周りと比べると少しだけましな一軒のお店に僕を連れ込んだ。


 元々はカフェかバーだったみたいだ。カウンターにいくつかの椅子が並んでいて、空いたスペースにはテーブルセットとソファが置かれている。


「えっと、ここは?」


「連れてきましたよ!」


 僕の質問を猫耳の女の子は無視して、僕を背もたれの破れたソファに座らせた。向かいにはまた別の人が座っている。


「よし、でかした」


 鋭い犬歯を光らせて、その人は指を鳴らす。今度は犬みたいな耳を生やした銀髪の人だった。ハスキーな声に男の人かと思ったけど、鍛えているけど細い手足は女の人にも見えた。鋭く切れた目が僕を見ていると狼に狙われているような気分がする。こっちは袖の短い上下でかなり軽装をしている。毛で覆われているんだからこれが普通なのかもしれない。


「ロウ! 早くしてください!」


 ロウ、と呼ばれた犬耳の人は慌てて持っていた紙を開いて読み上げ始める。


なんじ、その身を賭して死霊ファントムと戦い、川越の平和を、あぁ、めんどくせぇ!」


 ロウさんはまだ半分もいっていなさそうな紙を乱暴に放り投げると、僕のあごに指で触れた。それだけでなんとなく心臓が跳ねる。


「お前、名前は?」


「み、御白木叶哉みしらぎかなや、です」


「よし、叶哉。お前は誓うか?」


「えっと、何を?」


 そんなこと急に聞かれてもわからない。さっきまで読んでいた紙の内容についてなんだろうけど、全部は聞いていない。そもそもそんなこと聞かれるなんて思っていなかったからロウさんが言っていた部分すらよく覚えていなかった。川越の平和がどうとかって。


「いいから誓ってください!」


「わ、わかりました。誓います!」


 猫耳の女の子に急かされて、僕は言われるがままに叫んだ。内容なんてまったく聞いていないのに。


「ミオ、お前なぁ」


 ミオ、と呼ばれた猫耳の女の子は自分でも強引すぎると思ったのか、顔を背けながら頬を膨らませている。


「緊急事態だったんですから、しかたないでしょう」


「まぁ、それもそうか。とにかく契約成立だな」


 理解の追いつかない僕をソファに座らせたまま、ロウさんは入り口に向かうと、とても人間とは思えない大声で叫んだ。


「新しい人間はこのゴミ捨て場トラッシュドリフトのもんだ! さっさと諦めな!」


 僕は全然気がついてなかったけど、どうやら追いかけてきていた人たちはすぐそこまで来ていたみたいだった。入り口辺りにまで集まっていた人たちがぞろぞろと肩を落として帰っていく。今の契約っていったいどんな意味があったんだろう?


「なんとかなりましたね」


 ミオさんはやっと落ち着けたという風に奥にある椅子に腰かけた。ほっとして息を吐いた姿はさっきまでの鬼気迫る表情とは変わって穏やかな目になっている。ロウさんもさっきまで座っていたソファに寝転がってあくびをしている。二人とも一仕事終えたって感じになっているんだけど、僕はどうすればいいんだろう?


「あのー」


「はい、なんでしょう?」


 控えめに切り出した僕にミオさんがすぐ答えてくれる。


「僕、何の契約をさせられたんですか?」


「あー、説明は面倒だから頼んだ」


「私がやるんですか? こういうのはギルドマスターの務めだといつも言ってるのに」


 ミオさんはソファに横になったまま手を振るロウさんに溜息をついて肩を落とした。なんだか苦労しているってことだけは僕にも伝わってくる。それにギルドって言ってたけどどう見ても空き家になったお店に勝手に住んでいるようにしか見えない。ギルドっていうのは商業組合みたいなもののはずだけどいったい何をやっているんだろう。


「さきほど叶哉さんに契約いただいたのは私たちのギルドとのスクラヴォス、奴隷契約です」


「奴隷契約!?」


 そんなことまったく聞いてない。確かに思い出してみると、身を賭して何かと戦うみたいなことを言っていたような気もするけど、だからって奴隷だなんて。


「我々亜人プルシオスは川越に迷い込んだ人間ヒューマン奴隷スクラヴォスとして管理しています。ここはその冒険者ギルドの一つ、ゴミ捨て場トラッシュドリフトです」


「そういうことだ。ゴミ捨て場トラッシュドリフトにようこそー」


 ロウさんはそう言いながらもまったくソファから起き上がる気配すら見せないままで気だるそうにだらけている。この人がギルドマスターなら不安も倍増されるような気分だ。


「歓迎がすっごい雑っ!」


 もうちょっと言い方とか態度とかあると思うんだけどな。そんなことを言おうものならどんな仕打ちが待っているかわからない。黙って座っていると僕の代わりにミオさんが横になったままのロウさんの頭をはたいた。


「もう少しまともにしてください。うちのギルドで初めての奴隷スクラヴォスなんですよ」


「いいじゃねぇかよ。あと奴隷スクラヴォス呼びはなしだ。叶哉でいいよな?」


「え、あっ、はい」


 なんだか不思議な感じがする。強引に連れてはこられたけど、追いかけてきた他の亜人プルシオスを追い払ってくれたみたいだったし、もしかしたら僕を守ってくれたのかもしれない。


「俺は人狼ウェアウルフのロウ。ゴミ捨て場トラッシュドリフトのギルドマスターだ。といってもそんないいもんじゃないが」


「私は猫妖精ケットシーのミオです。一応役職は調査士エピセオリテなんですが。お気軽にミオとお呼びくださいね」


 そう言われて僕は二人の頭についた耳を見る。なるほど確かに狼と猫みたいだ。川越には僕の知らない亜人プルシオスが住んでいたけど、この二人なら信じられそうだ。


 こうして僕の川越での奴隷生活が始まりを告げたのだった。

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