20.敗走

海王の言葉が雷のようにこだまする。アスコラクが鎌でツェンリャの首を刈り取る隙を海王の剣は見逃さなかった。アスコラクの急所を狙ってくる。アスコラクはこれを反射的に上に逃げてかわす。海中の中で繰り広げられる縦横無尽で一進一退の中で、アスコラクは見切りをつける事を検討し始めた。今回の標的を後回しにして他の依頼者を探すのだ。女姿のアスコラクでは、力負けする。いや、力では男の姿になったとしても相手が上手だ。海王は力だけでなく、剣技にも余裕があった。剣圧に弾かれて、アスコラクは宮殿の床に向かって急降下し、そのまま床に叩きつけられる。


「この後に及んで、何をごちゃごちゃと考えている? 次は無いぞ」


アスコラクは息を切らして、剣を支えにして立ち上がる。食いしばった歯の隙間から、血が流れ出た。海王が容赦なくアスコラクに向かって剣を突きたてようとする。アスコラクは思考回路を、自ら遮断し、体が動くままに任せた。海王が近づくわずかな水圧を感じた時、アスコラクの姿が、ふらり、と揺れた。その残像を海王の剣が突き刺す。アスコラクが剣を残したまま横に跳んでいたのだ。海王の剣の切っ先が、床に刺さる。


「何?」


アスコラクは男の姿をとり、拳を強く握りしめて振りかぶっていた。海王の防御が、剣に一瞬気を取られたために緩んだ。そこにアスコラクは渾身の拳を叩きこむ。海王の頬に、アスコラクの拳が入り、海王の顔が歪み、体ごと吹き飛んだ。海王の体は太い柱を一本砕いてその瓦礫に埋まった。しかし、海王は頬をさすりながらもすぐに瓦礫の中から立ち上がる。ガラガラと瓦礫が崩れる音がした。


「両性具有とはな。お前には飽きが来ぬ」


笑いながら剣の切っ先をアスコラクに向ける海王。これに対してもはや立っていることがやっとのアスコラク。よく見れば、海王の肌はアスコラクに殴られたところだけ、白い鱗に変化している。どうやら、防御が緩んだと見せかけて、強固な鱗の部分をわざと殴らせたようだ。


「化け物が」


アスコラクは海中に血反吐を吐き捨てる。


「どちらのことかな?」


海王は笑みを浮かべて再び剣を構えた。


(次は、確実にない。ならば……)


アスコラクは満身創痍の状態で翼を広げた。


「黒飛天だと⁉」


海王の目が大きく見開かれる。まるで、珍しい玩具を見つけた子供のような目だった。アスコラクは床を蹴って急上昇し始めた。アスコラクの翼は、異界と異界を行き来するためにある。ここは海の宮殿と言う異界。海王が支配する異世界だ。この海という場所が、海王に味方しているのは間違いない。そして、海王はおそらくこの海からは出られない。ならば、逃げることは可能であり、それが最善策だった。

 これにはアスコラクと対峙していた海王も、意表を突かれたように遅れてアスコラクを追ってきた。傷口を押さえながらでは追いつかれる。アスコラクは翼でひたすら異界の境界を目指した。すると海王は本性を表し、まさしく白い巨大な龍の姿で追い討ちをかけてきた。龍の吐く氷の礫がアスコラクの翼に直撃をくらって体制を崩しても、アスコラクは構わずに飛んだ。海の中に大きな黒い羽がゆっくりと沈んでいく。

 アスコラクがしばらく行くと細かい気泡に包まれた。アスコラクは翼を大きく羽ばたかせ、より遠くへと願いながら気泡の塊に頭から突っ込んだ。その後のことをアスコラクが知ったのは、しばらく経ってからだった。

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