24.晴天に響く

 アスコラクはただそう言い残してその場をあとにした。地面に伏していた黒いアスコラクの体は、消えていた。おそらくアスコラクが地上に降り立った時に、白いアスコラクの方に存在する権利が移ったのだろう。このアトラジスタで天使の力は使えない。しかしアスコラクに仕える者がその命令において魂を連れ帰れば、アスコラクが首を狩った場合と同じ扱いになる。イネイはスカリィが泣き止むのを待った。そして満月が沈みかけた頃、そっとスカリィの腕からフィラソフを譲り受けた。イネイは蝶の羽を広げ、フィラソフを抱えながら上昇した。地上には大きく不恰好な怪物の姿をしたスカリィが残された。彼女は「もう元の姿には戻れないし戻るつもりもない」と言っていた。想像以上に、彼女は獣に侵食されていたのだ。それをここまで食い止めていたのは、フィラソフの存在かもしれない。


「月の涙は赤いんだ。赤い石から採れる」


フィラソフは唐突に話し始めた。その瞳は赤い大地を見つめていた。イネイは弾かれたように眼下に広がる赤い大地を見た。


「もしかして、このアトラジスタが全部?」


イネイは背中が粟立つのを感じた。アスコラクは珍しく一つの間違いをしていた。アスコラクは、アトラジスタではもう「月の涙」が採れないとしていたが、それは違うのだ。人々は「月の涙」の有害性に気づき、自分たちの意志で採掘対象を「燃える石」へと変えたのである。


「あれは彼女なのか?」


虚ろな目で心身を病んだフィラソフは脈絡を無視して言った。彼の目は確かに虚ろではあるが、赤い大地の小さな点になったスカリィを見つめていた。イネイはスカリィもまた、空の一点を見つめていると分かった。


「そうよ」


イネイは眉をひそめてフィラソフに言い聞かせた。


「彼女は幸せだったのか?」


「そうよ」


イネイは声を詰まらせた。


「なら、僕も幸せだ」


◆ ◆ ◆


 満月の夜が明けたアトラジスタは賑やかだった。天使が無事に処刑されたのだ。ヴォルガチが謡い継ぐように昼と夜との翼を持った者だ。ドゥーフの治める土地で正体を晒し、檻の中で弱っていたところを捕まえられた。その正体は様々な獣が混じった姿をしていたと言う。

 一人の女性によって西の石の都からもたらされたというヴォルガチは、今日もアトラジスタの晴天に響く。


―――首狩天使、その姿は美しく、その正体は醜悪なり

―――月の涙と共に赤き大地に落とされた天使は死にたもう

―――民を守りしは黒き我らが神、ドゥーフ

―――見事ドゥーフは我らを無慈悲な主より守りたもう……


その歌声は時に真実を語り、そのほとんどが真実を語らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る