10.自己犠牲とベール

スカリィの答えは、アスコラクの質問を取り違えていた。アスコラクが「何なのだ?」ときいたのは、スカリィの姿そのものではなかった。目の色が他のアトラジスタの民とは異なっているという点についてである。確かにスカリィの風貌は様々な生物が寄せ集められたような奇妙な格好をしているが、標的以外の存在がどのような姿であるかはアスコラクには興味がなかった。しかし、次のスカリィの言葉にアスコラクは気分を変えた。


「フィラソフ様の願いと幸せだけを、私は望んでいるのです。彼の幸せのためなら、私は何でも出来るのです」


スカリィが口にした名前にアスコラクは聞き覚えがあった。


フィラソフ。


それが今回の首狩の対象者の名前だ。


「そのフィラソフがお前をこのような姿にしたのか?」


「はい。彼は言いました。天使にどうしても会い、共にありたいと。天使は全ての生物を越えた存在であるとも。だから全ての生物の要素を含んでいれば、天使を作ることが出来るはずだ、それが論理だとも」


スカリィは取り乱すこともなく、言葉に詰まることもなく、静かに語った。自分のこの状態を受け入れているという印象を受ける。そして何よりスカリィ自身の言葉ではなかったからこそ、澱みなくスカリィは話すことができたのだ。その言葉には、スカリィのフィラソフに対する尊敬と愛情が溢れている。


「そんなの、めちゃくちゃよ! ここも、その人も。スカリィ、貴女はそんな人の幸せを願っているの? 自分を犠牲にしてまで?」


イネイが泣きそうな顔でスカリィに噛み付いている。天使であるアスコラクの立場から見れば、イネイとスカリィの立場はよく似ている。二人とも自分を犠牲にして、その犠牲を許す存在に尽くしている。アスコラクの視界の端に、ベールが揺れている。アスコラクはそれを見つめたまま、いくつかの単語を繰り返した。


(異形信仰。混ざった女。フィラソフの論理。赤い大地……)


何かが足りない。そう思ったアスコラクは、イネイの首根っこを強く引っ張った。イネイは後ろに倒れそうになり、猫のような鳴き声をイネイは発するが、アスコラクは構わずに命じた。


「ここを調べろ」


イネイにとってアスコラクの命令は絶対だ。それほどまでに上下関係がはっきりしている。しかしアスコラクの半身と平等な友人関係を結んでいるイネイは、そのことに無頓着だ。


「ここって、スカリィの家?」


イネイは主従関係としてはくだけた言い方をする。先ほど襟が首に食い込んで苦しかったのか、首を抑えたイネイは首を抑えて軽く咳き込んだ。


「このアトラジスタだ。行け」

「ちょっと、今から? 私はまだスカリィと話が……!」


アスコラクは抵抗を口にするイネイの背を強く押してスカリィの家から追い出した。その後すぐにスカリィの家の玄関ドアを閉めて鍵をかける。しばらく「開けてよ!」とか「何を調べればいいの?」とか、激しいノックの音と共に騒いでいたイネイだったが、アスコラクが無視していると分かると静かになった。その頃合いを見計らって、アスコラクはおびえるような顔のスカリィに向き合った。


「フィラソフはどこにいる? アトラジスタの教会にいるはずだが、あそこには人の気配がなかった」


アスコラクにとって思い出したくもない出来事だったが、口調は相変わらず淡々としている。


「彼は、天使様に会いたがっていました」


スカリィは虎の手と肥大した蛙の手を黒い十字架の前で組んだ。どうやら関節は人間と同じ動きをするらしい。


「私もその男に用がある」


「今はまだ出来ません」


アスコラクは小さく顎を引いた。「今は」という事は、いずれアスコラクとフィラソフは出会うことになるという事だ。そして「出来ません」とスカリィが言うからには、フィラソフに会う方法を、スカリィは知っているという事だ。ならば、焦ることはないだろうとアスコラクは思った。フィラソフの願望はアスコラクに会う事であり、スカリィはその願望を叶えるために存在しているからだ。アスコラクはふと、視線をベールの端に寄せた。


「では、このベールについてきこうか」


何となく会話に齟齬があったが、アスコラクはあえて追求せずに話題を変えた。

アスコラクはベールの裾を摘みあげた。ベールの裾には絵が規則正しく並んでいる。同じ絵が繰り返し使われている。これは「絵文字」に多く見られる特徴だ。アスコラクはこのベールを見た時からこの図の羅列が絵文字だと確信していた。その上での質問だった。多くの人間が絵文字からアルファベットや漢字になったと誤解している。先ほどのイネイのように、文化は進化するという間違った認識を持っているとこの誤解を招きやすい。しかし無文字社会・無文字の国は世界中に存在している。一度持った文字を、放棄した国も珍しくはないのである。


「これは……」


スカリィが伏し目がちに語り始めた。

必要以上に暖められた部屋の中にある火鉢の中で、「燃える石」が何度も爆ぜていた。

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