11.曾祖母

 イネイは明け方の屋外に放り出された。朝日が眩しい。もう、夜が明けていたのだ。スカリィの家の壁にもたれて何から調べればいいのか途方にくれる。今のイネイは人間の姿をしている。アスコラク同様、イネイもこの間は他人の記憶に残らない。昨日の市場で聞き込みをすれば、何か情報が得られるかもしれない、とイネイがため息をついて白い土壁に手を置くと、ひび割れた壁の向こうに青みがかった何かが見えた。


(何かしら?)


イネイは白壁のひびの間に指をねじ込んだ。空き家となって長い年月が経っているため、スカリィの隣の家は朽ちかけていた。白壁は思ったより粘土質だったが、程なくして大きな塊が剥がれ落ちた。するとそこには鮮やかな青い壁があった。白い壁はこの青い壁の上に厚く塗り固められているのだ。イネイが周囲の廃屋も同じように白い壁をはがすと、同じように白い壁の下に青い壁が現れた。中には天使の姿を青い壁に彫りこんだものもあった。


(フィラソフが造ったのかしら?)


フィラソフは天使に会いたがっていたと言う。それならば、一番身近に天使をおいて置こうとアトラジスタの信仰に反して家に天使を彫ったと考えられる。この土地の信仰に反していたからこそ、白壁を上塗りして隠す必要もあったに違いない。しかしスカリィの家が属する集落は皆青い壁に白い壁を上塗りしている。フィラソフの考え方に賛同する人々の集落だったのだろうか。イネイは壁を前に首を傾げる。

 そんな時、アトラジスタの多くの男たちが家から出てきたのが見えた。その男たちの多くは鶴嘴やスコップを手にしている。皆黒く汚れた作業着のような格好をしていた。この蒸し暑い中だというのに、肌の露出は少ない。洗濯しても汚れが落ちなかったであろう布を、汗が目に入らないように防ぐ目的で頭に巻いていた。表情は暗い。まるでこれから仕事に行くと言うよりも、今まで徹夜で作業をしてきた帰りのようだった。

 集団だろうが個人だろうが、人間が行動を起こすには何か目的があることを、イネイは身を持って知っている。イネイはその男たちを尾行する事にした。


◆ ◆ ◆


「このベールは曾祖母の代から伝わったものと聞いています。女の系譜を刺繍する際に記号で表します」


スカリィはアスコラクの問いかけに素直に応じた。もうすぐ夜が明ける。夜になっても気温と湿度が高かったが、スカリィは蛙の左手のために火鉢をあてていた。


「お前の曾祖母はこの町の人間ではなかったのだろう?」


「はい、西から来たときいています。曾祖母の名は、プラビェルとなっています。古くからこの地にいる人々のベールには布を一周以上刺繍している物もあります」


これで、アスコラクの一つ目の疑問に説明がついた。アトラジスタの人々の目は緑色がかった茶色だ。しかしイネイのように西から来た人間の血を引いているのならば、目の色はイネイと同じように青い色をしていても不思議ではない。目の色が違えば髪の毛の色も違うと予想されるが、ベールで隠れているためアトラジスタの女性がどのような髪の色かは確認できなかった。しかし男たちの髪の色が黒くうねっていたことを考えれば、女達の髪の色も黒くうねっているのだろう。


「そのフィラソフはアトラジスタの人間か?」


「分かりません」


スカリィは消え入りそうに、申し訳なさそうに首を振った。アスコラクはそんなスカリィの反応を無視して質問を重ねた。


「髪や目の色は?」


「おそらく髪は銀だったでしょう。瞳は確か青だったと思います」


歯切れが悪い。しかもいずれの回答も過去形だったことが気にかかった。この答え方やフィラソフの所在についてはかたくなに秘密を守ろうとする態度から、アスコラクは質問を変える事にした。収穫はあった。スカリィの記憶が正しければ、フィラソフもアトラジスタの血統ではないということだ。


「この集落はお前の曾祖母のような外部から来た人間の集まりか?」


「いえ、そういうわけではないと聞いています」


「ではこのベールはこの町はずれの集落独特の物ではないのだな?」


「はい、おそらく」


外見は黒いただの布だ。他のアトラジスタの女達が身につけているものと変わりなく見える。黒い布の縁に模様が施されているが、他の女のベールの中にも幾何学文様を連ねたものが施されていた。おそらく同じ黒いベールでも家の印として継承しているのだ。だからこそ同じベールでも誰の物なのか分かるし、目視だけでどの家の人間かが分かる。そしてスカリィも強調するように、女性の血筋によって継承されることが重要なのだ。女性専用の身分証明書のようなものだ。だからこそ、集落単位のレベルでベールについて質問すると、スカリィの答えは再び曖昧になった。スカリィの曾祖母は西から来た。しかしこの集落はアトラジスタの外部から来た人間が作った集落ではない。つまり、アトラジスタの人間とその外部の人間が混交して暮らしていたのがこの集落であったことになる。


(信仰、か)

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