9.神と望み

「ここもアトラジスタです。ただ、打ち捨てられた集落として今では誰も近づきません」


もう安心だと言うように、スカリィは足を止めてアスコラクを下ろした。スカリィの家は土壁の大きな家だった。家の中に入ると、外見よりもさらに広い空間があって驚く。それは家具が少ないせいだと気付く。無人だった家の中は暗かったが、三人とも夜目がきいたため、その暗さは問題にならなかった。それでもスカリィは慌てた様子で「燃える石」をランプに入れて天井からつるした。

 イネイはアスコラクが身につけるベールのせいで隠れられない事に頬を膨らませ、自分の翅に包まった。すると小さな蕾のようだったイネイが膨らんで、子どもが蹲ったほどの大きさまでになった。蕾が花咲くように翅が消えると、人間の姿になったイネイが現れた。


「何てこと⁉」


スカリィは両手で口を覆って、一歩後退した。その驚愕が今の現象だけにもたらされたのではないと察したアスコラクは、おもむろに口を開いた。


「イネイは私の物ではない。私の半身の下僕だ」


 アスコラクは淡々と説明した。

 首狩天使に首を狩られる人間は、一般的な生き方から逸脱した人間だ。故にその死も一般的なものとは異なり、首狩天使に使役される。イネイの首を切ったのはアスコラクではなく処刑人だった。しかしイネイはアスコラクの半身である悪魔に使役されることを選んだ。その上、悪魔のアスコラクに会いたいがために天使のアスコラクにまで付きまとっている。こうして天使と使魔という奇妙な組み合わせが出来上がったのだ。


「それで力が……」


スカリィが納得するように頷いた。このことで、スカリィがアスコラクの力の消失やイネイに力が満ちていることに関して、何か知っていると分かった。


「今度はお前の番だ、スカリィ。お前が知っていることを話してもらう」


牢での一件が嘘のように、アスコラクの声に冷徹さと厳しさが戻った。ベールのおかげかもしれない。その証拠に、ベールを被った時からアスコラクの傷や痣が消えていた。呼吸も落ち着いている。


「詳しい理由は分かりません。ただ、ここはドゥーフ神の守りし土地。聖なるものは力を封じられると言われています。ドゥーフは主が嫌いなのです」


スカリィの声は相変わらず小さい。またもやイネイの声がそこに割って入る形となった。


「それより、私たちが連れて行かれたのは教会なの?」

「はい、アトラジスタの教会です」

「教会に何であんな化け物が鎮座しているのよ? あそこは人々の礼拝所よね? そこに牢屋があって、しかもあんなものがあるなんて!」

「化け物?」


スカリィは首を傾げた。イネイの怒りの矛先が何を指しているのか分からないようだ。


「三つ目だ」


アスコラクがスカリィに助け舟を出した。イネイが「化け物」と呼んでいるのは、アスコラクが闇の中で垣間見た黄金の三つの目に違いない。目の高さからすると、巨大な何かが教会の中に立っていたという事になる。


「そう、三つ目の怪物が教会に陣取ってるなんて変よ!」


ベールの外にいたイネイは、アスコラクよりもはっきりとその「三つ目」の姿を見ていた。金色の第三の目が額にある他に、人間の目の位置にも血走った眼球が飛び出していた。全身は真っ黒で、上半身は裸だった。頭部は牛のように変形した角が二本はえ、牙や歯がむき出しになっていた。歯の間からは長く赤い舌が胸まで伸び、まるで蛇のようだった。上半身には髑髏の首飾りが幾重にもかけられ、下半身は布を巻いていた。イネイはその姿を初めて見た。少なくても、イネイが人間だった頃に暮らしていた西側の町にはこんなに恐ろしい異形は無かった。それが人々の信仰の中心になるべき教会にあるのだ。しかも、主がいるべき教会の中心にその「三つ目」は鎮座していた。「まるで悪魔が教会を乗っ取ったみたい」と、イネイは使魔らしからぬことを口走った。


「あれがドゥーフです」


スカリィは幾分拍子抜けしたようだった。教会に化け物がいると聞いて怖くなったスカリィだったが、その正体がいつも目にしているこの土地の神の姿だと分かったからだ。


「はあっ?」


イネイはそう言ってスカリィを睨みつける。スカリィは何も悪くないのにおどおどとして、「すみません」と小さく謝った。スカリィたちアトラジスタの民にとって、ドゥーフがいる教会が常識的だったようだ。スカリィは衣装の中から黒いロザリオを引き出して二人に見せた。その黒いロザリオには三つの目が掘り込まれている。「このロザリオはアトラジスタの人々が、ドゥーフと共にある証として身につけるのです」とスカリィは説明した。


「では私はここの神の敵か。その敵を何故ドゥーフの信徒であるお前が助ける? それに、お前は何なのだ?」


アスコラクはスカリィに刃を向けない。今はそれが不可能であるし、スカリィという人物は今回の標的ではない。ただし、この土地の情報を引き出すには適任のような気がした。性格は素直で真面目だし、アスコラクに刃向う様子もない。この地では唯一、アスコラクを歓迎している「人間」かもしれない。


「私がこのような姿になったのは、私が望んだからです」

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