8.金の目

一瞬にしてスカリィの顔つきが変わって、警戒感が露わになった。弱っているとはいえ、アスコラクやその従者のイネイでさえ気付かなかった人の足音や会話を、兎の耳は捉えていたのである。スカリィは牢屋の鉄柵を掴み、歯を食いしばって力を込めた。すると熱せられた飴のように鉄柵はぐにゃりと曲がり、人一人が抜け出す分の空間ができた。スカリィは「これを」と小さく言って、アトラジスタの女性たちが身につけるベールをアスコラクに差し出した。ここをあとにするときに、自分の推察を確認していくつもりだったアスコラクは、小さく首を振って断ったが、スカリィは強引にベールをアスコラクにかける。


「人目を避けるだけではありません」


スカリィの言うことが、アスコラクにはすぐに分かった。ベールを頭から被った瞬間、アトラジスタに着いてからあれほど重かった体が急に軽くなったのだ。視界の自由は半減したが、体の自由は取り戻すことが出来た。アスコラクとは反対に、イネイはそのベールの下が苦手だった。スカリィの虎の腕がアスコラクを抱き寄せる。その力はスカリィの声に反して強力だった。手加減を誤ると、華奢なアスコラクの身体の骨を折ってしまいそうだ。アスコラクの体を軽々と抱え、スカリィは跳躍するように駆け出した。暗闇の中に軽快な蹄の音が鳴り響く。イネイはアスコラクが被ったベールを避けて、スカリィを必死に追いかけた。妖魔の力を借りているイネイがおいていかれそうになるほど、スカリィの足は速かったのだ。蜥蜴の尻尾が鞭のように唸りながら不安定なスカリィの走りを支え、失速を許さない。蝙蝠と鳥の羽が浮力を与え、一蹴りの跳躍が空を駆けるように見える。

 牢屋が続く地下を抜け、あっという間に階段を器用に駆け上る。いたるところの扉が破壊されていた。スカリィが鍵のかかった扉を破壊しながらアスコラクのもとにやって来たに違いない。おとなしそうな顔つきと自信なさげな声の割には、随分大胆な行動をとるものだとイネイは感心してしまった。

 すると突然視界が広い闇の空間を捉えた。その闇の中にが光っているのをアスコラクは確認した。イネイはそれを見て小さく悲鳴をあげた。

 教会の出口は入り口と一緒だ。途中、教会の中で数人の男たちとすれ違わねばならなかった。アスコラクの様子を監視するためにやって来たのか、それとも教会の方から扉が壊れる音を聞いて集まって来たのか。いずれにせよ、この男たちは教会のすぐ近くにいたのだろう。

 今見つかれば、スカリィがアスコラクを連れ去ったことがばれてしまう。スカリィは暗く冷たい教会の椅子の下で、アスコラクに覆いかぶさるようにして息を殺した。男たちは一目散に教会の地下の入り口に走り込んでいく。


「おい、みて見ろ!」


破壊された入り口の鍵を持った男が叫ぶ。


「鍵も拘束具も役に立たないなんて、恐ろしい奴だ!」

「これが災いの前兆か?」

「違う。きっと違う……」


別の男の震えた声が響く。


「やられたな」


小さく舌打ちした男が忌々しくつぶやく。


「畜生、捜せ!」


震えを打ち消すように、男たちは叫んだ。


「逃げた、逃げたぞ!」

「探せ、捜せ!」


スカリィが壊したドアの前で、男たちが叫んでいるのが聞こえたてきた。男たちは荒々しく叫びながら散り散りになって、教会から駆け出して行く。


「行きましょう」


 男たちの気配がなくなると、スカリィは立ち止まらずに外へ飛び出し、尻尾のばねと翼を使って塀を飛び越える。男たちはランプを片手に、アスコラクを探し回っていた。その炎が赤く光って点々と街中を移動していく。高い建物が先ほど出てきた教会くらいしかないため、それはすぐに確認できた。木の幹をけって屋根に飛び乗り、屋根伝いに町をゆく。音が出ないように一対の羽を使って浮力を出しながら家々の屋根に蹄を着ける。しかし次の足を蹴り出す際に踏み込むと、わずかに屋根が軋んだ。これを繰り返してしばらく進むと、町並みが途切れた一角に出た。町からわずかに離れた場所に、もう一つの集落があった。スカリィの家はそこにひっそりと建っていた。しかし元々は一端の集落だったと見え、空き地の周りに柵が張り巡らされ、人が住んでいた痕跡かがあちらこちらに残っている。


「ここは?」

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