3.白い羽根

 天から大量にわずかに紫がかった白い羽が降ってきた。まるで異国に降るとされる雪のようだった。ふわり、ふわりと揺れながら、はらり、はらりと優しく降りてくる。それはちょうど人々が昼食を食べ終えた時間。市場の奥にある屋台で、人々が談笑している時間。そして早めに昼食を食べ終えた人が腰を上げて、もう一仕事しようと外に出た、ちょうどその時だった。

 その羽の出所を探って見上げた雲一つない晴天に、突然白い点が現れた。それは鳥にしては大きすぎ、人間にしては奇妙な形をしていた。白い点が見えてから間もなくすると、これに気が付いた人々が集まってきていた。子供たちは無邪気に青空に手を伸ばした。


「鳥だ、鳥!」


「大きい鳥だ!」


男の子も女の子も皆はしゃいで、地面を蹴って飛び跳ねる。興奮が隠しきれないと言った様子だ。


「え? 雪?」


「降ってくる」


家の中にいたり、店番をしたりしていた子供たちも外に出てくる。風邪で寝込んでいようが、店を任されていようが、関係なかった。お伽噺でしか知らない白い鳥や雪は、いつでも子供たちの羨望の的だった。


「すごい。綿みたい」


空から羽の一つをつかみ取ることに成功した子供は、その軽さに驚き、しげしげと手の中に納まりきらない羽を見つめていた。


「綺麗」


その紫色がかった羽は光沢があり、光の具合で発光しているように見えた。それに気づいた子供たちは、羽に引き付けられて言葉を失った。

 あちこちで子供たちの歓声が上がり、競うように羽を集め始める。手を伸ばして受け止める子供。地面に散乱していた羽根を熱心に拾い集める子供。無理もない。この土地に住んでいる鳥はごく一部の小鳥を除いて、猛禽類特有の茶色の大型の鳥が多い。白い羽根は珍しかったのだ。そしてここでは雪も降らない。ここにいる人々は子供に限らず、空から白いものが降ってくることを見たことがなかった。そして、大人たちは見たくもなかった。この土地では、空から白い物が降ってくることを凶兆と見なされていたからだ。


「まさか……」


群衆の中にいた男が血の気の引いた顔をして、空を見上げながら呟いた。それはただの呟きではなく、乾いた口からようやく漏れたという喘ぎに近いものだった。間違いなく男は空から降って来た物に戦慄し、手も声も震えていた。


「まさか」


ある男は眉をひそめて、生唾をごくりと音を立てて飲み込で、同じ言葉を発した。


「嘘だろ」


ようやく出てきた言葉は、喉の奥にぴたりと張り付くようだった。大人たちがこの光景を信じられないという事は、無理もない。神話・伝説、もしくはただの迷信の類に出てくる「怪物」が、今、目の前に現れたのだから。


「本当に?」


 男が覚えた戦慄は、あっという間に大人たちに伝染していった。その波及効果はすさまじい速さだった。のんびりとした昼の時間は唐突に破られた。くつろいでいた人々は、次々に立ち上がり、警戒心を顕にして空を睨んだ。太陽から目をかばって手を額に当てながら空を見上げる男もいれば、目をしきりにしばたかせている老人もいる。多くの人々は目を細めて羽を落とす者の正体を見ようとした。女たちは、自分の子供を捕まえるのに躍起になっている。そして男たちは鶴嘴やスコップを持って、白い点が落ちて来るのを待ち伏せていた。


「止めなさい!」


 ある一人の母親と思しき女性が、ヒステリックに叫び、子供の手を乱暴に払った。皆もこれに倣う。それは大人たちの不文律だった。おかげで周りには白い羽根が散乱することとなった。円状の人垣の中心はまるで、羽毛を敷き詰めたようだった。


「駄目だ、こんな物を持っていては!」


「早く捨てなさい!」


 大人たちは子供たちがせっかく集めたその羽を、全て手放させた。子供たちはそんな大人たちの怒っているかのような様子が不思議で、ぽかんとしている。幼い子供たちにとって、お伽噺に聞く白い羽根を持つ白鳥と言う鳥は、美しさと純粋さの象徴であった。そのため子供たちは大人が何に怯え、何に焦っているのかは理解できなかったのだ。もしくは、せっかく集めた宝物を惜しんで泣き出した。大人たちはまるでその羽が危険な物であるかのように、子供たちを遠ざけ、手を引いてその場から一定の距離を確保した。羽根が落ちてくるのを大人たちは恐怖を顕にしながら、見つめていた。そこには円形の小さな広場ができていた。男たちは思い出したかのように袋に入れてあった何かを持ってきた。袋の中からはガチャガチャとうるさい金属音がしている。もしもの時に、と準備されていた物であったが、よもや本当にこれを使う日がこようとは誰も思って見なかった物であった。男たちは女子供を背にして円形の「広場」の最前列に陣取った。

 女もこの群集の中にいた。正確には、「群衆の中」ではなく「群衆の端」に立って行った。畏怖と緊張を胸に秘めて、彼女は自分の鼓動をいつになく早く、大きく聞いていた。その鼓動は外に漏れてしまうかと思うほどで、女は自分の胸を必死に抑えていた。男、女や子供の順に「広場」は構成されていたが、女がいたのは子供たちよりもさらに後ろだ。群衆に阻まれて中心が見えにくい。こんな時には女の長身が役に立つ。女はバランスを取りながらつま先立ちになって「広場」を見渡す。

 白い点は羽を撒き散らしながら大きく左右に揺れて降下し、最後には羽を全て失って急降下した。長い銀髪を空中に漂わせ、真っ白な足が赤土の上に着いた。長い銀髪がふわりと落ち、砂をこぼした時のような音を立てる。白い肌とあいまって、「彼女」は輝いて見えた。その輝きは太陽と言うよりも、冷たく神秘的な月の輝きに似ていた。その瞬間、誰もがその存在に恐れおののき、円形の「広場」が一回り大きくなった。群衆が、一歩、退いたのだ。その恐れは、一抹の畏敬の念も含んではいなかった。自分たちの生活を脅かす、圧倒的な力を持った存在への純粋で根源的な恐怖しかなかったのである。この恐怖は自然災害への恐怖にも近く、人々の信仰の中に根付いていた。すなわち、「対応を間違えば、自分たちの生活がなくなる」という思いだった。


『天使が落ちる日』


不意にヴォルガチの謡の一節を皆は思い出した。


『赤き大地に幻の雪が降る。

それは天使がこの大地に落ちる日。

人々は凍りつくだろう。

ドゥーフの守りしこの地に天の遣いが災いを呼ぶ。

再び災厄をもたらす日がやって来たのだ』

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