12.美しい声音
「クランデーロのところ、行ってくる」
「グネフ、待って」
「プラビェル、すぐ戻る。悔しいが、クランデーロしかこういうことは分からない」
「約束よ」
「必ず」
グネフは強烈な吐き気と目眩に足元を掬われながら、夜の町を歩いた。陽射しの強い石の街は、日が暮れたとたんに冷え込む。壁を伝う指先も、地面を引きずる足の裏も、感覚が無くなる頃、クランデーロの店に倒れ込んだ。
(なんて寒くて暗い夜だ)
グネフは今ここで睡魔に身を預ければ、楽に死ねると思った。クランデーロがグネフに駆け寄り、その暗い幻想を引き剥がす。
「とうとうやってしまったのか。馬鹿なことを!」
クランデーロは頭を掻きむしるようにして叫んだ。
「プラビェルを、妻を、頼む」
グネフはそう言って一度気を失ったが、すぐに気を取り直した。しかし、開いているのは右目だけだ。その右目は血走り、瞳には白い蜘蛛のような模様があった。
「この世に救いなどない。許しも、何も」
グネフの声に女性の声が重なっている。女性の声はプラビェルの声に似ている。
「何者だ?」
「娘を想う思いと、妻を思う思いが重なり、一つの共通の目的を持ったのです」
白悪魔のラサルがそう言いながら美しい佇まいで店に入った。薄く笑みをたたえた唇から発する言葉は残酷でも、その声はまるで鈴のように耳に心地よく響く。月明りの下に立つ白い姿は、月下草の如く清らかだった。
「素晴らしい人間愛ですね。貴方も得意とするところでしょう」
「やはり、貴様か」
「楽しくなりそうですね」
ラサルには慈悲の微笑みがよく似合う。どんなに残忍な言葉もその表情のまま言ってのける冷酷さを兼ね備え、それでも見るものを魅了する麗美さがある。少年と青年のちょうど中間くらいの姿で、美しく優しい声音をしている。誰もがラサルの気品に満ちた雰囲気にのまれ、その提案には逆らい難くしてしまう。プラビェルの両親も、自分たちの心臓と交換に娘にの目を治すという提案にやすやすと乗ってしまったのだろう。
「出ていけ、この世で最も醜悪な者。だが人を見くびるでないぞ」
「そうですね。かつての聖職者の卵も、立派な悪魔となれます。役に立ちます」
外に出たラサルにグネフが従った。いや、あれはもはやグネフであってグネフではない。ただラサルに心臓を捧げるだけの殺人鬼だ。
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