5.予言
プラビェルが目を開けたとき、そこには闇が広がっていた。しかしその闇は濃淡を持ち、時に揺れ、時に波紋を作り、風景を感じさせた。視覚以外の感覚を使えば、自分の周りがいかに豊かな情景に溢れているのかが分かった。何より、両親と町の人々がプラビェルに優しくしてくれた。自分の家や畑の周りに凹凸をつけた標識をつけ、ここが誰の家の敷地で、プラビェルの家にはどの方向に歩けば良いかが記されていた。この標識さえ見失わなければ、いつでも家に帰ることができるという安心感が、そのまま外の世界への安心感へとつながった。杖がなくても、標識同士をつなぐ綱を手に持ちながら進めば必ず目的地にたどり着くことが出来た。プラビェルがそうやって歩いていれば、それを見かけた町の人々が目的地まで肩を貸して一緒に歩いてくれることもあった。プラビェルは声で人々を覚えて識別し、表情を読み取ることが出来た。そんなプラビェルの特技に、ナチャートの人々は、「これはすごい。まるで見えているようだ」と声をそろえた。
ある夜、プラビェルの目は突然見えるようになった。目を閉じたまま見るそれは夢に違いなかったが、プラビェルの家やナチャートの町がそのまま夢に出てくるという生々しさがあった。
『こんにちは、プラビェルちゃん』
家の外に出たプラビェルの姿を見て、隣のおじさんがいつものように声をかけてくれた。プラビェルが声から想像していた通りの気さくな丸顔のおじさんだ。歯の並びが悪いところ以外は健康そのもので、顔色も良かった。
『こんにちは』
プラビェルが挨拶を返すと、おじさんの顔の血の気が引いた。赤い頬が青白く変わり、胸を押さえて屈みこむ。
『大丈夫?』
『いや、たいしたことは無いさ。少し休めば何のことない』
おじさんは無理に笑おうとして顔を歪ませた。そして胸を掻き毟るようにもだえて地面に伏し、動かなくなった。プラビェルが何度呼んでも、おじさんは動かなかった。
目覚めたプラビェルはすぐさま両親に夢で起こった事を話した。
「大変、大変、隣のおじちゃんが死んじゃう!」
「何を言い出すの? おかしな子ね」
母親が笑いながらプラビェルの頭を撫ぜた。目が見えないプラビェルには、スキンシップが欠かせないと、両親は思っていた。それにこたえるように、視覚以外の全てでプラビェルは両親を識別することが出来た。母の声は慈愛に満ちて、その匂いは家で使っている石鹸や料理の匂いがした。肌は柔らかく、温かかった。父の声は母より低いが他の男性たちより高い声だった。その匂いは畑の土と煙草の匂いがした。肌はごつごつとしていたが、やはり母のように温かかった。
「隣のおじさんなら、もう畑仕事に出ているよ」
父が外に視線をおくる。隣の畑で懸命に鍬を振るうおじさんの姿が小さく見えていた。両親にいくら説明してもこの調子で、全く相手にしてくれない。プラビェルは頬を膨らませて、外に飛び出した。
「こら、プラビェル。急に飛び出して牛や馬に轢かれたらどうするつもりだ」
「だって……」
「分かったよ。トマトをおすそ分けする予定だったから一緒に行こう」
父は戸棚からバスケットに入ったトマトを取り出すと、それを小脇に抱え、プラビェルの手を握った。ナチャートの人間らしい、厚く、大きく、ごつごつとした手だ。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
プラビェルは父に手を引かれ、隣の家に行っておじさん本人やその家族に夢を告げた。
「大変なの! おじちゃんがね、今日の夜死んじゃうの! 胸が苦しそうだったわ……!」
プラビェルの必死さとは裏腹に、父も隣のおばさんも、同じことを言った。
「ただの夢なんだから、大丈夫」
おばさんはさらに続けた。
「わざわざありがとう。プラビェルちゃんは優しいね」
そう言っておばさんはお菓子をプラビェルに渡し、頭を撫でてくれた。おじさん本人でさえ、力こぶをプラビェルに触らせながら言った。
「健康だけが取り柄だから」
プラビェルの周りは暖かい笑いに包まれた。プラビェル一人だけが、唇を噛みしめていた。
その日の夜、隣のおじさんは急に胸を掻き毟って苦しみだし、そのまま倒れて死んだ。誰もが「偶然の一致」と自分を納得させつつも、プラビェルの存在に不気味さを感じた。この日からプラビェルの周囲の空気が冷め始めた。それは光に照らされた場所から、一歩日陰に入ったような感覚だった。どこか緊張し、ぎこちなく、人々はプラビェルから距離を持とうとし始めた。ナチャートの噂は、町の連帯が強い分風よりも早く町中に広がる。そして一度町の災いの種を見つけると、町ぐるみでそれを排除しようとする。その結束力は、プラビェルが道を歩く時に発揮された通りである。
それでもプラビェルは自分の夢を周囲に告げて回った。老人だけではなく、家畜や若人にまでその夢告は及んだ。プラビェルは本人に死を回避して欲しい一心で夢を告げ、せめて周囲の人々が別れの準備をなせるようにしていたつもりだった。
しかし人々にとってプラビェルの存在は「小さな死神」であり、戦慄すべき対象となっていった。いつの間にか、「プラビェルにあったら死ぬ」という噂がナチャートに広がり、次第に自分の敷地にあった道標を取り外すようになった。その動きはプラビェルの家の近所から、徐々に街全体へと広がっていった。まるで人々のプラビェルに対する恐怖が、水の波紋を描くような光景だった。もちろん、それに最初に気が付いたのは、目が見えるプラビェルの両親の方だった。両親は理由を見つけては、プラビェルが外に出ることを禁じた。そして毎晩のように二人でこれからのことを考えこむようになっていった。
「いつか、あの子は誰かに殺されるんじゃないかしら?」
小さなランプを机に置いて、プラビェルの両親は椅子に座って向かい合っていた。ランプの中の青白い炎が、二人の顔を不気味に照らしていた。
「考え過ぎだろう」
「本当にそう言い切れる? 皆、私たち家族をいつも睨んでる。いなくなって欲しいと思っているに決まっているわ」
母親はヒステリックに叫びそうになるのを、必死でこらえた。眠ったばかりのプラビェルを起こして、この会話を聞かれてはいけないという自制心が働いたのだ。
「何とか、プラビェルが悪い夢を見なくなる方法はないのかな?」
「そうね。それが一番だわ。でも、どうしてプラビェルが?」
「それはもう言っても仕方ないことだ。とにかく、プラビェルに夢を他言しないように言い聞かせるしかない」
「そうね。でも、ここはナチャートよ? 噂が独り歩きしたり、どこかで誰かが尾ひれを付けたりするに決まっているわ。そして、これから誰かが死ぬたびに、プラビェルのせいにされるのよ? あの子は私たちがいなくなってから、どうやって生きていくの?」
母親は我が子の身を案じ、将来を悲観して、ついにすすり泣いた。父親はそんな母親の背中をゆっくりと優しく擦った。
翌日、両親に呼び出されたプラビェルは、今までに聞いたことのない両親の声を耳にすることとなった。その声は緊張感がみなぎり、とても切実な願いが込められていた。
「いいかい、プラビェル。今から言うことを必ず守りなさい」
プラビェルは気おされてうなずいた。
「これから、誰かが死ぬような夢を見ても、絶対に口にしてはならない。いいね?」
「どうして?」
「人が死ぬということは、とても悲しいことだからよ」
「知っているわ。だから、お別れの準備ができるように教えてあげるのよ?」
「プラビェル……」
プラビェルの「死」の捉え方に、両親は頭を抱えた。当然のように、プラビェルは死を予言し続けた。それでもどうにか、プラビェルは両親にしかそれを伝えないようになっていた。両親が巧くプラビェルをだまして、「死を伝えるのは大人の仕事」だと納得させたからだ。
そしてついに、人々が最も恐れていた事態がおこった。
『あの子が死ぬわ』
早朝、プラビェルが両親にそう告げた。
「あの子? 一体どこの子だ?」
恐る恐る父親がプラビェルに尋ねた。
「杖を貰った家の隣の家。生まれたばかりの男の子がいるでしょう? その子よ」
それは農家の後継ぎとして生まれた一人息子だった。
両親は戦慄した。プラビェルの両親はプラビェルが子供の死を予言しないように、プラビェルの後に生まれた子供の存在を教えていなかったのだ。それなのにプラビェルは、夢においてその存在を知り死を告げたのだった。両親のささやかな抵抗はプラビェルの夢告に及ばなかったのである。プラビェルはいつものように、それを本人宅に伝えようとした。だが、両親は必死でこのことを隠そうとしていた。
「じゃあ、お父さんがその家に伝えてくるから、プラビェルはお母さんと家で待っていてくれ」
「分かってる。行ってらっしゃい」
プラビェルにそう言った父親は、行く当てもないのに家を出て行く。そして辺りを歩いて時間を潰し、家に戻るのだ。しかし家に帰るたびに父親は暗澹たる思いをする羽目になる。プラビェルの父親が出歩いたというだけで、周囲の人々の悪意が矢のように刺さるのだ。それでも、父親は娘のためだと自分に言い聞かせて、あてのない散歩を続けた。
しかし火があったところには煙が出るものだ。どこからもれたのか、はたまた根拠はなく、死は全てプラビェルが予言しているということが常識化しているのか、プラビェルがその子供の死を予言したことはナチャート中に広まっていた。そして後日、プラビェルの言った通り、その男の子はなくなってしまった。生後半年に突然死したのである。この日からプラビェルの家に放火や悪戯が頻繁に行なわれるようになった。無言の行為が「ナチャートから出て行け」と言っていた。もちろん、プラビェルが外に出られないように道標は全てなくなった。
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