<6> 水晶平原


 ハイリンカが陥落し、アルゲイが追放されたという知らせは、先にアメイユが視て、それを彼に伝えたことで知った。次にティユーシャが報せて来た。彼女はアルゲイがずっと嫌いだったから、声に嬉しさすら滲んでいた。

 ギルエンは再びハイリンカを訪れて、現状をある程度まで把握した後に根城へ戻った。アルゲイは強大な勢力だと考えられてきたから、これで各地の蛇蝎に対しても影響があるだろう。それほどの能力を持たない蛇蝎族は、イントラットへ集めた方が良いかもしれない、とギルエンは考える。

 それをアメイユに、相談というほどのこともなく話していた時のだった。

「あの方は」

 と、話の中でアメイユがぽつりと言った。

「ここへやってくるでしょうか」

 そこまで聞いて初めてギルエンは、彼女が誰のことを言っているのか気づいた。彼は肩を竦めて、

「それは予知か」と、訊ねる。

「ただの推測です」

 と、彼女は首を振った。

「来ると思うか」

「そう感じます。あの方は、あなたに会おうとしてるように感じます。ギルエン」

「もう会った」

「それでは満足できなかったのでは」

「今日は良く喋るな」

「あなたも」と、彼女は言った。

「アルゲイがあんな目に遭ったのに、あなたはどこか嬉しそうに感じるのです」

「邪推じゃないか」

「あなたの感情の変化には、敏感なつもりです。心臓を失ってからは、今のようになることもなかった」

「喋りすぎだ」

「お怒りですか」

「いや」

 と、ギルエンは首を振る。

「心臓がないからな」

 と、彼は胸を手のひらで押さえてから、立ち上がる。部屋を出て行こうとすると、直前でアメイユが、

「どちらへ」と、訊ねた。

 彼女は普段ならこんなことを訊いたりしない。ギルエンの様子に、彼女も少し大胆になっているようだ。けれどギルエンは不快に思いもしなかった。

「あいつが来るというのなら、それに相応しい場所を」

「ここでは不足ですか」

「あいつがおまえを傷つけない保障はないぞ。アルゲイになにをしたか、知ってるだろ」

 アメイユが言葉に詰まったのがわかった。彼は彼女を待たずに、部屋を出た。



 イントラットから北東に進むと、水晶平原という一帯が広がっている。地表に現れて細かくなった水晶石灰に覆われた、乳白色の平野だ。そこにかつて王都があった頃の名残がある。水晶石灰の地表は光を受けて白く輝く。地平の果てまで続く景色は美しく、また、水晶石灰の産出地でもあった。そのためここに、まだアトラントが今のようなひとつの国では無かった頃、ひとりの王の都があった。

 この場所が捨てられたのは、ここが呪われた土地だと噂されたからだ。水晶平原は夜になると亡霊がすすり泣き、荒野は海に姿を変えて人を溺れさせ、その地に立つ遺跡は形を変えて人を閉じこめ、その肉体を食むと言う。

 それらがすべて事実なわけではないが、確かにこの場所は、歩いていると大地が水盤のように揺れ、目の前に蜃気楼が立ち上り、踏み入った旅人の行く先を惑わせることがある。

 ギルエンはそれを知っていた。アルゲイを連れて、彼の能力の修練のために訪れたことも何度かある。ギルエンはこの場所が好きなわけではなかったが、ここでなら、そしてもしこの場所にいる自分の元へトラリスがたどり着けるなら、誰にも邪魔されずに会うことが出来るだろうと考えていた。

 ひとりきりで遺跡の中を歩くと、イントラットの町並みと同じように水晶石灰で作られた廃墟が、かつての自分の過去を映した。殺風景な集落、燃える匂い、逃げまどう人々の悲鳴と怒号。

 それを眺めたギルエンは、やはり何も感じなかった。けれど心は動かなくても、しばらく目を離すことができなかった。けれど、どんなに目を凝らしてもギルエンの望んだ人の姿は映らない。黒い煙にかき消されたかと思うと、次第に色が薄くなり、やがてもとの水晶石灰の壁と地表が現れた。

 イントラットにいた時はこんなことは一度もなかったから、やはり水晶平原の見せる幻なのかも知れない、とギルエンは無感動に考える。

 そして彼が選んだのは、天井が崩れている以外ほとんど完璧な姿で残っている六角形の建物だった。もとは大広間だったのか、それとも誰かの屋敷なのか、中に入っても彼にはわからない。けれどそこで待つことに決めて、ギルエンは日々を過ごした。日中は遺跡の中を歩き回った。

 夜になると亡霊がすすり泣くと言うのは嘘だが、はっきりと目に見えない人影が彼の傍に近づき、何かを囁くことがしばしばあった。それは大抵怒号か悲しみのようで、かつて自分が犠牲にした誰かなのかも知れない、とギルエンは考える。

 自分の居場所は定めたつもりだったけれど、地面が波打つ度にその場所は少しずつ変わった。時折短い雨が降ると、白い平原全体体が震えるようだった。

 空気は澄んでいて、静かだ。

 夜になり建物の中にいると、ここに来た日と同じように、水晶石灰が彼の過去を映し出した。ギルエンは最初その変化の理由がわからなかったが、かつての集落の景色、そして蛇蝎を集めるために自分が転々とした場所の風景、そしてあの頭上に太陽の輝く島の光景が現れた時、建物が自分の過去を映し出して見せているのだとわかったのだ。

 長い時間のようだったそれは、けれどたった二日間だった。あまりにも早い訪れに、ギルエンはそのはずもないのに少し戸惑ったほどだ。

 水晶平原という場所のせいか、彼は自分の心臓が平原に入り込んだことがわかったのだ。隔たりがあり、姿も見えないというのに脈動を感じる。前にそれを感じたのはハイリンカでの雨の夜で、懐かしさを感じるほど遠い昔のことではなかった。

 あとはただ、この場所で待っていれば良かった。

 少しずつ、少しずつ、自分の心臓が近づいてくるのがわかる。

 身体中の血が熱くなり、全身を駆けめぐるのがわかる。

 今日は部屋の中に過去は映らない。ただ、遠くで木の葉が擦れ合って揺れる音、その揺れで葉に溜まった雨水が零れる音が聞こえた。そして一際高く鳴く鳥の声が。

 音だけだ。ギルエンはそれを知っていた。

 目を閉じて耳を澄ます。この建物が映さなくても、目を閉じればいつでも、あの日の光景はギルエンの目蓋の裏に甦るのだ。

 灼熱の太陽の輝く白い島に聞こえる音。

 そしてその中に、戸惑ったような足音が聞こえた。

 幻の音よりもずっと近く、すぐ傍に。

 心臓の脈動が聞こえる。自分の心臓の音が。

 ギルエンは目を開けて気配の方へ視線を向ける。

 そこに立つ人の姿を見て、抑えきれず、苦笑してしまった。

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