5-1 夜の火花
民家に突っ込もうとしていた魔獣の一頭を、ステラは一突きで屠った。黒い煙か塵のように消えてゆく獣を前にして、軍人たちからは喝さいが飛ぶ。しかし、ステラはほほ笑みもせず、くっと顎を持ちあげた。
西の方で、
「……第四班は、だめか」
誰にも聞かれないよう、口の中で呟く。
覚悟はしていたつもりだった。それでも、やりきれなさがこみ上げる。注意はしていたつもりでも、やはり自分は甘かったのだと、認めるしかなかった。裏切り者や内通者などいるはずない、いるべきではないと、心のどこかで考えていた彼女に落ち度があることは確かだ。
だが、悔むべき時は過ぎている。後は、どれほど犠牲者を少なくできるかだ。ステラは冷たい仮面をかぶりなおし、迷いをいっとき頭の隅に追いやると、待ちかまえている隊士たちに指示を飛ばした。魔獣の残党を狩るため駆けだしてゆく軍人を見送って、静かに目を閉じる。
「そっちは任せたよ、レク」
自分よりもずっと頭が切れて機転が利く彼のことだ。きっと、うまくやるだろう。今は、彼を信じようと心に決めた。軽く深呼吸をしたステラは、茫洋と光る剣をにぎる。横合から襲ってきた獣の鼻に刃を叩きつけ、そのまま顔面を両断した。獣が黒い塵芥になり弾けた直後、軍靴の響きが静かな市街にこだまする。
「隊長! イルフォード隊長!」
呼び声に、ステラは無表情のまま振り返った。栗毛の男と金髪の青年の姿を認め、片眉が跳ねる。息を荒げて走ってきたのは、第三班の、軍曹と上等兵だ。
「どうした」
「お伝えしたいことがございます」
「分かった」
真剣な顔でささやいた軍曹にうなずいて、ステラも声をひそめた。そして、彼らの知らせを受け取り――目を見開く。
「ノーマン一等兵が……?」
ステラ・イルフォード中尉が、今年初めて、現場で驚きを顔に出した瞬間である。
※
キリクは、少しずつ速度を落としてクリストファーに近づいていた。夜色の衣がいっせいに動いたのでひやりとしたが、そちらはヴィナードが食い止めてくれたようで、殺気が追いかけてくることはなかった。クリストファーの様子をうかがってみれば、魔導士たちとヴィナードの方を横目で見て、苦々しそうにしている。
「……彼がそうだったのか。これまで見抜けなかったのは俺たちも同じ、ということだな」
感情の押し殺された呟きが、夜の中にぽつりと落ちる。キリクは眉を寄せた。魔導士たちとヴィナードのやりとりは、彼のいるところからでは拾いきれなかったのである。ヴィナード――レクシオも、名乗り上げのときには声を潜めたので、少年がそれを聞きとることはなかったのだ。
いくつかの謎と疑念が生まれたが、少年兵はひと息でそれらを頭から追い出した。今は導師を止めるのが最優先だ。ぐ、と踏みしめた足に力を込めると、勢いよく飛び出す。先ほどがむしゃらに拾い上げた剣を、いつでも振るえるように構えた。
ほぼ同時、クリストファーが少年の接近に気づいた。一瞬だけ眉をひそめ、すぐに導師の怪しい笑みを貼りつけて彼自身も剣を抜く。ほどなくして、刃がけたたましくぶつかりあった。
刃が噛みあい、離れたところで、キリクは舌打ちした。一瞬のうちに襲いかかった力は、腕に鈍い痛みを残す。だが、それを癒す間もなく導師の剣は宙を滑って、キリクの胴体を狙ってきた。彼は剣をななめに構え、すんでのところで受けとめる。その下をくぐらせて逆にクリストファーを突こうとしたが、寸前で受け流されてしまった。
先ほどの打ちあいでも思ったが、クリストファーは華奢な体に似合わず力が強かった。訓練の時から腕力はある奴だと思っていたが、そのとき以上の力が今の剣には乗っている。
銃撃にしても予想外だった。的撃ちのとき盛大に狙いを外したくせに、先ほどは正確にキリクを撃ったのだ。少年兵として振る舞う上で、かなりうわべを繕っていたのだろう。そして、本来のクリストファーはかなり戦いに秀でた人物だと、認めざるを得なかった。
「どうした、キリク。俺を止めにきたんじゃないのか」
思考にふけっていたキリクの意識を、乾いた嘲笑が呼びもどす。クリストファーは油断なく剣を構えたまま目を細めていた。大きな両目には、愉悦の光が灯っている。
「それとも、わざわざ殺されにきてくれたか」
「んなわけないだろ」
「そう言うんなら――」
風が吹く。瞬間、少年はハシバミ色の瞳を見開いた。クリストファーの姿がぶれて、あっという間に距離を詰めてきたのだ。刃が届く寸前で飛びさがったキリクは、かろうじて一撃を跳ね返す。甲高い音が、黒い夜空に飛び散った。
「そう言うんなら、全力で来いよ」
ささやく導師の目つきは、意外にも真剣さを帯びていた。赤毛の少年の顔右半分が赤く、続けて黄色に染まる。一か所に集った
キリクはつかのま、魔導技師の身を案じた。しかし人の心配をしている場合ではない。
クリストファーの軍靴が、重く、鋭く地を蹴った。土が舞い、草が飛ぶ。そして振るわれた剣は風を起こす。
二人は四合ほど打ちあった。クリストファーの剣を上に流したキリクは、そのまま彼の方に飛びこもうとする。しかし直後、足にかすかな痛みと違和感を感じ、そのままよろけた。クリストファーが足を払ったのだ。キリクは剣を地面に突き刺し、なんとか転倒を防ぐ。すぐに剣を引き抜くと、その勢いで敵の一撃を弾きあげる。が、その後にできた一瞬の隙に、クリストファーはその剣を振りおろした。キリクは体をそらしたが、避けきれない。鋭い斬撃が胸をかすって、濃紺と黒の糸が飛び散った。ひりひりとした痛みを感じたキリクは、導師の剣の威力に戦慄した。
その後、叩きつけるような攻撃が次々キリクを襲った。彼はなんとかそれをかわしていたが、時々は避けきれずに、赤い糸のような血を草のうえに振りまいた。大きく飛びのき、さらに数歩下がった彼は、クリストファーの勢いがゆるんだ隙を狙って剣を高く構える。烈風が吹きつけたとき、柄をにぎる両手に力をこめた。
がんっ、と手から肘に鈍い衝撃。弾ける金属音。そして鋼のきらめきがすぐそばに見えた。押しこまれる刃を力ずくで防いだキリクは、相手が下がると、両手から力を抜いた。剣を低いところで持ち、足をばねのように使って飛びかかる。
クリストファーを斬る気は起きない。どうにかして取り押さえたかった。だが、少なくとも彼の手から武器がなくなるか、彼が戦意を失うまでは、殺す気で挑まねばキリクが殺される。だから、刃に全力を乗せた。自分の声とは思えぬ咆哮が飛び出すに任せ、体を前へ進ませる。
刃が再び交わった。白刃の間で赤い火花が生まれて消える。じりじりとせめぎ合った刃はやがて、互いを押しあい、後ろに跳ね跳ぶ。
異様な音がした。キリクはこれまでにない痺れと違和感によろめく。右手の得物が急に頼りなく感じられ、反射的にそれを見やった。体の奥が急激に冷えるのを感じ、顔をしかめる。
クリストファーの強烈な一撃を受けとめた剣は、刃の上半分を失っていた。ちらと視線を遠くにやれば、折れた金属が藪の中に落ちている。
大きな両目がぎらりと光った。戦意をたぎらす相手を見返し、キリクは焦燥と脱力感を同時に抱く。が、感情を表に出したのはつかのまのことだった。短く息を吐いた彼は、使い物にならなくなった剣を草の上に投げ捨てると、クリストファーから大きく距離を取った。
得物を一つ失ったなら、あるもので戦うしかない。キリクは手袋に覆われた右手を一度にぎった。彼が顔を正面に向けたとき、視界の端で光が弾ける。
キリクは思わず目をつぶる。光の色が銀と金だったことに気づいたのは、その後だった。
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