4-4 決戦のはじまり

 導師と少年の間に、颯爽と割って入った黒い外套。その人は、すぐにキリクを振り返った。だが、それだけでは風貌が分からない。

 困惑に視線を泳がせたキリクは、けれども直後、声を上げかけた。風になびいた布の下。ちらりと見えた面立ちは、彼の記憶を刺激する。しかし、彼がものを言う前に、黒い外套はクリストファーの方を向いてしまった。

 不敵に笑った黒い外套の人物は、それから、空中で二度ほど手を振った。彼が手を下ろしたとき、窓硝子が割れたときのような破裂音が響く。反射的に耳をふさいだキリクは、肩の痛みにうずくまった。その頭上に、困り果てた声が降る。

「な、なんだ? いったい何がどうなって……」

 キリクは驚きつつも顔を上げた。金髪の上等兵が、目を丸くして少年を見おろしている。茶色い瞳がよく動いていて、透明な膜もない。

「おう、一等兵、何が――って、撃たれたのかおまえ!」

 キリクの肩の銃創に気づいた上等兵が、顔色を変える。まずい、と、キリクは両手を顔の前で広げた。

「え、あ。これは、その」

「ちょっと待て、見せろ! 傷が浅く見えるからって侮るなよ」

「いや、今それどころじゃ」

 魔導術が解けたとたん騒ぎはじめた上等兵を、キリクはなんとかしてなだめようとした。しかし、彼が止めに入るより前に、軍曹の拳が金色の頭に落ちた。

「いった!」

「落ちつけ、上等兵」

「はっ、申し訳ありませんっ!」

 ぴしゃりと叱られた上等兵はきれいな敬礼で応えた。軍曹は彼の態度を適度に受け流したあと、心配と苦みの入り混じった視線をキリクに向けた。その頃キリクはといえば、自分の傷をどうしようかと悩んでいたところだった。

「しかし、状況が分からんのは同じだな。俺も術を受けたのか?」

「お、おそらく……」

「その後は、何があった」

「その後、あいつが魔導士と一緒に現れて、俺を殺そうとしてきました」

 あいつ、と言いながら、キリクはクリストファーを見上げた。彼は闖入者になにかを話しかけているようだったが、声が小さすぎて聞きとれない。一方、クリストファーを認めた班員二人が、信じられぬとばかりに口を開いた。

「え? あいつ、おまえと同期の新兵じゃないっけ?」

「確か、ノーマン一等兵か」

「そうです。クリストファー・ノーマンだった者です」

 キリクはわずかに笑んで告げた。痛みのせいか、飛び跳ねている心臓のせいか、声が震えてみっともない。

 その一言と表情でおおよそを察したのだろう。二人とも、苦虫をいっぺんに何匹か噛みつぶしたような顔になった。しばらく、目を細めたり唇をゆがめたりしていた軍曹が、息を吸いこむ。しかし、軍曹は第三者に発言をさえぎられた。

「さてと。軍のみなさん」

 三人ともが一斉に顔を上げる。やはり記憶にある声だ。キリクは驚きと戸惑いを噛みしめた。そうこうしているうちに、黒い外套の人物は金色の幕を広げなおしながら、彼らの方へ近づいてくる。

「あなたたちは、街に戻ってください」

 あっさりと、当然のことのように言われ、軍人たちはぽかんとした。反論も忘れて、黒い外套をながめる。

「は?」

「なんだと」

 上等兵と軍曹が、一拍違いで訊き返す。正体不明の人物は、黒い肩を大げさにすくめた。

「あなた方は一度街に戻って、あの新兵と魔導士のことを、指揮官の方に伝えてください。それまでの間は私がもたせます」

「どこのどなたかは存ぜぬが、助けていただいたことには感謝する。だが、一般人を置いて軍人だけが逃げるわけにはゆかぬゆえ……」

 軍曹は慇懃に続けようとしたが、黒い外套のため息がそれを打ち消した。顔をひきつらせる男に対し、彼は、さも面倒そうに首を振る。

「自分にかけられた魔導術のことを知らないから、そう仰るのでしょうが。あれは、術をかけられた方もかなりの体力を奪われます。今のあなた方が、あれだけの魔導士、それに『導師』と戦うなど、無謀もいいところです。下手に戦って死なれるよりは、援軍を連れてきていただいた方が、こちらとしてもありがたい」

 穏やかで淡々とした説明には、これ以上の反論を許さない圧力があった。軍曹はさらに顔をひきつらせたが、今度は上等兵が、なだめるように呼びかける。

「軍曹、ここはこの魔導士の言うとおりにしませんか。戦える体じゃないの、ご自分でもお分かりでしょうに」

 そう訴える彼は、先ほどからしきりに肩と足の具合を気にしていた。軍曹は上等兵をにらもうとしたらしいが、途中で舌打ちをして黒い外套に向き直る。

「……しかたがない」

「ご理解いただけたようで、安心いたしました」

 おどけているのか、そうでないのか判然としない語調で外套はうそぶいた。おかげで軍曹の機嫌はさらに悪くなったが、今度ばかりは反論をおさえ、班員を呼んで駆けだした。上等兵は、すぐさま上官に従った。

 しかし、キリクは、左肩をおさえたまま動かない。金色の頭と栗色の頭が闇の奥に消えるまで、まんじりとそちらを見つめていた。「兵士さん」と呆れ半分怒り半分の声が、キリクを呼ぶ。

「戻ってくださいと申し上げているじゃないですか。あの防壁魔導術だって、そう長くもたせられるわけじゃないんですよ」

「……申し訳ありませんけど、お断りします」

 キリクがぴしゃりと返すと、黒い外套はつかのまひるんだようだった。その隙に、キリクはむりやり立ち上がる。肩は痛んだ。膝も笑っているが、立てないほどではない。自分がまだ動けることに、心底ほっとした。

「ここに、残らせてください。俺は、導師ときちんと向き合いたいんです」

「兵士さん」

「彼は、クリスは、俺にとって数少ない、友人だったんです」

 ハシバミ色の瞳に、怜悧な光が灯る。

 ここだけは譲れない。意地でも曲げるものか。

 黒い布の奥の目を見すえるつもりで、キリクは彼と対峙する。

「お願いします。けじめをつけさせてください――ヴィナードさん」

 名前を呼ぶと、彼の顔に初めて動揺が走った。言ってしまったことに、そして推測が事実であったことに、キリクはほろ苦さをおぼえてほほ笑む。彼が魔導技師のヴィナードならなおのこと、一人残して逃げ帰ることはしたくなかった。キリクが微動だにせずにいると、ヴィナードは、先ほどよりも重いため息を落とす。

「その傷で、どうやって彼と戦うつもりですか」

 いきなり現実的なことを言われ、キリクは固まった。答えられずにいると、また吐息の音が空気を揺らす。さすがに腹が立って顔をしかめたとき、ヴィナードの手が左肩に添えられた。痛みにひるんだが、「動かないで」と厳しい口調に縛される。

 一瞬の空白のあと、肩に日だまりのようなぬくもりが流れこんできた。かと思えば、左肩の傷はゆっくりとふさがっていって、痛みも一気に引いてゆく。キリクはまじまじと己の肩を見つめた。

「これは……」

「銃弾はかすっただけだったんですね。治すのが楽でよかった」

 ヴィナードは両手を挙げる。奇跡のようなことをしながら、彼は平然としていた。

 これも魔導術。魔導術とは、生き物の体まで治せるのか――キリクはあっけに取られていた。

「さて」

 感動にひたっていたキリクは、ヴィナードの声で現実に引き戻される。

「そろそろ防壁の維持も難しくなってきましたね。彼らと正面からぶつかることになりますが、大丈夫ですか」

 キリクはうなずく。ほほ笑む彼を見上げた。

「ありがとうございます。ヴィナードさん」

 すぐに返答があるだろうと思っていたが、意外にもヴィナードは沈黙を返した。それから、ふ、と鋭く息を吐く。キリクが目を瞬くと、彼は唐突に、顔を覆っている布の端をつかんだ。フードになっているそれをさりげない所作で後ろに払う。

「あー、やっぱり堅苦しいのはだめだなぁ。肩が凝って仕方がない。キリク君、今はもうちょっと砕けていいぜ」

「…………へ?」

 キリクは、彼の姿に目を奪われた。

 フードが風に流されて、黒髪がふわりと舞う。以前見た髪留めはなく、自由になった前髪が、風の上で遊んだ。彼は、キリクの視線に気づくと口の端をつり上げた。好青年の笑顔とはいえない、大胆不敵と呼ぶにふさわしい笑みだった。

「さ、そろそろ奴らが怒ってる」

 歌うように彼は言う。そしてひらりと手を振った。金色の幕――防壁が一瞬で消える。その様を観察する青年は、今までのやわらかな雰囲気が嘘のように飄々としていた。


 防壁が消えると、目に見えぬ圧力がどっと襲いかかってくる。これが、魔導術のもと――魔力であろうと、キリクはすぐに悟った。しかし、そこに感心してばかりもいられなかった。

 それまで、魔導の防壁にいらだっていたクリストファーがうっすら笑みを浮かべている。ただ、笑っているのは口もとだけだ。

 若い導師は、乱雑に赤い髪を払いのけて、魔導技師をにらみつける。

「へえ。とうとう猫をかぶるのをやめたんですね」

「おいおい、人聞きの悪い。せめて、素に戻ったと言ってほしいもんだね。それに、そっちこそやっと化けの皮が剥がれたみたいじゃねえか。結構なことだ。君が犯人だと、確信できなかったことだけが悔やまれるね」

 全身から怒気がにじんでいるクリストファーとは対照的に、ヴィナードは余裕たっぷりだった。それは大人の余裕というより、生意気な男子の挑発に近い。温和な魔導技師はどこにもいなかった。

「誰だろ、これ」

 導師と青年が火花を散らす後ろで、キリクは呟く。その声は誰にも聞かれなかった。

 きつい皮肉を真っ向から浴びせられたクリストファーは、小さく歯ぎしりする。

「……なるほど。あなたがカンタベル公の手駒か」

「それこそ、そんな言い方はしないでほしいね。俺は殿下に無償の忠誠を誓ってるわけじゃあない」

 ヴィナードは、芝居がかった態度で両手をあげた。

「まあ確かに、噂を集めて回ったり、独房の警備員の記憶を視たりはしたがね。皇室師団に内通者がいるとあたりを付けたのは、あくまで殿下ご自身だ。俺は殿下とステラの二人に頼まれたから、しかたなく動いてただけ。じゃなきゃ、誰がこんな危険と隣り合わせの仕事をするもんか」

 青年の顔はまじめだったが、どこか真剣みに欠ける。だが否定を許さぬような圧もあった。クリストファーが剣呑に目を細める。

 キリクが二人を見比べていると、ヴィナードの相貌から陽気な気配が消え失せた。

「で――一応訊くけど。帝都に魔獣を呼び寄せたのは、なんのためだ?」

 鋭い威圧感が、その場に充満した。若草色の瞳に熾烈な光が走る。息をのむキリクとは逆に、クリストファーは目を爛々と光らせた。

「さっき、キリクには伝えたんだけどな。ラフィア信者への宣戦布告だ、って」

「つまり、俺たちに改めてけんかを売ったっつー解釈でいいんだな」

「どうとでも言うがいいさ」

 導師は、深まった夜空に、乾いた哄笑を響かせる。笑みはすぐ、しかめっ面に取って代わった。導師クリストファーの表情は、まるで顔が仮面であるかのようによく変わる。

「それより魔導技師どの。俺は彼を殺さなきゃいけないんだ。邪魔しないでくれ」

「邪魔なんざしねえよ」

 ヴィナードはあっさり切り返す。少年が虚を突かれた隙に、彼はキリクの方を目だけで振り返った。その手が軽やかに何かを放り投げる。キリクは慌てて空中に手を伸ばす。重い何かが飛んできた。それを顔の前にかざした少年は、目をみはる。

 両手におさまっていたのは、制式銃よりうんと小さな銃器だ。手の中に収まり、外套の下に隠せそうなほど。重厚な見た目に反して軽く、不思議とよく手になじんだ。もとの持ち主を見上げると、彼は軽く手を振った。

「銃の腕がいいって聞いてるぞ。そんな君に先行投資。魔導技師ヴィナード君のお手製、魔導銃だ。出てくるのは弾丸じゃなくて魔力の塊。どこで使うかは、君次第」

 一息に言いきった彼は、闇を手で示した。正しくは、闇の先にいる導師の少年を。

「――さあ、行ってこい。キリク・セレスト一等兵」

「えっ」

 キリクが間の抜けた声を返すと、青年は唇に薄い笑みを刷く。

「けじめ、つけたいんだろ」

 はっとした。キリクは、青年と少年を見比べる。そして、強くうなずき――小さな銃を上着の下にねじこむと、草を蹴って駆けだした。



     ※



 キリクの動きに気づいて、魔導士たちがいっせいに動きだす。しかし、青年は術の完成を許さなかった。光が瞬き始めたところで、小ぶりな火球を宙に生み出し、それを落として出がかりを潰してゆく。

 暗夜の衣がざわついた。その隙を逃す彼ではない。かろやかに駆けだすと、導師の追跡さえも許さず、魔導士たちと距離を詰める。

 とっさに一人が短剣を構えた。しかし青年は、手刀を相手の手首に叩きつけ、短剣をはたき落した。草地に突きささる寸前で、ちゃっかりそれを拝借する。

「残念。あんたらの相手はこの俺だ」

 ことさらに軽い調子で彼が言うと、魔導士たちのざわめきが、つかのまやんだ。

 ややして、集団の中から一人が進み出てくる。くすんだ金髪がちらりと見える、壮年の男だった。細い顔のくせに、その表面は岩のようにごつごつしていた。彼は、青年を冷やかに見おろして、口を開いた。

「貴殿ひとりで、この数を相手にするつもりか。それこそ、無謀というものではないかな」

 発された声は、人々の背筋を凍らすような圧力があった。しかし、青年はまったく動じない。短剣を手先で弄びながら男を見返す。

「さて、どうだろうね。やってみないと分からんことって、あると思うけど」

「……ふむ。ずいぶんな自信だな。若さゆえの愚かさか」

 男はなおも静かだ。見え透いた挑発に、これまたわざとらしく唇をとがらせた青年を無視し、彼は続けた。

「だが、強者であることは認めよう。魔導と武芸、双方に秀でた戦士というのはそうおらぬ。そして、強者には礼節をもって応じねばならぬ」

「……あんたらさあ。ふだんは割と言うことやることむちゃくちゃな癖に、変なとこで律儀だよな」

 青年は、緑の瞳を少しすがめた。少年二人がいる方へ、ほんの一瞬、視線を投げる。

 礼節うんぬんも彼らの本心ではあろうが、一番の意図は別にあるはずだ。つまりは、時間稼ぎ。導師がセレスト家の次男坊を仕留めるまでの。

 だが、時間を稼ぎたいのは青年も同じだった。キリクが、全力でクリストファーという少年にぶつかるための場を整えてやりたい。そう思っていた。

 今のところ、両者の利害は一致しているわけだ。彼らの礼や主義に付き合ってやるのも、悪くはない。短い間に答えをはじき出した青年は、まっすぐに魔導士たちの方を向いた。

 男が、すっと膝を折る。

「代表して名乗らせていただく。――我、南方の村にて生れし者。魔導と神の道に親しみ、かつては唯一と謳われた女神を尊び、今は片割れの女神セルフィラに心身を捧げし者。祈りの魔導士、ファーガソン」

 格式ばった名乗りに、青年はわずかに眉を寄せた。先の強者がどうのという言葉といい、古いならわしを重んじる人々らしい。彼の経験からいえば、頭が固くて面倒くさい種類の人間だ。仕事名で古臭い名前を使っている彼が言えたことではないだろうが。

「強き戦士よ。貴殿も、名乗られよ」

 青年は一瞬目を閉じた。詩的なやりとりは性に合わないが、しかたがない。こうも丁寧にされたのでは、返さぬわけにはいかなかった。悲しいかな、そういう世界にもずいぶん慣れた。

 彼は、ため息をこらえ、胸に手を当てた。

「我、西方の地にて生れし者。魔と親しみ、女神の恩寵を受けし者。白銀しろがねの騎士の王にして黄金こがねの翼なり」

 ――魔導士たちが、ざわめいた。それを知りながら、彼はあえて、知らぬふりをしてしめくくる。

「魔導の一族、エルデの血統最後の一人、レクシオ・エルデ。……以後、お見知りおきを」

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