5-2 背中合わせの二人

 宙で熱が渦巻いた。塵や埃を巻きこんだ熱風の端に、やがて赤い粒が灯る。それらは見る間に連鎖して、ひとつの炎の球と化す。

 レクシオは、その過程をどこか気だるそうに見ていた。炎が術者の手を離れると、彼は大きくとびさがって、頭の中で魔元素マグノ・エレメルを練り上げる。それに沿って発された魔力は、水に変わってあたりに降り注いだ。炎は一瞬で打ち消され、白い煙があたりに漂って消える。

 このやり取りが嚆矢こうしだった。夜色の衣の魔導士たちは、次々魔導術を展開していく。先ほど、そうしてキリクを追いつめたように。しかし、少年兵と違い、レクシオはまったく動じなかった。火と、光と、岩の刃と。生まれた術に一瞬で目を走らせる。それらが放たれると同時、姿勢を低くして走り出した。火球を片手で打ち消す。光の剣を軽くかわすと、腰につりさげていた長柄ながえのものを引き抜いた。

 銀色の線が夜空をはしる。レクシオがめいっぱい右腕を振り抜くと、視界を埋めつくすほどの岩の刃は、切断されて、空中で粉々になった。それは魔導士たちのそばに降り注ぎ、彼らの方が悲鳴を上げる。役目を終えた銀の糸は、しゅるしゅると縮んで柄の中に収まった。

「こういう危険性も考えて戦わなきゃだめだよな、うん」

 青年は、まじめくさった表情で呟いた。

 丸みを帯びた柄の先から伸びているのは、鋼線だ。工事現場などで見かけるそれを、武器として改良したもの。


 金属は魔力を通すようになっている。だから、魔導士が持てば、魔力のさじ加減ひとつで剣より鋭い刃にも縄よりかたいひもにもなるのだ。いわば魔導具の原型ともいえるそれは、レクシオ自身や彼の知り合いの武器職人の手で何度も手を加えられていて、長く活躍している。


 その愛用の武器を再び構えたレクシオは、わざと挑発的に魔導士たちをながめやった。夜色の群の中から、かすかにだが、怒気のような熱が立ちのぼっている。一瞬、口の端をつりあげたレクシオは、軽く助走をつけて駆けだした。

 魔導士たちはすぐに反応した。あちらこちらで魔元素マグノ・エレメルがざわめき、間もなく魔力のうねりに変わってゆく。頭の上で風切り音を聞いた青年は、無言で金色の防壁を頭上に張った。時を待たず、透明な刃の雨が降り注ぐ。次々と地面に突きささるそれを見やって、さすがのレクシオも顔をしかめた。

「おいおい、ハリネズミになるのはごめんだぜ」

 冗談めかしてささやく彼の声には、弱くない緊張がにじんでいる。透明が音を立てて砕けると同時に、レクシオも防壁を打ち消した。一度鋼線を収めると、勢いをつけて前に出る。真っ先に、その動きに反応したのは、あのファーガソンと名乗った魔導士だ。だが。彼が術を紡ぐより早く、レクシオはみずからの魔力を外に放った。金色の光が広がり、跳ね返って魔導士たちの視界を焼く。レクシオ自身は一瞬だけ目を閉じてやり過ごし、記憶と勘を頼りに地を蹴った。

 光が消える。そして広がる暗い闇。その裏側から、彼らの衣の色がにじみ出てきた。レクシオはさっき拝借したばかりの短剣を逆手に持つ。魔導士が顔を上げたときを狙って、柄頭で相手の鳩尾を殴りつけた。思いのほか鈍く大きな音が響き、レクシオ自身も少し驚いた。

「おお」

 大げさに驚くレクシオとは違い、魔導士は激痛に苦しんだ。体を折ってもがいたあと、目をむいて倒れ伏す。一連の出来事を目にして、接近戦の経験などないに等しい他の魔導士たちは、ややひるんだ様子を見せた。

 レクシオは体を反転させると、そばにいた別の魔導士の腕を思いっきりねじり上げた。痛みに叫ぶ彼を突き飛ばすように投げると、さらに悲鳴が連鎖する。とうとうそこで、魔導士たちはレクシオから距離をとりはじめた。だが、青年は顔色一つ変えず、また鋼線の柄に手を伸ばす。腰帯ベルトから柄が抜かれると、銀糸が音もなく伸びて猛威をふるった。薄い光をまとったそれは、伸びた先にいた魔導士たちの顔を次々に殴りつけてゆく。鋭く息を吐きながら鋼線を振るったレクシオは、しあげにそれを天に伸ばした。

 鋼の糸は、魔導士たちの背後にある木の枝の根元にするりと巻きつく。レクシオが鋼線から魔力を消すと、枝は鋼線が巻きついているところから、すっぱりと切れた。銀糸はすばやく縮み、木の枝は魔導士たちの頭上に落ちる。

 そこらじゅうでひきつった悲鳴が上がった。枝の下からすんでのところで逃れた、ファーガソンと別の魔導士が、レクシオを苦々しげににらむ。

「これは、これは。なんとも派手に暴れてくれる」

「同じ魔導士とは思えぬな。野蛮人め」

 あくまで礼節とやらを保っているファーガソンと違い、隣の魔導士は、不快感もあらわに吐き捨てた。悪口を正面からぶつけられてなお、レクシオは軽く笑っただけである。

「俺、学生時代は素性を隠すために剣振ってたからな。こっちの戦い方が合ってるのかもしれない」

「変わった魔導士もいたものだ」

 ファーガソンがささやいた。その目に冷徹な光が走ったのを見て取り、レクシオも笑みを消す。ただ感心しただけのような一言は、しかし魔導士たちにとって重要な合図だった。残った夜色の魔導士たちは、倒れた仲間たちに見向きもせず体を揺らす。

 曇天の夜の下、音もなく空気がざわめいた。鋭い風が通りすぎたあと、レクシオのまわりでいっせいに光が瞬きはじめる。術の兆しを感じ取ったレクシオは、鋼線をしまって、構えの姿勢のまま、軽く両手をにぎりこんだ。

 魔力が急激にふくれあがり、光が強くなる。

「我々も、このままやられるわけにはゆかぬのだ。恨むなよ」

 ファーガソンの淡々とした声が遠く聞こえる。レクシオは苦笑した。多勢に無勢。この状況を乗り切るのは、やはり、つらい。それでも彼には、笑みを見せるだけの余裕があった。

 ふくれた魔力は間もなく弾けた。あちらこちらから、光るものが飛んでくる。レクシオは即座に飛びすさり、そこで目をすがめた。

 術そのものは見えても、魔力と魔元素マグノ・エレメルは目に見えない。だから、肌の感覚だけでその力の揺らぎを感じ取る。いくつかの光の球を避けたあと、彼は手もとに、緑色のとがった小石を生み出した。硝子の破片のようなそれを、ばらまくように放つ。小石が術の中に飛びこんで間もなく、炎も氷も、跡さえのこさず霧散した。

 石を適当に放ったわけではない。飛ばす位置は、レクシオの中で計算されつくしていた。魔力の揺らぎがもっとも強いところを正確に切り裂くように。魔導術、つまり魔力のかたまりは、魔元素マグノ・エレメルが数百、数千と結びついてできたものだ。その結合を切ってしまえば、わざわざ防がなくても、術は元素エレメルに戻ってしまう。レクシオが利用したのは、そんな世界のしくみだった。

 魔導士たちの間に動揺が走る。魔導術のしくみについて知識はあっても、それを利用しようなどとは、ふつうは考えないからだ。酔狂な若者と対峙する夜色の衣の者たちは、おおいに戸惑った。しかし、実際にざわついていたのは一瞬だ。すぐに次の術を使いはじめる。レクシオは、ちらと視線を遠くに投げる。木と道しか見えない。彼はすぐに目を戻して、頭の中に術の構成を広げた。


 魔導士どうしの戦いはなかなか決着しなかった。レクシオ優位に見えても、数の利は魔導士たちの方にある。

 次々飛んでくる術をいなしているうち、青年の顔に疲労がにじみ出てきた。われ知らず額の汗をぬぐった彼は、地面からせり出してきた岩の塊をすんでのところで避け、それを蹴って後ろに下がる。そのとき、右側から鋭いなにかが飛んできた。短剣だ。それもなんとか体をそらしてかわしたが、やむ気配のない攻撃にいらだちは募る。彼が舌打ちしたのに、ファーガソンが気づいた。

「そろそろ己の無謀さが分かったか?」

「無謀さなんて、十年前から嫌というほど自覚してるさ」

 皮肉っぽい相手の言に軽口で返したレクシオだが、さすがに笑顔を繕えるほどの余裕は薄れてきている。時間稼ぎの立ち回りはまだできそうだったが、キリクが導師と早く決着をつけることを、願わずにはいられなかった。

 いっそのこと、大きな術を一発放ってひるませた方がいいか。やけくそになって考えた青年の耳に、甲高い音が届いた。指笛の音。魔導士の一人が吹いたのだろう。その意味を知っているレクシオは、うかつな自分をののしった。

「魔獣を呼ぶ気か……くそ、ぬかった!」

 今、帝都で暴れている獣たちを呼び寄せたのが彼らならば、それを操るすべを持っているのは当然のことである。

 後悔する間も、対策を考える間もなく、猛獣の気配がひたひたと忍び寄ってくる。帝都外縁にいた獣たちが、まっさきに引き寄せられてきたのだろう。レクシオは、苦りきった顔をした。が、顔にのぼった熱気は、すぐに引いていく。沸き立つ魔導士たちとは逆に、冷たくほほ笑んだ。

 獣の息遣いに混じって、なじみ深い気配が揺れる。それは軽快に近づいてくる。

 気配の主が姿を現す前に、暗闇の中で銃声が響いた。

 早くも勝ち誇っていた魔導士たちの顔面から、興奮の色が消え去った。ファーガソンが「何事か」と声を上げるが、そこに、別の一声がかぶさった。

「二人一組で応戦、各組必ず十頭は仕留めろ!」

「了解!」

 野太い男の号令に、闇に身をひそめる人々が返す。連続する銃声の合間を縫って、「道をつくれ」と女性の声が怒鳴った。『ヴィナード』も数えるほどしか会ったことのない、冷静な軍曹のものだ。

 帝国軍が動いた。それに気づいた魔導士たちが、魔導術の準備にかかる。だが、彼らの対応を待たずして、銀色のまばゆい光が夜を切り裂いた。光はしばらく獣の群の方で瞬いたが、すぐに大きく飛び跳ねた。宙を舞った光は――それを操る娘は、向かってくる獣たちを軽々飛び越え、レクシオのすぐ横に着地する。レクシオは鋼線の柄を取り出して弄びながら、彼女を見やった。当人はちょうど、頬にへばりついた髪を手ですくっているところだった。

「遅かったな、ステラさんや」

「囲まれて絶体絶命だったくせに、よく言う」

 戦場のまんなかに文字どおり飛びこんできたステラ・イルフォードは、結った髪を手で払うと、強く首を振る。ちくりとした言葉を浴びせられても、レクシオは平然としていた。彼らにとって、とげとげしい言葉の応酬は日常会話の一部なのだ。

「いざとなったら、一人で切り抜けるつもりでいたけどな」

「やめてよ。あんた、それで過去に何度死にかけたと思ってんの」

「んや、回数はステラより少ないはず」

 レクシオが顎に手を当てて言えば、ステラは見とれるほどの笑顔で拳をにぎった。

「ねえ、レク。後で一発殴らせて」

 図星を突かれたレクシオの相方は、脅しという名の照れ隠しに逃げたようだった。青年は、「おお怖」と肩をすぼめたあと、改めて戦場を見渡す。銃声の中、魔導士たちがじょじょに立ち直りはじめていた。今はこちらが先か、と、彼が呟くと、ステラもひとつうなずく。二人は何も言わないうちに、背中合わせに立った。

「あたしは、取りこぼしの魔獣を叩きつつ、魔導士あのひとたち撹乱かくらんするわ」

「あいよ。そんじゃ、俺は今までどおり本隊を潰していくとしますわ」

 軽い口調で宣言したレクシオは、柄から鋼線をしゅっと伸ばす。金属の糸は、魔力の光を透かして蒼く輝いた。

「ステラ、後ろは任せた」

「お互いにね」

 短くささやく。心を交わすには、それで十分だ

 正面を向いてほほ笑んだ二人は、力強く地を蹴った。

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