2-1 青天の下

 初警備の日は晴れていた。吸い込まれそうな青天を見上げ、キリクは深呼吸した。さわやかな空気で胸を満たすと同時に、顔をしかめる。なんとなく、晴れわたった空が憎らしかったのだ。

 ひとまず、衛兵交代式まではいつもと変わりがない。起床し、点呼、朝食をとって訓練。そのあといよいよ、交代式に臨むため、師団の本部を出て宮殿へ向かうことになる。

 宮殿の正門を目指す道すがら、キリクはふと違和感をおぼえて足を止めた。

 いつもどおり、せわしく軍人が行き来している廊下には、緊張感が漂っている。――否、いつもより緊迫しているのだと、少年は気がついた。行き来する軍人の中に隊長の姿を見つけ、いよいよ眉根を寄せる。ステラは、報告を受けては指示を出し、を繰り返していた。隊長の厳しい声に変わりはないが、どこか切羽詰まっているように聞こえる。気にしすぎなのだろうか。

 キリクはかぶりを振って歩みを再開した。しかし、すぐ後、横合から声がかかる。クリストファーだ。

「や、キリク。今から交代式?」

「ああ」

 キリクは気安く答えつつも、目を細めた。今回の警備に組みこまれなかったはずの彼は、妙に疲れた顔をしている。

「頑張ってね」

「ありがと」

 それでも言葉とともに浮かんだ笑顔は無垢で、キリクの心を少し落ちつかせてくれた。一呼吸置いて、彼は改めて友人に尋ねることにする。

「俺は今から宮殿の方に行くけどさ。おまえはどうしたんだ? 今から訓練じゃないっけ」

「いつもなら、ね。でも、今は警察と陸軍と本部ここを行ったり来たりしてる。いろいろ資料を持たされて」

「へ? なんで」

 要は使い走りをやらされているということで、彼が新入りであることを考えれば不思議ではない。しかし、なぜ今日に限ってそれほど忙しいのか。衛兵交代式の日とはいえ、厳戒態勢をとるほど特別な日でもあるまいに。見開かれたキリクの瞳に疑問の色が浮かんでいたのか、クリストファーが軽く吹き出したあと、それに答えてくれた。

「最近、近くで人が襲われる事件が起きてるみたいなんだよ。昨日もそれがあったからって、今日から警備を強化しようってことになったんだって。で、今回は新兵もその準備に駆り出されてるんだ」

 帝都の街中で起きている事件が関わっているので、陸軍や警察と連携する必要があったのだ。クリストファーが使い走りをやらされている理由は分かったが、次の言葉で、新しい疑問が生まれた。

「なんでも、うちの隊は何日か前から対応に追われてたんだって。伍長が言ってた」

「は?」

 無愛想な少年の眉間に、縦じわが刻まれた。

「なんでうちの隊が? そもそも、そういう事件は警察の管轄だろ」

 問いながらも、彼は、射撃訓練のときに見かけた隊長の姿を思い出していた。あのとき伍長が報告していたのは、その事件に関することだったのではないのか。

 キリクのそんな気づきを知らないクリストファーは、力なくかぶりを振る。動きに合わせて、耳にかかった赤い髪がこぼれた。

「そりゃ、分かんないよ。俺は管轄とかの難しいことは知らないし」

「……それもそうか」

 キリクもまた、ため息とともに胸にたまった澱を吐き出す。事件だの管轄の話だの、お上にしかわからぬような話を少年兵二人が議論してもしかたがない。すっと背筋を伸ばした彼は、数少ない友人の肩を叩いた。

「とりあえず、お互い仕事が先だ。たぶん、夕方には戻ってくるからさ、そのときに話そう」

「そうだな。応援してるぞー、セレスト一等兵!」

「クリスまで俺をからかうのやめてくれ、ほんとに」

 キリクが顔をしかめれば、クリストファーは軽やかに笑った。少年はため息をつきたくなったが、なんとかこらえる。かわりにまじめな顔をつくり、彼の方に手のひらをさし出した。

「それじゃ。――金の恵みがありますように」

 相手の瞳が見開かれる。キリクは、黙ってほほ笑んだ。ややあって、クリストファーも繰り返す。

「金の恵みがありますように」

 晴れた日に、女神の加護と相手の幸運を祈る言葉を捧げた後。お互いの背をどやしつけた二人は、手を振って、それぞれに背を向けて歩き出した。


 青地に金縁で模様が描かれた帽子は、爽やかな見かけに似合わず、ずしりと重い。内側にはすでに熱気がこもり、キリクの頭に不快な汗がにじんでいた。頭の重石を勢いよく投げ捨てたい衝動にかられるが、許されるはずもない。

 キリクは気休めに、遠くに見えるものをながめてみた。ふだんよりやや狭まった視界には、自分と同じ帽子をかぶり、同じ衣をはおった人々が映っている。彼らは息をのむほどきれいな隊列をつくって並び、勇ましい号令を上げる上官を見ていた。ディーリア中隊ではないことは分かったが、具体的な所属は分からない。隊列の前に立つ男の黒い軍服を見る限りは、別の連隊の人々だ。

 キリクはのんきに観察をしていたが、彼とてこの式に参加している一人には違いない。表向き、背をまっすぐにして、かかとを揃え、いかにもまじめな皇帝の軍隊の一員として立っていた。やることは決まっている。立つことだ。白壁と柱の列の美しい、壮麗な宮殿を振り返ることもせず、ただ、立ち続けるのみ。何度か号令に合わせて礼をとりはしたが、動いたのは本当にそれだけだ。キリクはしだいに怖くなってきた。このまま自分が置物に変わってしまうのではないかという、妙な想像が浮かんだのだ。

 もちろんキリクは儀式の最後まで人間だった。儀式の終わりが告げられると、彼らの前の黒い門が高く重い音を立てて開かれた。門扉の隙間から脇道に詰めかけた人々の姿が見える。落ちついた礼装の男性や、菫色の小さな帽子をかぶった女性。薄汚れた作業着を着た少年。軍隊生活に慣れたキリクの目に、彼らは色鮮やかに映った。

 青色の上着がいっせいに動き、金管楽器の音が、細く、ゆるやかに響いてくる。それはすぐに勇壮な曲へと変わり、軍楽隊の行進が始まる。宮殿の外、広場へ向けて伸びる通りに詰めかけた人々の群から、小さな歓声が上がった。祝祭のような雰囲気に包まれた通りを、軍楽隊からやや遅れて、それまで警備についていた兵士たちが進んでゆく。同時、キリクたちの方に「敬礼」の一声がかかる。一糸乱れぬ行進の様子を見送りながら、少年兵は感嘆の息をこぼした。

 こうして、友人が憧れていた行進を、先にキリクが堪能することになったのだった――参列者としての苦行というおまけつきで。


 警備着任の儀式が済むと、軍人たちはそれぞれの持ち場へ分かれてゆく。キリクは違う連隊の、若い男性兵士一人とともに、宮殿の東門の警備につくことになった。東門は、おもに宮殿で働く人々の出入り口らしく、出入りはさほど多くない。それでも、帝都の熱気はすぐそばにあり、いつもと違う場所から見る都の風景に少年は圧倒された。

 途絶えることのない人の流れを横切って、馬車がせわしく行き過ぎる。羽振りの良さそうな婦人たちを乗せた人力車が、そばを通りがかることもあった。青空に細く黒煙が立ちのぼったのを見つけ、こっちは駅の方角か、などとぼんやり思ったりもした。もちろん、行儀よく立ったまま、である。同じ持ち場の彼によると、「持ち場を離れさえしなければ歩いてもいいけど、まあ、ここはそんなに動く必要もないしね」ということだ。結局は、ひたすら立って、目を光らせていなければならないわけである。

 それからしばらく、まじめに警備の任をこなした。言ってしまえばとにかく、ひまだ。立っている以外にやることがない。

 あるときはご婦人の集団が、何やらささやきあいながらこちらを見ていた。外衣コートがやたらきらきらしていた。またあるときは、街の子どもが遠くから舌を出してきた。悪口っぽい言葉を投げつけてもきたが、そばへ寄ってこようとはしなかった。入れ替わり立ち代わり、やって来る人々は愉快だが、それがかえって本人たちの虚しさを引き立てる。

 幸い、暑くも寒くもない。ただ、退屈と体にのしかかる重みのせいで、疲れてくる。衛兵交代式とは別に、時間ごとに別の二人と入れ替わるため、日がな一日その場にいる必要がないのが救いだ。

 キリクは、あくびをこらえて表情を引きしめる。すると、通りがかりに彼の方を見た栗毛の少年に、指をさされて笑われた。さすがに、少し怒りたくなった。


 入れ替わるのは遠くの風景と、会話もできない客ばかり。そんな仕事場にささやかな、けれど決定的な変化が訪れたのは、交代まで一時間を切ったときだ。まったく嬉しくない変化だった。

 ふらり、と遠く人混みの中から歩み出てきた黒服の男が、慎重な足取りで東門へ近づいてくる。品のある歩き方に、穏やかな表情。質のよさそうな服も相まって、宮殿の人に見えなくもない。しかし、彼がキリクの三歩ほど前に立ったとき、隣に立つ兵士が鋭い声を上げた。

「すみません、すみません。そんなに怒鳴らないでくださいな」

 黒服の男は紳士然とした笑顔のまま、手を振る。

「いや、帝都に来るのがはじめてなもんでして。宮殿というものを近くで拝みたかったのですよ。許していただけませんか」

「遠くからながめるのは構わんが、ここは観光地ではないことを覚えておけ」

 隣の彼は、キリクに対するときとは違い、冷たい態度だ。黒服は恐縮したふうに何度か頭を下げ、遠ざかるように足を引く。

 瞬間、細められた目がキリクを見た。

 瞳の隙間に光がちらつく。狼のようで、捕食者のような。

「ご迷惑をおかけして、申し訳ない。すぐに立ち去りますんで」

 息をのむ。危ない、とささやいたのは、きっとヒトの本能だ。

 銃剣をにぎる手に力がこもる。

 けれども少年は未熟だった。予感はあっても、それを避けることができなかったのだ。

「――用事を済ませたら」

 男が笑う。その手が懐から黒光りする金属を取り出した。


 怒鳴り声がする。頭の中が白くなる。

 銃剣を構えようとした。指が震える。

 細い穴が見える。かちゃり、かちゃりと、耳になじんだ金属音。

 たった一つの得物。それを持つ、己の手つきはおぼつかない。


 間にあわない。


 威嚇も防御も攻撃もあきらめた少年兵は、肉体に任せるまま前へ出た。なりふり構わずつかみかかる。相手が鬱陶しげにそれを振り払ったとき、無我夢中で銃剣を構えた。突きだした。わずかな衝撃と叫び声。相手の手から、小型の銃が滑り落ちる。グリップのあたりが薄く光っている。――魔導具だった。

「下がれ!」

 兵士が叫んだ。威嚇のつもりか、すでに銃剣を構えてみせている。

 さらに遠くで、聞き覚えのある少年の叫び声がする。そして連なる軍靴の響き。

 男は、武器を失った彼は、それでも嗤う。手もとに光るものを持ち、キリクめがけて飛びかかってきた。

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