1-3 魔導技師の青年

 皇室師団のおもな仕事は、当然、皇族を守ることである。けれども、ひとたび戦争や紛争が起きれば戦地に派遣されることもあるし、危険のある国境付近などに配備されることも珍しくない。いささか特殊な立ち位置であるディーリア中隊の人々は、そういった機会はめったになく、もっぱら帝都が仕事場らしい。けれども、戦えるようにしておかなくてはならないのは同じだった。


 今度、色の乏しい空に響き渡っているのは、剣戟の音ではなく、乾いた銃声だ。ときどきは土ぼこりが舞いあがり、野太い怒声と号令がまじって叩きつけられる。

 まわりで鳴り響くものすべてを無視し、キリクは片膝立ちで銃を構えていた。険しい視線の先にあるのは、きゅるきゅると駆動音をかき鳴らして回る、銀色の球体である。キリク自身が隊長とともに運び入れたそれの表面には、赤い丸と、その内側に黄色い点を灯していた。隊長いわく、この赤い丸は標的であり、黄色い点は標的の急所を意味しているという。急所に当てず標的に当てる、というのが今回の訓練だ。

 ほかにも何種類か違った訓練を想定して、銀の球体に光を灯すことができるようだ。そう言われれば、確かに万能な的である。

 キリクは魔導具の性能に感嘆しつつも、それを表情に出さない。あくまで淡々と狙いを定める。

 すでに弾は装てんされている。あとは、引き金をひくだけだ。きゅる、と球体が一周し、赤い丸が視界の隅に戻ってくる。三拍数えて、引き金を引いた。

 耳をつんざく発砲音。腕をつたって全身へ、鈍い衝撃がやってくる。そのまま何度か発砲し、そのたび、熱い薬きょうが飛び散った。きりのよいところで指を外して、息を吐く。的を見てみれば、黄色い点を外し、赤い丸のなかに数発がめり込んでいた。

 銃の安全装置を引きあげたキリクは、まばらに聞こえる拍手を受け流して後ろへ下がった。次の人にその場を変わる。

 去り際に何気なく、陽光を反射して光る魔導具を振り返った。「あの弾、取り除くの大変そうだな」と、他人事のように思った。――それもまた、キリクたち新兵の仕事なのだが。

 手順に従い、順番待ちの列のそばにある銃器置き場にそれを戻す。身をひるがえして兵士の列に戻ったキリクは、他の人の射撃訓練を直立不動で見学した。クリストファーが一発を赤い丸から盛大に外したところで、彼は軽く目を瞬いた。視界の端を見覚えのある人影がよぎってゆく。彼らの隊長、ステラ・イルフォード中尉だ。

 皇室師団に見習いとして入った頃から、女性の軍人が物珍しく、キリクはしばしば彼女を目で追っていた。異性に抱く恋心には程遠い、好奇心と冷静さの入り混じった感情をこめて。けれども、思いがけず氷の女王の本性を目撃してしまった今は、また違う心持ちで、横顔をうかがっていた。

 各所の訓練の様子を見回っていたステラに、ひげの伍長――もとい、パウルス伍長が何事かを話しかけた。ステラはそれに対して眉を寄せると、短く指示を出す。伍長は敬礼して、そばにいた別の士官に何かを言ったあと、駆け去ってゆく。仔細は分からなかったが、ものものしい雰囲気からして、この射撃訓練に関わる事柄ではないだろう。

 キリクは少しだけ首をかしげたが、すぐに視線をそらして、回り続ける魔導具の方へ動かした。知らなくてもいいことを知ろうとする好奇心と頭脳はいらないのである。少なくとも、今のところは。

 ハシバミ色の瞳のむこうで、赤毛の少年がうなだれて、光を灯す球体に背を向けていた。


 その後も訓練は淡々と続き、大きな騒ぎが起きることなく終わる。道具も武器もすべて撤収を終え、本部の建物に入る頃には、日が傾きはじめていた。もう少しで夕刻の鐘が鳴り、祈りが済めば軍人たちの夕餉の時間である。

 キリクは、あくびを噛み殺しながら、皇室師団の独身寮――成人未成年に関わらず、伴侶のいない者が入る決まりになっている寮だ――の方へ向かっていた。しかし、本部の正面入り口前で、はたと足を止める。聞き慣れない声が耳に飛びこみ、少年のおさまりを知らぬ好奇心をくすぐった。彼がそちらに目を走らせたとき、背を向けていた、体格のよい軍人が振り返る。近衛の制服を着ているが、知らない顔だ。別の隊の先輩だろう。

「おう、そこの兵士! ディーリア中隊のもんだな!」

 知らない軍人に野太い声で呼ばれたキリクは、飛び上がって振り向いた。慌てて姿勢を正す。

「はっ」

「ちょうどいいや。おまえらの隊長、呼んでこい。いつもの魔導技師がお見えだ、って伝えとけ」

「りょ、了解です」

 キリクがたどたどしく返事をすると、見慣れぬ近衛兵は、そんなにかしこまるなって、と笑い飛ばした。もたもたと彼に背を向けたキリクは、少しだけ振り返る。巨体のむこうに、華奢な青年がいた。ところどころ跳ねた短い黒髪の下で、新緑を思わせる瞳が愛想よく笑う。その手には、富豪が札束を入れていそうな、大きなかばんがあった。ただ、彼の服は、ぱっと見ただけでも質素で、金持ちには見えない。隊長が語っていた変わり者の魔導技師に違いなかった。

 キリクが元来た道を戻っていると、折よく彼らの隊長と鉢合わせた。先ほどの兵士に言われたことをそのまま伝えると、ステラは黒茶の瞳をまんまるに見開いた。彼女は冷静な顔で、けれどいつもより早足で、その場へ向かう。キリクを含め、まわりにいた兵士たちが、興味津々に後を追った。

 ステラは、待っていた兵士に短く礼を言って、視線を滑らせた。先ほどの青年と目が合うと、たちまち顔を輝かせる。キリクでさえ思いもよらなかった満面の笑みに、誰もが唖然とした。

「ヴィナード!」

 娘の声が弾んで響く。彼女は青年に駆け寄ると、その肩を叩いた。長く音沙汰のなかった友人と、しばらくぶりの再会を果たしたかのように。

「いや、中途半端な時間にすみません、イルフォード中尉」

「大丈夫よ。ちょうど訓練が終わったところだから。――それより、びっくりした。カンタベルに行ってたんじゃなかったの?」

「今朝、戻ってきたんです。それからすぐ工房に呼び戻されて、今まで駆けずりまわりっぱなしでした」

 ヴィナード、と呼ばれた青年は、やわらかく笑って肩をすくめる。顔をしかめたステラに向かって手を振り、「明日は昼からお休みをもらいましたから、大丈夫ですよ」と付け足した。

「それで、工房からあがる前に、軍の魔導具の様子を見にいくよう言われまして。異常はありませんか」

「今のところ、大丈夫だと思うけど。念のため管理部に訊いてみるから、ちょっと待って」

 ステラは、体格のよい兵士を振り返る。彼はすぐに、近くの扉をのぞきこんで、声をかけた。管理部につないでくれとか、そういったことだ。キリクは両者を見比べながらも、呆然としていた。

「あ、そうだ。前に譲ってくれた的、なかなかよかったわよ。おもしろいって評判だった」

「おもしろいですか。それはよかったです」

 なるほど、確かに気心が知れている。ただ、キリクは魔導技師について、もっと自由奔放な人物だと想像していたが、見事にそれは外れたようだ。丁寧な物腰と穏やかな笑顔、それに「風女神の息子ヴィナード」などという、古風で上品な名前。どれをとっても、街の工房勤めが似合わない人のように思えた。

「こりゃ、すげえもん見たな」

 キリクは振り返る。いつの間にか、彼の同期たちが人だかりをつくりあげていた。ばれないようにと音を殺して、ステラの方を指さしている。

「隊長のあんな笑顔、見たことあったか?」

「ない。一度もない」

 激しく首を振ったのはクリストファーである。「おまえ、いたのかよ」とキリクは思ったが、口には出さなかった。

「ああして見るとなかなか美人だよな」

「おい、変なこと考えんなよ。ぶった切られるぜ」

「それ以前の問題だろ。隊長とあの技師、絶対って」

「――おまえら、噂話が楽しいのはわかるが、ほどほどにしろよ」

 野次馬根性を発揮する少年たちに、背後からささやいたのは、やはりパウルス伍長だ。監督役に低い声で注意された新兵たちは、たちまち情けなく縮こまる。伍長は、そのなかの一人の頭を乱暴にかき混ぜた。

「そういうことをむやみやたらに言いたてるんじゃない。隊長相手ならなおさらだ。既婚者だからな」

「え?」

 少年たちは、素っ頓狂な声を上げる。その中に自分の声が含まれていたことに、キリクは遅れて自覚した。間抜け面をさらす少年たちを見て、伍長は吹き出した。それを隠すつもりか頭をそむけ、受話器を片手に管理部の人と話しこんでいる上官をながめる。

「別におかしくはないだろ。あの方だって、イルフォード家の人間だ」

 無造作に投げ込まれた言葉に、新兵たちは納得のうなずきを返す。

 イルフォードは、代々騎士や軍人といった人々を輩出してきた歴史ある名家だ。聞き及んだところによると、ステラの年齢はキリクより三つか四つ上。そのくらいなら結婚していてもおかしくはない。していなかったとしても許婚の一人くらいはいるはずである。

「……貴族に、結婚ねえ。氷の女王も大変だな」

 皮肉っぽく呟いたキリクは、ステラの方を一瞥する。彼女は受話器を返し、またヴィナードとやり取りをしていた。二人の姿に、なぜか妙な懐かしさをおぼえたキリクだった。けれども、ほんのわずかな胸のうずきは、笑い声に打ち消されてしまって、正体をつかむことはできなかった。

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