第72話 降りやまぬ雨8
「えっ、今どこにいるかって?えぇっと……」
瑞穂が隣にいる俺に一瞬視線を送った後、戸惑いながら答える。
「あの……駅前っ。駅前のお店にいるよ」
瑞穂が電話しているのは姉の瑞貴だ。
今、俺達は、いつもの川辺に来ている。以前離れた場所に住んでいたという時よりも、頻繁に瑞貴から連絡が来るようだ。
「えっ、迎えに……?ううん、もう帰るから、迎えに来なくていいよ!じゃあねっ」
多少強引に言いきると、瑞穂は電話を切る。
「はぁ……」
小さなため息を溢すと、彼女はスマホを学生カバンに仕舞った。
「よく連絡が、来るな。瑞貴から」
俺が言うと、瑞穂が答えた。
「うん……。お姉ちゃん、すごく心配性なの。まあ、それも私がしっかりしてないからっていうのもあるんだけど……」
心配性ね。度が越えていると感じるのは気のせいか?俺には、もうすでに成人した年の離れた兄貴がいるが、普段の連絡は皆無に等しい。
離れて住んでいる時よりも、今の方が心配する必要がないように思うが。それとも側にいるから、余計に気になるのか。
まだ気になるのか、瑞穂はちらちらとスマホを仕舞ったカバンに視線を向けている。
「……」
胸の奥を鋭い熱が走った。
俺は不意に瑞穂の手を握り、引き寄せる。
「……!」
突然のことに、瑞穂が小さく息を飲む。
「俺じゃ足りないか?」
囁くように言うと、彼女の細い肩が震えた。
「そ、そんなこと……ない……」
引き寄せた胸の中で彼女の息遣いが伝わってくる。
「離れてる時も、いつも考えてる。秀一君のこと……」
胸の中で、瑞穂が見上げてきた。最初に会った頃よりも日が長くなったせいで、辺りはまだ明るく、彼女の整った顔がよく見える。
琥珀のような瞳。
首筋から肩にかかる、柔らかい茶色の髪。
そして、仄かに色づいた淡い唇。
今までで一番近い距離で、互いに見つめ合う。
潤みがちな彼女の瞳がゆっくりと閉じられていく。
長い柔らかそうな睫毛が目元に落ちて……。
「♪♪♪♪♪♪♪♪」
その時、瑞穂のカバンから着信音が流れる。
びくりと震えて、瑞穂の瞳が見開き、慌ててカバンに手を伸ばす。白いスマホを取り出した。
「今度は、お母さんからのラインだ。まだ帰らないのかって……」
彼女の手を引き寄せて、スマホの画面を確認すると、7時少し前。
以前の瑞穂の門限は、夕刻の6時半。それを俺と少しでも会うために、無理を言って、7時に延ばしてもらったと言っていた。
「もう行こうか」
俺は瑞穂の手をそっと離す。
「はい……何だか、ごめんなさい」
「気にするな」
そう言って立ち上がった。
「送ろうか?」
それとなく言ってみた、その時。
「あ……雨だ」
ぽつぽつと、細い滴が空から落ち始めたと思うと、程なくして、ザーッと激しい雨へとなった。予報で夕方から雨だと言っていたが、少し時間帯が遅れて降りだしたのだろう。俺は自分のカバンから黒の折り畳みを取り出すと、瑞穂にかざした。
「傘は持ってきた?」
彼女に聞くと、首を振る。
「今朝はちゃんと予報を見てなくて……持ってきてないの」
彼女に傘だけ渡して、俺は一人、雨の中自転車を走らせて帰る選択肢もあったが。
「瑞穂。傘を持ってくれないか?俺は自転車を押していかなきゃいけないから」
「あ、うん」
彼女の華奢な腕が伸びてきて、俺から傘を受け取る。
これで、必然的に瑞穂を送ることになったな。
俺達は川原を上へ上がると、雨に叩きつけられている道路を歩き始めた。
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