第66話 降りやまぬ雨2

その後、彼女と何気ない会話を交わした。勉強のこと、趣味のこと、オフの日どう過ごすか。それらは当たり前の会話なのだろうが、極力他人との繋がりを持たない俺には、イレギュラーなことだった。


瑞穂には、人が張った壁をするりとすり抜けてしまう不思議な力があった。この警戒心の塊のような俺が、初対面でこんなにベラベラと語るなんて、後にも先にも、彼女だけだった。


「ですよね。こう、川のせせらぎとか聞いてると、クヨクヨしてた気持ちが和らいでくるんです。海の波の音とかもいいですね」


「ああ、そうだな」


川の水の流れよりも、今耳に届く彼女の声の方が、心和らぐような気がするが。


「えっと、それに私、桜の花が好きだから、今この時期の川辺は、特に好きなんです」


そう言うと、瑞穂は風に洗われた髪をそっと耳元で押さえる。春の光に照らされた横顔が眩しい。


「似合うね」


「……えっ」


思わず自分の口から溢れた呟きに、自分自身が驚く。


「いや……桜が似合うよ」


どこかの漫画にでも出てきそうな言葉を自然に言っていた。自然に口にしてしまうほど、事実似合っていた。


「……そろそろ帰るよ」


いつまでも、ここにいたいような気持ちになったが、それぞれ予定もあるだろう。


榊原高校と中学なら、またそのうち会う機会もあるに違いない。


このままここにいると、自分の中の何かが壊されてしまいそうで、俺は腰を上げた。


と、瑞穂の白い手が、俺のブレザーの腕をぎゅっと掴む。


「……っ」


「あ、あの黒崎さん……」


彼女に名前を呼ばれると、なぜか胸がざわつく。


「ま……また会えませんか?その……ストラップ見つけてくれたお礼もしたいですし」


落とし物を拾ったお礼なんて、そんな大層なことじゃない。


「そんなこと気にするな」


「あ……いえ、あの、その……!」


立ち去ろうとする俺の腕を瑞穂は、さっきよりも少しだけ力を込めて引き留めた。


「会いたいんです……また」


淡い瞳が、潤みがちに俺を見つめる。


「ダメですか……?」


「……」


杓子定規な俺は、最初の彼女の言葉を文字通り受けとり、その奥にある想いに気づかなかった。


彼女はつまり、これからも会いたいのだ。


俺と。


「……スマホ出して」


「えっ……?」


唐突に言った俺の言葉に、瑞穂がきょとんとする。


「とりあえず、ラインを交換しよう」


「……は、はい!」


屈託なく彼女は笑顔を溢すと、側においてあった学生カバンから、スマホを取り出した。


それは、幸せと、終わりへ続く階段の始まりだった。

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