第65話 降りやまぬ雨1
「どこ行ったんだろう?」
側の桜木の陰から、声が聞こえる。ふと視線を向けると、見覚えのある制服が見えた。
(榊原中か)
それは、この川の近くにある榊原中学校の女子の制服だった。草むらに屈んで、何かを探しているようだ。いつもなら、他人の行動にほとんど興味のない俺なのに、なぜかその落とし物を探す女子の様子を見てしまう。
「あれ、お姉ちゃんからもらったお気に入りなのに……」
独り言を溢しながら、桜木の根元辺りを必死に探している。
(何を探しているんだ?)
少しだけ草むらから腰をあげた時。太陽の光を反射して、足下の草の間に何かが光った。
手を伸ばしてみると、それは、四つ葉のクローバーのストラップ。
「おい」
いつもなら他人に無関心の俺が、気づいたら声を掛けていた。
「えっ……」
不意に呼び掛けられて、ハッとしたように彼女の動きが止まる。
「探し物は、これか?」
俺は、拾い上げた四つ葉のストラップをかざした。それとほとんど同時に、彼女が腰をあげ、立ち上がる。
その時、春の嵐が吹き抜けた。
「……っ」
息を飲んだ。
舞い散る桜の花びらの中、
風に波打つ、長い茶色がかった髪が、
見開いた淡い茶色の瞳が、
薄く開かれた唇が……。
その光景全てが、そこだけ、この現実世界から切り取られた単独の世界のように思えたからだ。
それは、ほんの一瞬に過ぎない時間だったのだろうが、まるで永遠のような不思議な感覚だった。
「そ、それです!私が探してたの!」
彼女は小さく叫ぶと、俺の方に走り寄る。
彼女の指先が、俺のそれに近づいた時、なぜか鼓動が波打った。
「ありがとうございます」
少しの間、彼女の顔を見つめてしまった後、彼女にストラップを渡した。
「……榊原高校の方、ですよね?」
ストラップを受け取った後、鈴を転がしたような透き通る声で、彼女が聞いてくる。
「ああ」
なぜか胸がざわめくのを感じながら、答えた。
「何年ですか?」
「この春で、二年だ」
「二年なんですね!すごく落ち着いてるから、三年かなって思っちゃいました。すごいです!」
何がすごいんだろうか?よく分からない視点に、少しだけ苦笑する。
「あ……あの、失礼じゃなければ、その……。名前とか、お聞きしてもいいですか?」
光を吸い込んだ綺麗な両目が、真っ直ぐ俺を見上げてきた。
いつもなら不用意に名前なんて言わない俺だったが、不思議な魅力を含んだ瞳に、躊躇いもなく答える。
「榊原高校二年、黒崎秀一」
「秀一さん、ですか。いい名前ですね」
「君は?」
淡く透き通る瞳を見つめたまま、俺は聞き返した。
「私は……榊原中学三年、早川瑞穂です」
そう言って、瑞穂は微笑んだ。
もしかしたら、この瞬間が。
俺達の一番幸せな時だったのかもしれない。
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