第32話 回想1

「美羽。今日も、お母さん、ちょっと帰り遅くなるから」


「また?」


思わず不満げに漏らした私の声に、お母さんは申し訳なさそうに言った。


「ごめんね……。部署が変わって忙しくなったの。夕飯は、もう作って冷蔵庫の中に入れてあるから」


中学に入った頃から。お母さんは仕事が忙しくなったようで、以前よりも帰りが遅くなることが増えた。


「分かったよ。でも、今度の休み、遊園地連れて行ってね」


「ええ、分かった。じゃ、そろそろ、お母さん出るから。戸締まり、ちゃんとして出てね」


そう言うと、お母さんは慌ただしく家を出ていった。


小学一年の時、お父さんが交通事故で亡くなってから、うちは母子家庭。元々共働きだったけど、お父さんが亡くなってから、お母さんは一層忙しく働くようになった。


後から考えれば、それは私を女手一つで育てるために仕方なかったんだけれど。その頃の私は、それを分からず、お父さんがいない寂しさに、もっと、お母さんと一緒にいたいって、いつも思っていた。


「行ってきます」


誰もいない部屋に向かって、そう言うと、私は学校の指定カバンを手に家を出る。川沿いの桜並木を自転車で走り、10分程で榊原中に着いた。


「美羽、おはよ!」


声の方を振り返ると、陸斗が屈託ない笑顔で私に視線を送っている。


「おはよ」


私も返すと、二人で校舎に入り階段を上っていった。


一年は同じクラスだったけど、二年は別々のクラスになった陸斗。


「じゃ、またな」


「うん」


2階の廊下で別れると、私は1ー1の教室に入った。


「おはよ、美羽」


机に着くと、友人の智子ともこがやってくる。智子は、中学に入って出来た友達。


「村上君と一緒に来たの?」


「ううん、自転車置き場で会って、一緒に上がってきただけ」


「ふーん……」


「ねぇ、そんなことより、古典の予習やってきた?」


「やってきたけど?」


「今日、私当たるんだ。お願い、ノート見せて」


「またぁ?もう、しょーがないな」


「へへ、ありがと」


私は智子から、古典のノートを受け取った。


そして、四限目が終わって、昼休み。給食を食べ終わった後、智子と教室でおしゃべりする。


「最近さ、お母さん何かすごい忙しいみたいで、夜遅いし、休みの日まで仕事行ったりするんだよ」


私が愚痴を溢すと、智子が言った。


「そうなんだー。うちなんか、お母さん、いっつも家にいるから、しょっちゅう勉強しろとか、うるさいんだよね」


「そうなの?」


「うん。もういっそ外に働きに行って欲しいくらいだよ」


智子はため息をつく。


そういうものなのかな?


でも……智子には、お父さんがいる。私とは違う。お母さんしかいない私とは、違う。


「美羽が羨ましいよ」


智子の言葉を複雑な気持ちで聞いていると。


「お疲れ!」


頭の上から降ってきた声に見上げると、陸斗がすぐ後ろにいた。


「お疲れ」


私と智子が返すと、陸斗は、智子の席の隣から、空いた椅子を引っ張って来て、私達のところに置くと座る。


「……村上君って、いっつも美羽を追っかけてるよね」


なぜか棘のある口調で、智子が言った。


「はぁ?んなことねーよ」


「だって、今だってそうじゃない」


「智子ともしゃべってんじゃん」


「どーせ、私はオマケですよ」


「何だよ、そりゃ」


陸斗が苦笑する。


「あ、ねぇ、話変わるけどさ」


私は最近出来た近場のショッピングモールの話題を振った。


すぐに智子の機嫌も直って、その話に三人で盛り上がる。


私達三人は、とても仲が良かった。


「あの日」までは……。

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