二章 ニセモノ聖女の奮闘 ②



 達が用意してくれたかわいた服にえて採掘場に戻ると、こうどうの入り口にそわそわした様子のゲオルクがたたずんでいた。理沙を見るなり、足早に近寄ってくる。

「ああ、聖女様! ご無事でしたか! 急に出て行かれるのでどうしたのかと。やはり、ここにいるのはよくありません。川縁できゆうけいいたしましょう?」

 ゲオルクのおもねるような視線を受けたが、理沙はしっかりと首を横に振った。

「いいえ。だいじようです。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。視察の続きをしますので、中に入ります」

「えっ、で、ですが、もう十分では?」

「君も責任者なら、誤解を与えるような行動はひかえた方がいい。そんな態度では、見られて困ることでもあるのかとかんぐられてしまうよ」

 リカルドがぴしゃりと言い放つと、ゲオルクは「いえっ、そんなことは」と言葉をにごす。理沙はそのすきに坑道へと入っていった。おくれて背後から、リカルドとザックが付いてくる。

 中では先ほどのように、男性達が作業していた。しかし、理沙の姿を見つけると、みなけ寄ってくる。

「あっ、聖女様! 先ほどはどうされたんですか? 具合が悪くなったとか?」

「俺達のなにかが悪かったんでしょうか……?」

 彼らの不安げな様子に、理沙は改めてリカルドが言った「採掘者達が不安に思う」という言葉をみしめていた。聖女である理沙の一挙手一投足が、どれほどの影響を持つのかようやく実感した。

「……皆さんはなにも悪くありません」

ふんじんが気管に入ってしまって、それで外に出て休んでいただけだよ。ね?」

 リカルドがさらりと言いえてくれた。理沙がぎこちなく頷くと、採掘者達はほっとしたあんの表情に変わった。

「確かに、俺達もだんは布を巻いていますから。そうだ、これ使ってください」

 一人がズボンのポケットから布を取り出して差し出す。しかし、何か気付いたように声を上げた。

「あっ、これ顔拭き用のやつだった! すいません……」

「いえ。私は大丈夫ですから」

 布を差し出してきたのは、まだあどけなさの残る若い青年だった。

「ふふ。俺達真っ黒ですよね? 聖女様の色とおそろいだ」

 聖女の黒いひとみくろかみを指して言っているのだろう。胸をかれて、またるいせんが緩んでしまう。

 ──彼らは……、彼らこそ、ルシアンでいう奇跡の色である黒をまとって、毎日国のために身をささげている人達だ。

 そして彼らの支えが、『聖女』という存在だった。自分のことしか考えていなかったことを、改めてずかしく思う。

「せ、聖女様? どうして泣いてるんですか?」

「……大丈夫です。もう平気です」

 心配をかけてはいけないと、理沙はひとつぶだけ涙を流した後は、すぐさまこらえて笑顔を作った。

 ──どうすればいい? どうすれば、彼らの心に寄り添えるだろうか。

「もっとさいくつじようくわしく案内してくれますか? あと、皆さんとお話もしたいです」

 理沙が決然と顔を上げて言うと、採掘者達はうれしそうな顔でうなずいてくれた。

 とりあえず、理沙達は採掘者達を連れて外へと出て来た。責任者であるはずのゲオルクは絶対に中には入ってこず、理沙が採掘者達を引き連れてきた時にはおどろいた顔になった。採掘者達の顔がひるむのが分かる。

 理沙はゲオルクが口を開く前に言った。

「採掘者達に話を聞きたいので、外に出てもらうよう私が言いました」

「ですが聖女様。本来ならこの時間はまだ仕事中で……」

「あれ? 今日は採掘をしていないって、最初に言っていたよね。だったらいいじゃないか」

 背後にいたリカルドが、ことじりつかんで微笑ほほえむ。ゲオルクが口ごもったのを見て、理沙は言った。

「後でとがめられたら、私の名前を出していいですから。──リカルド王子?」

「ん? なんだい」

 理沙はくるりと向き直って言った。

「ゲオルクさんが用意してくださった休憩所に、二人で先に行っていてください。私は採掘者さん達の話を聞いてから行きますから」

 このままゲオルクがいれば、採掘者達は本音を言えないだろう。リカルドというこくひんがいればゲオルクも動かざるを得ない。そんなおもわくけて見えたのか、リカルドは笑みを深めて「いやだ」と言った。

「……いやだ、ってそんな子供みたいなこと言わないでください」

 理沙がだつりよくして言うと、リカルドはにこやかに続ける。

「仲間外れにするなんて、ずいぶんひどいことをする。どうしてもと言うなら、俺の代わりにオスカーに相手をさせよう」

 そう言うと、リカルドは静かに佇んでいた自分の側近に声をかけた。

「ゲオルクはこの採掘場の責任者だ。貴重な話もしてもらえるだろう。勉強しておいで、オスカー」

 オスカーは心なしか口元を引きつらせたように見えたが、次のしゆんかんには「おおせのままに」と答えた。ここまで言われてしまってはゲオルクも折れるしかなく、二人はいくにんかの騎士を引き連れてはなれて行った。




 理沙は採掘者達から様々なことを聞いた。よう条件はもちろんのこと、普段仕事をしていて危険に感じたことはないか、不安に思っていることはないか、どんなさいなことでもいいから話してほしいと言った。

 結果、理沙は内心でみすることになった。ゲオルクを先に行かせてしまったことをこうかいする。今この場にいたら、むなぐらを摑んで『人権』という言葉をいちから説明して説教してやりたい気分だった。それほどまでに、採掘者達の労働環かんきようはひどいものだった。

 ──でも、ゲオルクに文句を言っても根本的な解決にならない。こんな労働環境を許しているのは、すべての責任者であるさいしようだもの。

 その後、採掘者はもう一度採掘場とその周辺を案内してくれた。先ほどは気付かなかったが、坑道の少し離れた所には、小さなくぼみがある。

「ここは礼拝堂なんです」

 背中をかがめないと入れないほどの大きさにられた小さな部屋の中に、さらに箱のようなものがあった。戸が二つ付いていて、中心に取っ手がある。中には聖女の像があるらしいが、開いて見たことはないと採掘者達は語った。そこにあるだけでいいのだと言う。理沙もまた開くことはしなかった。ここは彼らの心のり所であり、理沙がれるべき場所ではなかった。

 また採掘場へ入っていく。坑道内を歩き続けて、採掘している広い場所へと出た。その時、横に立ったザックがげんな顔で言う。

「おい。さっきからお前の指輪、なんか光ってないか」

「え?」

 理沙は自分の指にはめているダイヤの指輪を見た。確かに、あわく光ったり消えたりをり返している。それは不規則で、歩きながら全く光らない時もあれば、とつぜん光り出したりもする。

 当たり前だが、もとの世界で指輪が光るなどという現象は起こったことがない。この世界に来てからも、なかったはずだった。

「最初にこうどうに入った時も光ってたぞ」

「そうなんですか? 気付かなかった……、って、うわっ」

 指輪に気を取られていると、でこぼこの地面に足をとられて転んでしまう。

だいじよう?」

 差し延べられたリカルドの手を取ろうとした時。理沙は地面に、すいしようのようなとうめいな石が無数に散らばっていることに気付いた。立ち上がるのも忘れ、それをまみ上げる。

「……これは……」

 理沙が転んだことに心配して駆け寄ってきた採掘者の一人が、理沙の持っているものを見て苦笑いした。

「ああ。それはこの採掘場で時々採れる石なんですが、あまりのかたさにけんすることもできなくて、ほかの宝石といつしよにすると傷付くし、ただはいされるだけのがらくたなんです。もう少したまったら、手押し車に入れて外に捨てに行くつもりだったんですけど……」

 理沙は目を見開いた。

 ──ちょっと待って……。

 他の石を傷つけるほどのこうを持つ石。

「……うそ……」

 それは世界一有名な宝石といってもいいだろう。永遠のかがやきとうたわれる、宝石の中の宝石。

「これ、ダイヤモンドの原石だ……!」

 ふるえる両手で、透明な石をすくうようにして持つ。見れば、かなり大きい石もある。研磨してけずることになるにしても、かなりの大きさを残せるだろう。

「だいやもんど……? なんですか、それは」

 採掘者達は、一様に首をかしげた。彼らはそもそもダイヤモンドを知らないのだ。だからこの石をがらくただと言い、廃棄してしまえる。ダイヤモンドはみがいてこそ真価を発揮する宝石だ。確かに今の見た目では、決して美しいとは言えない。

 理沙は自身の指輪を指差してさけんだ。

「これがダイヤモンドです! この石は、これの原石なんですよ!」

「こ、こんな見たこともないれいな宝石と、同じものだなんて思えません」

 採掘者達が信じられないといった顔で言う。リカルドもまじまじと指輪を見つめた。

「暗いから見えづらいけど、研磨の技術がすごいことはしろうとにも分かるよ。こんなことできるのかい? 光を閉じ込めて乱反射させて、更に輝きが増してる」

「技術があれば、可能です」

 コンピューターも現代の研磨機などもないので、ここまでのせいな研磨はできないかもしれないが、近づけることはできるはずだ。

「ああもうどうしよう、ダイヤモンドの原石なんて初めて見た……!」

 理沙はドキドキと高鳴る心臓をなだめようと、片手を胸に当て、指輪をしているもう片方の手をかべに当てることで体を支えた。その時、また指輪が光った。なんのへんてつもないむき出しのいわはだに、わずかに透明な石が見えかくれしている。まさかと思いながらさいくつ者達を呼ぶ。

「……ここ、掘ってみてもらっていいですか?」

 採掘者達がおのり上げると、わずかの間に、ダイヤモンドの原石が連なって発見された。

「どうして分かったんですか!?」

 驚く声を耳にして、しかし理沙こそが一番驚いていた。理沙は確信を深めようと、指輪を岩肌に近付けながら、歩き出す。また、光る場所があった。たのんで掘ってもらうと、やはり宝石が見つかった。ダイヤモンドだけでなく、エメラルドの原石も発見できた。

 ──宝石の鉱脈を発見すると光るってこと?

「なんなのこれ! どうしちゃったの私の指輪!」

 理沙はわけが分からず自身の指輪を見つめる。

「すごい! 聖女様はやはりせきをもたらすんだ!」

「ええ? いやっ、私がもたらしたわけじゃないっていうか……!」

 採掘者達がまたひざを折って、その場にひざまずいた。確かに指輪の力は不思議で、理沙も理由が説明できない。

 ──と、とにかく指輪の件は後で考えよう。

 奇跡でもなんでもなく、今理沙ができることがあるからだ。採掘者達にダイヤモンドの原石をいくつか分けてもらい、理沙はその足で宝石を研磨するこうぼうへ行くことを決めた。


 ゲオルクに事情を説明し、彼を伴って理沙達は城にもどる前に工房へと寄った。

 理沙は自分にできることから始めてみようと、胸の内で決意していた。ジュエリー会社で働く自分だからこそやれることがあるのかもしれないと、ぎゅっと両手をにぎりしめる。

 工房のあるメルヒオールという街は、採掘場があるクラウゼン村から馬車で二十分ほどの近さだった。ここはルシアン王国の宝石の研磨とそうしよくを一手に引き受ける工房の町だ。職人が多く住み、工房ではおそくまで明かりがともっているという。

 馬車はいつけんの工房の前で止まった。宝石というきらびやかなものを作っているとは思えないほどの、灰色の無機質な建物だ。外から見ると窓が全くなく、理沙はいやな予感を覚えながらも足をみ入れる。

 ──なにこれ。暗すぎる!

 まだ日はかげっていないはずなのに、室内は夜のように暗かった。案の定、窓がひとつもない。そしてここでもまた、細かなりゆうのようなものがただよっていた。石を磨く時にでる粉が空気中にうのだ。

 部屋には二十人ほどの人々がに座り背中を丸めて、一心に手元の宝石を研磨している。

 ゲオルクが「マルコ」と名前を呼んだ。すると一番年としかさだろう男性が、部屋の奥から立ち上がってやって来る。理沙を見ると少しおどろいた様子だったが、すぐにぶつちようづらに戻ってしまう。短くり上げたかみからのぞく額とけんしわが寄って、まるでにらまれているように見えた。

「聖女様。こちらはこの工房の責任者であるマルコ・キルシュです」

「初めまして。リサと申します」

 いつしゆんためらい、自分の名前だけを口にした。今まではずっと、この国の人間ではないのだからとかたくなにフルネームで自己紹しようかいしてきた。しかしルシアンでがんってみようと決めた今、この国の人々が呼びやすくみやすいように名前だけがいいのではないかと判断したのだ。

「さっそくですが、こちらの石を研磨していただきたいんです」

 理沙はかわぶくろに入ったダイヤモンドの原石を取り出す。するとマルコはたんに苦い顔になった。

「これはだめだ。硬くて研磨機がだめになる。前も持ってきて失敗した。知らないのか」

 眼光鋭するどく睨まれて、理沙は、うっと後ずさりしたくなったがなんとか踏ん張った。

 ダイヤモンドの歴史は、研磨のちようせんの歴史でもある。ダイヤモンドが発見された当初、この宝石はあまり注目されていなかった。色のついた宝石のほうが、何倍も価値があったのだ。さらにダイヤモンドは宝石の中でも一番の硬度を持つため、研磨することもままならない。

 しかし先人の職人達は試行錯さくり返し、たった一つ、ゆいいつ無二の方法を発見した。

「磨く方法があるんです」

むすめになにが分かる」

「こ、小娘とは何事だ! こちらは聖女様だぞ!」

 ゲオルクが目をくが、理沙はこちらの態度の方が当たり前なので気にしなかった。このマルコという人物も、ザックと同じような人種なのだろう。仮にも一番の責任者であるゲオルクに対しても全く動じていない様子だった。

「聖女様が奇跡でも起こしてくれるってのか?」

 き捨てるようにして言われたマルコの言葉に、理沙は首を横に振った。

「ダイヤモンドは、ダイヤモンドで磨くんです」

「……なに?」

 マルコがげんな顔になる。理沙は方法を説明した。ダイヤモンドの原石同士をこすり合わせて粉末を作り出し、その粉末をつけた皮で原石を磨く。一番簡易な方法だ。つまりダイヤモンドを磨けるのは、同じダイヤモンドだけなのだ。

 この発見から、ダイヤモンドの価値はやく的に高くなった。様々なカットが編み出され、ダイヤモンドはどんどん美しく洗練されていく。ダイヤモンドは素材の美しさというより、人々の手が入ることによって輝く宝石なのだ。

「お願いです、やってみてください。どうしてもだめなら、道具だけでも貸してもらえませんか。あの、私、磨いてみるんで」

 技術など全くないがやるしかない。一歩も引かない理沙のまなしを見た後、マルコはいらったためいきを吐いた。

しろうとに、道具にさわってほしくないからな」

 理沙の手から、しぶしぶ原石を受け取る。そして説明した通りに石を磨き始めた。手作業で時間がかかるが、時々柔やわらかな布で表面をぬぐってみると、輝きが増しているのが分かる。

「……おお……!」

 集まってきたほかけん職人達がかんせいを上げる。理沙の指輪からはまだまだおとるが、これぞダイヤモンドという輝きが生み出されようとしていた。


 理沙は知らなかった。

 理沙達が城に帰った後、採掘場と工房では人々が興奮気味にまくし立てていたことを。人々は家族に、仲間に、街の人々に、その出来事を語って聞かせていた。

 様々な人々の口にその話題は上り、しやくされ、削られたかと思えば、今度はちようされていく。

『聖女は採掘場でなみだを流し、新しい宝石を生み出した。その宝石は無色だが、聖女の手によってどんな宝石にもないかがやきを導き出した。聖女は、その宝石を自在に生み出すことができる』

 そんなうそと真実が混じり合ったうわさが、国中に広がる。

 聖女がこの地に奇跡をたずさえ舞い降りたのだと、ルシアンのたみすべてに知れわたることとなった。


 城に戻った理沙は、翌朝からさっそく行動を開始した。

 朝一番に、ロレンツに面会を申し出る。護衛のザックはまだねむそうで、これから自国の王子に会うというきんちようかんが全くなかった。

 ふたのレーアとレーナががおむかえてくれたが、ザックは無視してさっさと部屋に入る。

「ザック。あいさつは人としての基本だと思います」

「ああ? 挨拶しろってよう条件に書かれてあったか? ねえだろ?」

「……今から付け足していいですか?」

「だめだ」

 注意しても全くこたえた様子がない。理沙は溜息を吐いた。

 理沙とザックの姿を見て、ロレンツが椅子から立ち上がってけ寄ってくる。

「おはようございます、ロレンツ王子。朝早くに時間を作ってもらってすみません」

「いいんです。昨日は僕の代わりに視察を務めてくださって、おつかれではないですか?」

 ロレンツにうながされ、理沙は椅子に座った。すぐさまレーアとレーナがお茶をれてくれる。ザックはそのままかべに体を預けて待機の姿勢になった。うでを組んでだれよりえらそうなのが気になるが、とりあえず理沙は見なかったことにした。

だいじようです。それよりロレンツ王子にお願いがあるんです。というか、提案、になるんですけど……」

「提案ですか?」

「昨日、この国では新しい宝石となる、ダイヤモンドの原石が発見されたんです」

 理沙が原石を発見したけいを説明すると、ロレンツはうなずき、じっと考えるような目つきになった。そうして微笑ほほえむ。

「リサ様が新しい宝石を発見した事実は大きいと思います。聖女のこうは更に強くなったでしょうね」

「うーん。そんなことはないと思いますが」

 本当に自分がこぼした涙が宝石になるならせきだろうが、そうでないなら言い伝え通りではないだろうというのが理沙の意見だ。

「でもまあ、とにかくこれは宝石だと言ったのは私です。それで、このダイヤモンドの採掘からそうしよくまでを、ロレンツ王子と私でかく運営しませんか、という提案をしに来たんです」

 ようやく本題に入った。ロレンツは理沙の提案に驚いた顔を見せる。

「僕と、ですか?」

「ええ。仮に聖女の威光があるとしても、それは表面上のことです。きちんとした後ろだてがないと、事業というのはうまくいきませんから」

「後ろ盾というのはつまり、王子である僕の地位と、あとは資金面でのことですか?」

 理沙の言いたいことをそくに先回りして答えてくれた。頭の回転が速く、シビアな面もきちんと理解している。

「まあ! いいじゃないですか、ロレンツ様!」、「私達、おうえんしますわ!」とレーアとレーナがはしゃいだ声を上げる。しかし、ロレンツは少しさびしげな笑顔を見せてまぶたせた。

「でもそれなら、さいしようやそれこそ国王様の方がよっぽどゆうしゆうな後ろ盾になってくれますよ。あなたの願いを断る人なんていないでしょう。ましてやそれが宝石のことならなおさら

「私はロレンツ王子がいいんです」

 理沙は言い聞かせるようにして伝える。途端にロレンツの目のふちが赤くなった。

「ロレンツ王子は、立派な王になるために努力されています。そういうロレンツ王子だからいつしよにやりたいんです」

 体が弱いせいで、周囲から心ない言葉ももらっただろう。なによりロレンツ自身が一番、自分をないと思っていたのかもしれない。しかしそんな中で、彼は投げやりになることなく、だまって努力を続けてきた。一見して線が細くにゆうな印象のあるロレンツだが、実は彼はしなやかな強さを持っていると理沙は感じていた。

「次代の王が事業をやることで、国民も自分達の国はこれからもあんたいだと信じられると思うんです。そう思わせられる能力とひとがらを、ロレンツ王子は持っています」

「……リサ様……」

「ですが、やるからには成功させなくちゃいけません。宝石事業は国家事業でもあります。国民の税と労働をにしてはいけない。責任は重いです。どうですか? 一緒にやっていただけませんか?」

 ロレンツはまゆを下げ、ふいに泣きそうな顔になったかと思うと、うつむいてひざに乗った両手をきつくにぎりしめた。それから背筋をばして、ぜんとした顔を見せる。

「僕はずっと、王子として国のために動きたかった。今までは体調がそれを許してくれませんでしたが、今はもう安定していて調子もいいんです。ううん、少しくらいくずれたっていい。後でんだっていいです。やりたいです、やらせてください」

 理沙はロレンツに片手を差し出した。察したロレンツが力強く握り返してくる。

「では、パートナー成立ですね」

「ぱーとなー?」

 きょとんとするロレンツに、理沙は頷く。

「おたがいが対等で、支え合う仲間ということです」

 ロレンツはその意味をみしめるようにまばたきをして、やがて今日一番の笑みを見せてくれた。




 理沙はもうひとつ、城にもどってからやろうと決めたことがあった。

 それは、宰相がみつに宝石を売って私腹を肥やしているしようともいえる、うらちよう簿を見つけ出すことだった。この裏帳簿さえ見つかれば、宰相を今の地位から引きずり下ろすことが可能だ。

 実はさいくつじように行くか迷った時、裏帳簿の存在は頭をぎった。しかし、国をるがすような悪事をあばかくが、その時の理沙にはできていなかった。

 ルシアン王国物語の中では、宰相は裏帳簿を書き記し、それをかくし部屋に保管していた。

 裏帳簿探しをひとりでやるのは心もとない。協力者が必要だ。理沙はザックに見張りをたのみ、その間に裏帳簿を探すことにした。

 隠し場所は分かってる。城の書庫にある、小さな物置部屋だ。そこははいする本や未分類の本が積まれていて、司書すら存在を忘れてしまいそうな場所だった。石を積み重ねた壁のある一点を押すと、わずかなすきができて、そこに裏帳簿が隠されている。

 ──って、本には書いてあったけど。

 午後を少し回った時間、現在国王と宰相は会議の真っただ中だ。このスケジュールを入手するのも大変だった。ラードルフはなかなか自身の動向をさぐらせてくれないのだ。念のためにザックにラードルフの動向を見張ってもらい、理沙は書庫へと急いだ。

 司書からも見られないように小部屋に入って、息を整える。

「えっと。西側の壁の、右から四列目、上から十五個目の石……」

 理沙は人差し指でしんちように積み上げられた石を数え、目当ての石を見つけると指でそっと押した。石はズズッと動き、片目をつむって中をのぞきこむ。

「…………ない………」

 すっと心臓が冷えた。心の底でしていたことが現実になる。

 ──やっぱり、本の内容は絶対じゃない……。

 確かに本の通り、隠し場所となるところはあった。しかし、現実に裏帳簿はない。理沙が未来を変えてしまったからないのか、それとも……。

 理沙はもっと目をらして暗がりの空間を見た。すると、なにかを引きずったような、ほこりあとがある。

「まさか、宰相が……」

 ──隠し場所を変えた?

「──なにしてるの?」

「………っ!」

 理沙がビクッとかたを揺らしてり向くと、リカルドが背後に立っていた。彼の後ろにはオスカーの姿もある。

「なっ、なんでここに」

「それはこっちの台詞せりふだよ。君がこそこそ書庫を歩いていくのが見えたから、気になってついてきたんだ」

 とびらが開く音すら気づかなかった。この部屋の扉のちようつがいびており、つうに開ければきしむような音がするはずだった。つまりリカルド達はそっと扉を開き、気配を消して近づいてきたのだ。一気にけいかいしんが高まる。

「こそこそなんてしてないです」

「そう? ザックも付けずに、ずいぶん無防備だ。もしかして彼にもないしよなのかい?」

 リカルドはされてはくれず、理沙の後ろの壁をじっと見ている。

「内緒って、意味が分かりません」

 隠さなければと体をずらそうとした時、リカルドの手が壁をつき、理沙は彼の腕の中にらわれた。

「な、なにしてるんですか……。放してください」

「まだ俺の質問に答えてないよ。こんな場所に、なんの用があって来たの」

「本を見ていただけです」

「君はうそ下手へただね」

 さあ秘密を話してというように、指が理沙のくちびるれた。

 理沙はぐっとうでを体の前で伸ばして、リカルドを押し返そうとした。

「放し……!」

「──リカルド様!」

 オスカーのあせったような声と共にガタンと音がして、空気を切りくように目の前に赤毛が飛び出してくる。ザックだった。押し返していたリカルドの体が離れる。

 理沙とリカルドの間にはザックの姿がある。リカルドのすらりとした首元には、ザックが押し付けたやいばがあった。寸分のくるいなく、急所をねらっている。後ろでは、オスカーがゆかしりもちをついていた。部屋に入ってきたザックに応戦しようとしたのかもしれない。だがザックはオスカーをすぐさま制止し、リカルドへと向かってきたのだ。


 リカルドは微笑ほほえんだままの表情を変えず、ゆっくりと両手を上げてみせた。

「……来るのがおそすぎるんじゃないか? 護衛騎の自覚あるの?」

「こいつから離れろ」

「はいはい」

 後ずさったリカルドは、目を瞬かせる理沙に微笑んだ。

「ザック相手じゃ俺達に分が悪い。退散するよ」

 そうしてオスカーをともない、部屋から出て行った。

「俺達も出るぞ」とザックが理沙の肩をたたく。ザックはさいしようが会議を終えたので、理沙に知らせに来たのだ。

 書庫をけて、理沙はようやく大きく息をいた。

「あいつになにかされたのか?」

「……ううん。だいじようです」

 しかし、明らかに理沙をしんに思っただろう。かべの穴を熱心に見ていたのは確かだ。理沙がなにかを隠しているように見えたかもしれない。だがさすがに、他国の王子にルシアンのはいした暗部を見せるわけにはいかない。

 ──『なんの用があって来たの』なんて……。

 そんなことはこちらだって聞きたかった。理沙の姿が不審だったからついてきたと言っていたが、信じられない。仮に本当だとしても、しつようなほど理沙に書庫にいる理由を聞いてきたのはなぜなのか。

「気を付けろ」

 ふいに、ザックが口を開いた。

「あの王子を信用するな」

 ザックもまた、リカルドに秘密のにおいを感じ取っているのだ。

 リカルドの秘密。それはどうして彼がこの国に来たのかという疑問に立ち戻っていく。理沙は何気なく視線を下げ、視界に入った自分の右手を見つめた。ダイヤモンドの指輪がはめられている。それを見たしゆんかん、あるわくかび上がってきた。

 なにもかもを手にしているキンバリーという大国が、ゆいいつ持ち得ないもの。それは宝石だ。

 ──もしキンバリーが、ルシアンの宝石を狙っているのだとしたらどうだろう?

 今は労働者達がへいして不満も高まっており、め入るにはうってつけだと判断したのかもしれない。

 ──つまりこの国に来たのは、ルシアンに攻め込むための……視察?

 自分の想像に、ゴクリとつばを飲み込む。あり得ないと否定することができないのが、なにより苦しかった。採掘場へ無理をいって付いて来たのも、理沙の行動を知りたがるのも、宝石を得るためなのだろうか。分からない。理沙は力なく首を横に振った。

 ──ほんの少しだけだけど、リカルド王子という人のことを知れたと思ったのに。

 採掘場で見せた王子としての姿、理沙を立ち上がらせてくれたしんな言葉。近づけたと思ったリカルドの姿が、また遠くなってしまったような気がした。

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聖女様の宝石箱 ダイヤモンドではじめる異世界改革/文野あかね 角川ビーンズ文庫 @beans

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