二章 ニセモノ聖女の奮闘 ①

 ついにさいくつじよう視察の日がやって来た。

 理沙は国王が用意した馬車に乗せられて、採掘場を目指している最中だ。護衛として三十人ほどの騎士と世話係が随行しており、かなりの大所帯での移動だ。なぜここまで大所帯になってしまったのか、理由は馬車の向かいに座る人物にある。

「朝から不機嫌そうな顔だ。もうそろそろ、がおを見せてくれてもいいんじゃないか?」

 リカルドが、さわやかな笑顔で首をかしげた。

 ためいきを吐いて、理沙は背もたれに体を預ける。リカルドはどんな手を使ったのか、視察に同行できるよう国王に要望を捻じ込んで、しかもそれを当日まで理沙にはないしよにしていたのだ。

 理沙の乗った馬車に当然のように乗り込んできた時、どんなにおどろいたことか。

 警備の数が倍になったのも、他国の王子に万一の危険もないよう追加で配備されたからだ。

「誰のせいで笑顔が出ないと思ってるんですか」

「俺はうれしいのに。君と密室に二人きりだ。……どうしようか?」

「ザーック!!」

 ぐっと前のめりで近づいてきたリカルドから逃げるようにして、理沙は外に向かってさけんだ。

 ザックは現在、護衛として馬に乗り、馬車と並走していた。リカルドの従者であるオスカーもまた同じで、近くにいるはずだ。

 ややして、心底面めんどうくさそうなザックの声が外から聞こえてくる。

「なんだよ。うるせえ」

「雇用主のていそうおびやかされてます!」

「……キンバリーの王子の気が知れねえな。こんな小うるさいのの何がいんだか。そこら辺に転がってる石のほうが、まだ静かでいい」

 理沙は顔を引きつらせた。全くこのときたら、口が悪いったらない。

「リサは美人じゃないか」

「ややこしくなるからリカルド王子はだまっててください」

 楽しげに口をはさんだリカルドを制して、理沙はザックに言った。

「とにかく、私が声を上げたら助けてくださいね!?」

「へいへい」

 適当さがけて見える返答だ。それでもげんは取ったぞ、とけんせいを込めてリカルドを睨みつける。リカルドはしようしながらかたすくめた。

「最強の騎士に逆らう気はないよ。それにしても、君はよくあのザック・ハルトマンを手なずけたものだね。この騎士団でも手を焼いているというじゃないか」

 理沙はいぶかしげな顔になった。

「どうしてそんなこと知ってるんですか」

うわさで聞いたんだよ。それに、ザック・ハルトマンはキンバリーでも聞いたことがある。とても強いようへいだったからね。うちの国の近衛騎士団長も、かんゆうしたかったと言っていたし」

「へえ……」

 他国までその名声がとどろいているとは、ザックの強さは本物らしい。しかしまだ理沙は、ザックがひるをしているところしか見ていないので、いまいちすごい護衛を得たという実感がない。

「どんなほうでザックを射止めたのかな」

 きようしんしんのリカルドに、全部を教えてやる義理はない。しゆがえしも込めて理沙は答えた。

「秘密です!」




 王都から三時間をかけて、理沙達は採掘場へととうちやくした。

 今回視察することになったのはエメラルドの採掘場で、責任者であるゲオルクという男性が今やおそしと待っていたらしい。理沙の姿をかくにんすると、こちらがきようしゆくするほどに頭を下げてふるえる声を出した。

「聖女様におかれましては、このように採掘場までおしいただきまことにありがとうございます。こんな日がおとずれるなんて、夢にも思っておりませんでした。感激しております」

「か、顔を上げてください!」

 ゲオルクはおずおずと理沙の顔を見て、しかしすぐに視線をらしてしまう。そこでようやく、となりに立っているリカルドに気付いた様子だった。ルシアンの国民にとっては、どうしたって聖女の方が有名なのは仕方ない。

「あっ、ええと、リカルド王子でいらっしゃいますね。採掘場へようこそおいで下さいました」

 しかし、リカルドは気を悪くする様子はない。

「いや。こちらこそ、無理を通して連れてきてもらったんだ。責任者の君にも、警備などで余計な手間をかけさせてしまってすまない」

 目をせて、リカルドは僅かにこしを折った。一国の王子からの、最上級のいたわりの言葉だ。続けてリカルドは、周囲の護衛騎士達を見回して言った。

「君達も、他国の王子の護衛という難しい任をになってくれて感謝している。ルシアンの騎士はみな、宝石のようながたい騎士道と忠誠心を持っているな。ルシアンの国王もほこらしいだろう」

 騎士達が、顎をきゅっと上向けて誇らしげな顔になったのが分かった。最初は王子が来ると聞いてまどい、口には出さずとも不満げだった騎士達の態度が変わったのをはだで感じる。

 理沙は思わず目を丸くして、リカルドを見返した。

 ──なんか、本当の王子みたい……。

 失礼すぎる感想を内心呟つぶやく。理沙相手に口説き文句まがいのことを言うリカルドしか知らないので、こういう姿はしんせんに思えた。自分が来ることで周りが受けるえいきようを、きちんと自覚しているのだ。自分本位にっているように見えて、周囲をきちんと観察している。

 ゲオルクは、他国の王子から言葉をかけられて嬉しそうだ。なにより騎士達は、リカルドを敬うべき相手としてしっかり認識したようだった。視察中、他国の王子になにかあれば重大な国際問題だ。そんな自分達が負うべきリスクと、それでも騎士としてやりげようとする誇りを、リカルドが尊重しんでくれたのが分かったからだろう。しかも国の宝ともいえる宝石にたとえられたことは、騎士達の自尊心をくすぐったはずだ。

 リカルドがさつそうと歩く様に、騎士達が自然とわきけてこうべを垂れる。ロレンツ王子にはまだない、人をき寄せ従わせるカリスマ性のようなものを感じた。

 なごやかなふんのまま、理沙達はゲオルクを案内役にして歩き始めた。採掘に使うかつしやや手押し車、岩をくだくための小型のおののようなものなど実際に見せてもらって、道具について説明を受ける。リカルドはどれも興味深そうにながめて、時折質問も交える。しかし理沙の横を歩くザックはすでにきたと顔に書いてあり、態度でも示すのでハラハラした。

さいしようも視察に来られたりするんですか?」

 ふと気になってたずねてみる。ゲオルクはどう答えていいのか分からないような、みような笑みを見せた。

「ええと。宰相様はとてもおいそがしい方なので……」

 つまりは来たことがないのだろう。ゲオルクがわざとらしく話を変えた。

「あっ! 見てください。ここがこうどうの入り口ですね。先ほど見せた手押し車に中でった岩をせて、ここまで運んできます。では次に、実際に採られた原石をお見せしましょう。風通しのよいかわべりに、そくせきで屋根をつけました。お茶の用意もできていると思いますので、きゆうけいいたしましょう」

「えっ」

 理沙はそのまま坑道を通り過ぎようとするゲオルクに声を上げた。

「あの、中は見ないんでしょうか。それにさいくつ者の人達とお話とか……」

 つう、視察というのはそういうものだ。採掘場を見ないなど、視察に来た意味がない。

 戸惑う理沙に、ゲオルクはいつしゆん顔をこわらせた後、すぐに取りつくろったみを見せた。

「今日は採掘はしていないんです。中を見てもなにもありませんよ」

 理沙はまゆを寄せ、くちびるを引き結んだ。

 ──うそだ。この人、採掘場を見せたくないんだ。

 ジュエリー会社に就職して、多少なりとも宝石の採掘がこくな仕事なのは知っている。先ほどからゲオルクは理沙達に、必要最低限のれいな部分だけを見せようとしていた。

「私は中が見たいです。見せてください」

 そう言うと、坑道へと足を向けた。リカルドはおもしろがるような顔で、止めはしなかった。

「お、お待ちください! そちらはダメです!」

 あわてるゲオルクの声が背後にかかるが、無視して進む。坑道内に入ると、むっとした湿しつが肌にまとわりついた。気温も高く、すぐにあせばんでくる。とうかんかくるされたカンテラの明かりだけがたよりの、うすぐらせまい道だった。

「リサ」と、すぐ近くから声が聞こえた。

かくはできてるのかい」

 リカルドの声だ。彼もゲオルクを振り切って、すぐ理沙の後ろを付いてきたらしい。

「覚悟?」

「これから見るものの、覚悟だよ」

 ひそめられたその声はいっそやさしげに聞こえるのに、なぜかき放されたような冷たいひびきがあった。振り返りそうになると、ふいに広い空間に出た。

 ガッ、ガッと岩を砕く音が鳴り響き、ふんじんが舞い散る。理沙は思わず口を手でふさいでいた。

 そこでは二十人ほどの男性が、石を砕いては手押し車に入れていくという作業をり返していた。うすの白いシャツらしきものは粉塵で黒くなり、まくってむき出しのうでや顔も黒い。らくばんから身を守るようなヘルメットも、防塵マスクもしていなかった。まつな布で口をおおって、後ろでしばっているだけだ。彼らはその身ひとつだけで、死ととなり合わせの危険な採掘をしていた。

 断続的に石を砕く音。それに呼応するように耳をかすめる、あらい呼吸音。

 理沙は言葉なく、その場であつとうされていた。

 知っていた。テレビで、会社の研修で、本で、採掘がどれだけ大変なのか知っているつもりだった。だがその想像の何倍も、何十倍も現実は過酷だ。空気の悪い高温多湿しつかんきようで、男性達の顔からは絶え間なく汗がき出ている。だが流れる汗までもが黒く、彼らのひとみの白い部分だけがやけに強調されている。それほどに、全身が黒くよごれているのだ。

 ──安全装備をもっとじゆうじつさせないと。労働環境が悪すぎるよ。休憩時間は? 水分補給は? ちゃんと取れてるの……?

 無意識にそんなことを考えていると、手前で岩を砕いていた男性が、理沙に気付いて顔を上げた。理沙はとつに口元に当てた手を下ろす。

 男性は目を見開き、カランと持っていた斧を落とした。

「……っ、あ」

 言葉が出てこない様子で、食い入るように理沙を見つめている。男性の様子に気付いたのか、ほかの仲間達もいぶかしげに男性の視線の先を追い、そしてぼうぜんとした。

「せ、聖女様……?」

 そのうち一人が、おそる恐るといった様子で言った。少しでも大きな音を出せば、理沙が消えてしまうんじゃないかと恐れているような、そんなひそやかな声だった。

「本当に? 俺、目がおかしくなっちまったんじゃないのか……?」

「そんなことねえよ。だってほら、かみが黒い。瞳も真っ黒だ……」

「聖女様だよ……!」

「夢じゃねえのか」

「なんでここに」

 さざ波のように「聖女様」「聖女様だ」という声が広がっていく。

「──俺達のところに来てくださったんだ!」

 だれかのその言葉が響きわたった時、男性達はかみなりに打たれたようにいつせいにその場にひざまずいた。

「やっ、やめてください! 皆さん立ってください!」

 慌ててけ寄ろうとすると、男性の一人が顔を上げて理沙を見つめる。

 理沙は足を地面にい留められたように、動けなくなった。

 その男性の瞳には、あふれそうなほどのなみだまっていた。顔をしわくちゃにして、かたをぶるぶるとふるわせる。

「ありがてえ……、聖女様がここに来てくださるなんて、どんなにつらくても、今日までがんってきてよかった……!」

 理沙は目を見開く。男性は視線を外し、地面に額をこすり合わせる。

「この姿を、皆が聖女様を支えに働いている姿を、見せることができて、よかった……!」

 そのかんきわまったような言葉は、まっすぐなえいもののように、理沙の心にさった。

 かっとほおが赤くなった。足先から、とてつもない罪悪感としゆうしんい上がってくる。

 ──私は、そんなことを言ってもらえるような人間じゃない。

 自分はなんのために今日、ここに来た? ロレンツの死をかいするため、そして何より自分自身が帰るために来たのだ。そのために採掘場視察を利用したと言ってもいい。そこで働く人々のことなど全く考えもせず、のこのことここにやって来た。それでいて、無視することもれいてつに突き放すこともできず、ちゆうはんな反発心から坑道へと入ったのだ。その後に待ち受ける現実を、受け止めることもできなかったくせに。

 そんな自分勝手で利己的なにせものの聖女に、彼らは跪き、涙を流している。働く姿を見せることができてよかったと、そんな心からの言葉を言ってくれる。

 唇が戦慄わななき、たった一言言うのがやっとだった。

「ごめんなさい……」

 男性達が理沙の様子に気付いて、不安げな様子になった。

「聖女様?」

 真っぐに聖女をづかってくれるまなしに、もうこれ以上、たいしていられない。

 理沙はきびすを返し、もと来た坑道を走りけた。「おい!」とザックの声が背中にかかったが、そのまま外に出て待機していた達の横もすり抜けてひたすら走った。

 当然土かんのない場所で、やみくもに走り続ける。するとどこからか川の流れる音が耳をついて、引き寄せられるように足を向けた。

 木々をかき分けると、広い場所に出る。見覚えのある川辺に辿たどり着いた。

「……ここ……」

 息が上がって苦しい。大きく体全体で呼吸しながら、おくはんすうする。そして確信した。ちがいない、自分は今、最初にたおれていた川辺に立っている。

 帰りたい。その思いが、なによりも強くなる。家族に会いたい。友人に会いたい。慣れ親しんだ場所にもどりたい。そして利己的な自分を、この世界に捨ててしまいたかった。

 ──いつもの日常に戻りたい……。ううん、戻れる。この、川にさえ飛び込めば……!

 ちゆうちよはなかった。げるように、理沙は川に身を投じた。

 大きなしようげきの後、全身が水に包まれる。すその長い服が水中でクラゲのようにらめき、足にからみついた。水の底へ底へと降りていく。

 ──帰りたい、帰りたい、帰りたい!

 ひたすら念じて、時間が過ぎるのを待つ。それなのに、理沙はいつまでも水の中にいた。息はすでに限界にきている。もがきながら身をよじったその時。

 腕をものすごい力で引っ張られ、理沙は水面へと顔を出した。そのままかわべりまでつかまれ、また引っ張られて、地面に転がった。

「……っ。ごほっ。う、」

 体を丸めてき込み、飲んでしまった水をき出す。それから肩を大きく揺らして、望んでいた酸素を無我夢中で肺に送り込んだ。

「──この鹿女。勝手に出てって、見つけたと思ったらおぼれてるってどういうことだよ」

 低くうなるような声がして、理沙はのろのろと顔を上げた。ザックが、全身ずぶれになりながら理沙をにらみつけている。

 となりにはリカルドの姿もあった。彼もまた濡れたままなにも言わず、理沙を見下ろしている。たぶん、追いかけてきた二人が理沙を川から引きげてくれたのだ。二人がどの時から理沙を見ていたか分からないが、ザックの口ぶりからして、理沙が飛び込んだ後だろう。誤って川に入り、溺れていたのだと思っているのだ。

 お礼を言わなければ、と咄嗟に思う。しかし、口をついて出てきたのは全く別の言葉だった。

「……帰れない……」

 言ったしゆんかん、理沙を支えてきたすべてが消え去った気がした。今までどんなに不安に思っていてもえ続けてきた涙が、せきを切ったようにボロボロとこぼれ落ちる。

「……っ、帰れない。どうして……? 川に飛び込んだら帰れるんじゃないの?」

「は? 何言ってんだお前」

 ザックがげんな顔になるが、理沙は混乱してまともに答えられない。

「どうすればいいの。これが正解だと思ったのに。帰れるって思ってたのに……! 家族に会いたい! 元の世界に帰りたい!」

 大の大人が泣きわめいてみっともない、情けないと頭のすみでは分かっている。だがいちの望みがくだかれて、もう足が動かない。泣くことしかできない。

 その時だった。


「──立て」


 低い声が頭上で聞こえて、理沙は最初、それはザックの声かと思った。

 しかし、顔を上げた先にいたのは、表情を消したリカルドだった。いつもゆうがあってにこやかな顔に見慣れている分、表情をぎ落とすとたんに冷ややかなぼうあらわになる。

さいくつじように戻るよ」

 よくようのない声でうながされ、しかし理沙はうなずかなかった。首を横にり、地面にへたり込んだまま「いやだ」と言う。

「戻るんだ」

 リカルドはもう一度促した。

すうはいしている聖女が急に出て行ったら、採掘者達が不安に思う」

「………っ、私は聖女じゃない!」

 ずっと言われ続けてきた『聖女』という呼び名を、もう許容できなくなっていた。リカルドの言葉に反射的にり返す。

「ただのへいぼんな人間なの! せきなんて起こせない……、期待なんてされても困るんだってば!」

「どう言おうが、今ここでは君がその存在だ。採掘者達は、君に希望をいだしている。彼らに、君の事情なんて分かるはずがない」

 理沙がどんなにわめいてもおこっても、リカルドの言葉は全く揺らがなかった。

「人には役目がある。時には自分の意思とは関係なくあたえられるものもあるだろう。だが、それは他人にとっては希望かもしれない。一日を生き抜く心の支えになるかもしれない。それが分かっていながら、逃げるのか。なにもしないうちに?」

「……役、目」

 言い聞かせるようなリカルドの声を耳にしているうちに、心が少しずつ落ち着きを取り戻していく。理沙の前に立ちはだかるリカルドは、とても堂々とした佇まいだった。他人に見られることに慣れていて、自分が与えるえいきよう力が分かっており、命令することに躊躇がない。

 ──そう。彼は一国の王子だ。

 リカルドもまた、次期国王という重すぎる役目を背負っている。彼がどこかに行けば、それに合わせて多くの人間が動く。言葉ひとつで人々を喜ばせ、逆に絶望させることもできる。

「与えられた役目をつらぬくんだ」

 それは彼が負う役目のように重く、しんひびきで理沙の耳を打った。

「聖女じゃないと言うなら、今この瞬間からなれ」

 いつものような甘い眼差しもなぐさめもいつさいない、厳しい言葉だった。だが、不思議なほどストンと心にリカルドの言葉が落ちてきて、いかりや反発心というものはかなかった。

 聖女になれ、とリカルドは言った。ふんじんまみれで毎日危険な採掘にいどむ彼らが、しんこうし心の支えにしている聖女という存在に。理沙がになうにはあまりにおそれ多い役目だ。でも。

 ──私はどうしたい?

 問いかけた言葉に、「帰りたい」とすぐさまさけぶ心がある。だがもうひとつ、ここにきて理沙に芽生えた気持ちがあった。

 ──私は……、採掘場で働く彼らのために、なにかしたいって思った。だれに言われたわけでもなく、強要されたわけでもない。彼らに会って、自分の中から生まれたものだ。

 まだ心は混乱している。帰りたい気持ちはなにひとつ変わっていない。だがここにきてようやく、理沙は自分がこの世界に来た意味と、自分になにができるかを考え始めていた。

 理沙を見て喜んでくれたがおかんきわまってなみだする顔を思いかべると、自然と足に力が戻る。ごしごしと目元をこすって涙をき、立ち上がった。

 今はまだ帰ることができないのだとしたら、聖女という役目を与えられているなら、ここにいる自分はなにをすべきなのか。

 ──言い伝えにあるような、すうこうけんしん的な聖女にはなれないかもしれない……。でも自分なりの、聖女にはなれる。

「……戻り、ます」

 か細く小さな声だがそう宣言して、もと来た道を歩き出す。が、ひとつ言い忘れていたことに気付いて振り返った。リカルドとザックに向かって頭を下げる。

「川に飛び込んで、助けてくれてありがとう」

 ザックはなにも言わずに横を向いただけだ。リカルドはようやく表情をゆるめて、「どういたしまして」とささやいた。

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