二章 ニセモノ聖女の奮闘 ①
ついに
理沙は国王が用意した馬車に乗せられて、採掘場を目指している最中だ。護衛として三十人ほどの騎士と世話係が随行しており、かなりの大所帯での移動だ。なぜここまで大所帯になってしまったのか、理由は馬車の向かいに座る人物にある。
「朝から不機嫌そうな顔だ。もうそろそろ、
リカルドが、
理沙の乗った馬車に当然のように乗り込んできた時、どんなに
警備の数が倍になったのも、他国の王子に万一の危険もないよう追加で配備されたからだ。
「誰のせいで笑顔が出ないと思ってるんですか」
「俺は
「ザーック!!」
ぐっと前のめりで近づいてきたリカルドから逃げるようにして、理沙は外に向かって
ザックは現在、護衛として馬に乗り、馬車と並走していた。リカルドの従者であるオスカーもまた同じで、近くにいるはずだ。
ややして、
「なんだよ。うるせえ」
「雇用主の
「……キンバリーの王子の気が知れねえな。こんな小うるさいのの何が
理沙は顔を引きつらせた。全くこの
「リサは美人じゃないか」
「ややこしくなるからリカルド王子は
楽しげに口を
「とにかく、私が声を上げたら助けてくださいね!?」
「へいへい」
適当さが
「最強の騎士に逆らう気はないよ。それにしても、君はよくあのザック・ハルトマンを手なずけたものだね。
理沙は
「どうしてそんなこと知ってるんですか」
「
「へえ……」
他国までその名声が
「どんな
「秘密です!」
王都から三時間をかけて、理沙達は採掘場へと
今回視察することになったのはエメラルドの採掘場で、責任者であるゲオルクという男性が今や
「聖女様におかれましては、このように採掘場までお
「か、顔を上げてください!」
ゲオルクはおずおずと理沙の顔を見て、しかしすぐに視線を
「あっ、ええと、リカルド王子でいらっしゃいますね。採掘場へようこそおいで下さいました」
しかし、リカルドは気を悪くする様子はない。
「いや。こちらこそ、無理を通して連れてきてもらったんだ。責任者の君にも、警備などで余計な手間をかけさせてしまってすまない」
目を
「君達も、他国の王子の護衛という難しい任を
騎士達が、顎をきゅっと上向けて誇らしげな顔になったのが分かった。最初は王子が来ると聞いて
理沙は思わず目を丸くして、リカルドを見返した。
──なんか、本当の王子みたい……。
失礼すぎる感想を
ゲオルクは、他国の王子から言葉をかけられて嬉しそうだ。なにより騎士達は、リカルドを敬うべき相手としてしっかり認識したようだった。視察中、他国の王子になにかあれば重大な国際問題だ。そんな自分達が負うべきリスクと、それでも騎士としてやり
リカルドが
「
ふと気になって
「ええと。宰相様はとてもお
つまりは来たことがないのだろう。ゲオルクがわざとらしく話を変えた。
「あっ! 見てください。ここが
「えっ」
理沙はそのまま坑道を通り過ぎようとするゲオルクに声を上げた。
「あの、中は見ないんでしょうか。それに
戸惑う理沙に、ゲオルクは
「今日は採掘はしていないんです。中を見てもなにもありませんよ」
理沙は
──
ジュエリー会社に就職して、多少なりとも宝石の採掘が
「私は中が見たいです。見せてください」
そう言うと、坑道へと足を向けた。リカルドは
「お、お待ちください! そちらはダメです!」
「リサ」と、すぐ近くから声が聞こえた。
「
リカルドの声だ。彼もゲオルクを振り切って、すぐ理沙の後ろを付いてきたらしい。
「覚悟?」
「これから見るものの、覚悟だよ」
ガッ、ガッと岩を砕く音が鳴り響き、
そこでは二十人ほどの男性が、石を砕いては手押し車に入れていくという作業を
断続的に石を砕く音。それに呼応するように耳を
理沙は言葉なく、その場で
知っていた。テレビで、会社の研修で、本で、採掘がどれだけ大変なのか知っているつもりだった。だがその想像の何倍も、何十倍も現実は過酷だ。空気の悪い
──安全装備をもっと
無意識にそんなことを考えていると、手前で岩を砕いていた男性が、理沙に気付いて顔を上げた。理沙は
男性は目を見開き、カランと持っていた斧を落とした。
「……っ、あ」
言葉が出てこない様子で、食い入るように理沙を見つめている。男性の様子に気付いたのか、
「せ、聖女様……?」
そのうち一人が、
「本当に? 俺、目がおかしくなっちまったんじゃないのか……?」
「そんなことねえよ。だってほら、
「聖女様だよ……!」
「夢じゃねえのか」
「なんでここに」
さざ波のように「聖女様」「聖女様だ」という声が広がっていく。
「──俺達のところに来てくださったんだ!」
「やっ、やめてください! 皆さん立ってください!」
慌てて
理沙は足を地面に
その男性の瞳には、
「ありがてえ……、聖女様がここに来てくださるなんて、どんなに
理沙は目を見開く。男性は視線を外し、地面に額を
「この姿を、皆が聖女様を支えに働いている姿を、見せることができて、よかった……!」
その
かっと
──私は、そんなことを言ってもらえるような人間じゃない。
自分はなんのために今日、ここに来た? ロレンツの死を
そんな自分勝手で利己的な
唇が
「ごめんなさい……」
男性達が理沙の様子に気付いて、不安げな様子になった。
「聖女様?」
真っ
理沙は
木々をかき分けると、広い場所に出る。見覚えのある川辺に
「……ここ……」
息が上がって苦しい。大きく体全体で呼吸しながら、
帰りたい。その思いが、なによりも強くなる。家族に会いたい。友人に会いたい。慣れ親しんだ場所に
──いつもの日常に戻りたい……。ううん、戻れる。この、川にさえ飛び込めば……!
大きな
──帰りたい、帰りたい、帰りたい!
ひたすら念じて、時間が過ぎるのを待つ。それなのに、理沙はいつまでも水の中にいた。息はすでに限界にきている。もがきながら身を
腕を
「……っ。ごほっ。う、」
体を丸めて
「──この
低く
お礼を言わなければ、と咄嗟に思う。しかし、口をついて出てきたのは全く別の言葉だった。
「……帰れない……」
言った
「……っ、帰れない。どうして……? 川に飛び込んだら帰れるんじゃないの?」
「は? 何言ってんだお前」
ザックが
「どうすればいいの。これが正解だと思ったのに。帰れるって思ってたのに……! 家族に会いたい! 元の世界に帰りたい!」
大の大人が泣きわめいてみっともない、情けないと頭の
その時だった。
「──立て」
低い声が頭上で聞こえて、理沙は最初、それはザックの声かと思った。
しかし、顔を上げた先にいたのは、表情を消したリカルドだった。いつも
「
「戻るんだ」
リカルドはもう一度促した。
「
「………っ、私は聖女じゃない!」
ずっと言われ続けてきた『聖女』という呼び名を、もう許容できなくなっていた。リカルドの言葉に反射的に
「ただの
「どう言おうが、今ここでは君がその存在だ。採掘者達は、君に希望を
理沙がどんなに
「人には役目がある。時には自分の意思とは関係なく
「……役、目」
言い聞かせるようなリカルドの声を耳にしているうちに、心が少しずつ落ち着きを取り戻していく。理沙の前に立ちはだかるリカルドは、とても堂々とした佇まいだった。他人に見られることに慣れていて、自分が与える
──そう。彼は一国の王子だ。
リカルドもまた、次期国王という重すぎる役目を背負っている。彼がどこかに行けば、それに合わせて多くの人間が動く。言葉ひとつで人々を喜ばせ、逆に絶望させることもできる。
「与えられた役目を
それは彼が負う役目のように重く、
「聖女じゃないと言うなら、今この瞬間からなれ」
いつものような甘い眼差しも
聖女になれ、とリカルドは言った。
──私はどうしたい?
問いかけた言葉に、「帰りたい」とすぐさま
──私は……、採掘場で働く彼らのために、なにかしたいって思った。
まだ心は混乱している。帰りたい気持ちはなにひとつ変わっていない。だがここにきてようやく、理沙は自分がこの世界に来た意味と、自分になにができるかを考え始めていた。
理沙を見て喜んでくれた
今はまだ帰ることができないのだとしたら、聖女という役目を与えられているなら、ここにいる自分はなにをすべきなのか。
──言い伝えにあるような、
「……戻り、ます」
か細く小さな声だがそう宣言して、もと来た道を歩き出す。が、ひとつ言い忘れていたことに気付いて振り返った。リカルドとザックに向かって頭を下げる。
「川に飛び込んで、助けてくれてありがとう」
ザックはなにも言わずに横を向いただけだ。リカルドはようやく表情を
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