八.最終決戦に臨め

 二月十一日の未明に燃え出した土山が完全に鎮火したのは、十四日の明け方だった。それまでの間、金軍がたびたびやって来ては土を掛けて鎮火しようと試みていたが、襄陽軍は折につけて弩によって追い払った。

 十四日の昼に至ると、金軍は、今度は南門の真正面に人手を集結させ、土山を築き始めた。もともとここにあった堤防を突き崩しながら、またたく間に塔のように高く積み直していくのだ。

 南門といえば、その上に造られた楼閣が、司令官たる趙淳の所定の位置だ。趙家軍の黒地に赤と敢勇軍の赤地に黒の二つの軍旗を掲げた楼閣は、襄陽の難攻不落の象徴ともいえる。

 日が落ちると、襄陽軍は即座に動いた。灯火をともして作業を続ける金軍を一挙に叩きのめし、築かれつつあった土山を壊して防波堤を固め直し、さらに防波堤沿いにざんごうを築いた。わずか一夜のうちの出来事だ。

「今回のやつらは手応えがなかった。金軍の勢いが落ち始めている」

 出陣した者はそう口をそろえた。十一日の未明に萬山のさいを捨てて漢江の北岸に逃れた者は、大半が北岸に留まったまま戻っていない。

「金軍は撤退の準備を始めています。わいなん戦線の総司令が死去したことを契機に、全軍の北帰が方針づけられたのです」

 そんなふうに道僧は証言した。趙こうも念入りに探ってきたところ、それは真実であるらしかった。

 ところが、金軍の中にも意欲のある者がいないわけではなかった。襄陽の東北の濠の外、漢江と接するあたりには古い防波堤が放置されているが、この古堤を足掛かりに第四の土山が築かれ始めたのだ。

 襄陽軍は六日かけて戦闘の支度を整えた。そして二十日の夜、四千人が城外に出て古堤の両側に塹壕を掘り、合計一千人の弩兵を塹壕に潜ませて朝を迎えた。

 翌二十一日、金軍は先日に引き続き、土山建造のためにやって来た。その無防備なところを、塹壕に隠れていた弩兵に射掛けられたのだからたまらない。金軍は泡を食って逃げる。隙を突いて襄陽軍は出兵し、土山を破壊する。

 いたちごっこのような土山の建造と破壊は二十一日を皮切りに三日間、続いた。襄陽軍は根気よく金軍を追い払い、土山を壊してならした。金軍の繰り出す兵力は日に日に少なくなっていき、二十四日にはとうとう姿が見えなくなった。

 この間、道僧の周囲は静かなものだった。否、一度ちょっとした騒動を、ほかならぬ道僧自身が起こしかけた。

「私が投降したとき、金軍が再び襄陽を攻めることがあれば私の命はないと、仲洌殿とやくじょうを交わしました。約定に従い、どうぞ私を御斬りください」

 趙淳は「その必要はない」と断言し、趙淏も気まずげに態度を濁したが、道理においては道僧のほうが正しい。私人による口約束とはいえ、交戦中の二国間に交わされた約定なのだから守るべきだと、道僧は頑固だった。

 説得に手を焼いた挙句、ついに趙萬年が道僧をぶん殴った。

「殺したくねえっつってんだよ、野郎! てめえを生かしとくほうが政治的にどうのこうのっていう面倒臭えことはオレにはわかんねえけど、てめえが死んで喜ぶやつもここにはいねえ! 第一、城内には墓場にできる土地がねえんだから、死なれたら迷惑!」

 道僧は、打たれて腫れた頬をさすりながら、困惑した様子を隠さなかった。

「女に殴られたのは初めてだ」

 道僧がぼそりと言ったので、趙萬年はもう一度ぶん殴った。

 二十三日の夜から二十四日にかけて、金軍の大移動が確認された。漢江南岸の寨をすべて焼き払い、北岸へと渡ったのだ。

 そのまま漢江流域から立ち去ってくれればよいと、襄陽軍は願った。北へと行軍していく列も確認された。しかし、そうでない勢力もあった。北岸一帯に留まり、帳幕や小屋を建て、柵で土地を囲って馬牧をこしらえ、再起を図ろうとする動きがあるのだ。

 報告を受けた趙淳は、大きく息をつき、おもむろにえんげつとうを手に取った。

「これで最後だ。漢江北岸で、やつらを追い払うために戦う。徹底的に叩いてやる」

 皆、気迫のこもった声を上げて趙淳に応えた。

 決行は二十五日の夜である。

 趙家軍は萬山の麓に近い西の渡し場の一帯を攻め、敢勇軍は水系の複雑な東の渡し場から白河口にかけてを攻めることとして、役割を振り分けた。両軍の間をつなぐ連絡役は、趙淏と路世忠がそれぞれ担う。

 夕刻に降り出した雨は、夜が更けるにつれて次第に強まった。奇襲をかける襄陽軍にとって好都合だ。を漕ぐ音も船が水を押し分ける音も、雨にまぎれて聞こえない。

 趙家軍は、趙淳自らが指揮を執った。趙萬年と王才は趙淳と別の船に乗り組んでいる。連なる船は、大小合わせて約三十。一千人の弩兵と五百人の砲兵が分乗し、各船には各々三十余りの太鼓が搭載されている。

 声を上げることと音を立てることは堅く禁じられていた。口を利いたものは斬るとさえ、趙淳は出陣に先立って一千五百の兵に告げた。

 ざあざあと降りしきる雨の音だけがあたりを支配していた。時折、雷が鳴った。風も強く、嵐のような夜だった。

 趙萬年はかじかんだ手で弩を握り締めた。

 北岸に船を寄せたときには、襄陽軍の弩はすべてが番えられている。

 人の背丈よりいくらか高い岸辺の崖の上は、金軍が寨がある。雨のざわめきの向こうから、何かの作業をするために声を掛け合うのが聞こえていた。

 先頭の船で、趙淳が、すっと立ち上がった。手にしたばちを振りかぶり、勢いよく太鼓を叩く。

 雨音を破る一鼓を合図に、一千の弩兵が同時に箭を放った。

 金軍の寨で悲鳴が上がった。

 へきれきほうが火薬仕込みの砲弾を放つ。灯火のもとに落ちた砲弾が破裂する。趙家軍は、船上にありったけの太鼓を打ち鳴らす。雷鳴のような轟音となる。

 水上の趙家軍から金軍の様子は全く見えなかった。金軍もまた、水面をのぞき込まない限りは趙家軍の姿が見えない。のぞき込んだ者はおそらくいなかった。箭と砲弾がどこから降ってくるのか、金軍にはわからなかったはずだ。

 趙萬年はひたすら弩に箭を番え、射続けた。岸の上から伝わってくる大混乱の気配に、作戦の成功を確信している。

 だが、ほんの少し、どうしても隙がある。完全には集中し切っていない。

 趙萬年は、同じ船の上でまんじりともせずに座っている影を、ちらりと見やった。道僧である。漢族の装束に身を包み、さるぐつわを噛み、両手両足を縛られた格好で、背筋を伸ばしてたたずんでいる。

 戦場に連れていってほしいと言い出したのは道僧だ。趙淳はこれを許可した。

 もしかしたら交渉の役に立つかもしれないが、それ以上に厄介事の種になる可能性が高い。趙淳がこれを呑んで道僧を連れ出したのは、情けをかけたというよりほかにない。

 自分が道僧と同じ立場だったら、やはり最後に仲間の姿を見ておきたいと望むだろうか。趙萬年は想像しようとしたが、うまくいかなかった。

 だって、オレたちは絶対に負けねえ。

 岸辺の寨から金軍兵がすべて退避したとの確認が取れたのは、五更(午前四時頃)を迎える頃だった。雨は止んでいた。趙淳の晴れやかな声が水上に響いた。

「我が軍に死傷者なし! 皆、よくやってくれた!」

 趙家軍は勝ちどきを上げ、ずぶ濡れの太鼓を打ち鳴らした。はしゃいで拳を突き上げるついでに空を仰げば、雲の晴れ間から星がのぞいている。

 勝利に酔い痴れることを許された時間は、しかし長くはなかった。路世忠が軽舟を飛ばして、東の戦場から急報をもたらしたのだ。

「白河口付近に金軍の本陣を発見しました! 完顔さつそくがおります! 兵力はおよそ五千。現在、城外に出ておる敢勇軍および趙家軍を合すれば、ちょうど互角となりますな。既に敢勇軍が敵軍の一部と交戦状態に入っております。今すぐ救援を!」

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