四.騎兵を撃破せよ

 日が沈んだ。気温が落ちた。細く痩せた月は夜の裏側にいて、明け方にしか昇らない。星の光は、野山のあちこちにともる金軍の寨の明かりのため、淡くかすんで見えた。

 襄陽を発した軍勢は、趙家軍と敢勇軍を合わせて一千三百。

 先頭を駆けるのは趙淳である。

「行くぞ! 今回の作戦は速度が命だ。遅れずに付いてこい!」

 軍勢は、城南のようしょうの切れ目から浮き橋を渡り、塹壕を迂回して、襄陽の東南に陣取った金軍のさいを目指す。

 先駆けを務める部隊はしつれいせんと竹籠、箭を防ぐ木牌たてを携えている。真正面から突撃して騎兵を誘い出し、罠に絡め取る。その隙に寨に侵入し、山積みの資材を焼却する手筈だ。

 趙淳が自らえんげつとうを手に戦場に繰り出すのは、籠城が始まって以来、初めてのことだ。趙萬年と王才が趙淳の出陣を提案したとき、趙淳本人は難色を示した。

 だが、趙淳に出陣してもらいたいと、皆で押し切った。趙家軍も敢勇軍も、趙淳の顔付きが暗いことを心配していたのだ。趙こうが、大哥あにうえは頭であれこれ考えすぎるより体を動かすほうが得意なはずだ、と背中を押したのが決め手となった。

 城外に連れ出すことが本当に趙淳のためになるのだろうか。

 趙萬年の胸に懸念がないわけではない。趙淳は明らかに疲れている。負担を強いるのは危ういのではないか。だから趙萬年は、できる限り趙淳から離れずにその背中を守ろうと考えている。

 襄陽軍は闘志を剥き出しにして金軍の寨に迫る。奇襲を察した金軍は、灯火を増して太鼓を叩き、駐屯する全兵力に出動を命じた。

 趙淳が言い放つ。

「クソ金どもは遅い! 作戦通り、このまま突っ込むッ!」

 襄陽軍が寨に肉薄する。

 柵の内側で泡を食う金軍兵士の顔が見分けられるほど寨に接近したとき、金軍の騎兵が左右から襲ってきた。

 騎兵の動きはよく統率されていた。槍を手に、一団となって突撃してくる。敵が目論んでいるのははおそらく、歩兵ばかりの襄陽軍を引き裂きながら駆け抜け、反転してまた引き裂いて駆け抜ける戦術だろう。騎兵の正攻法だ。

 趙淳が左翼に命じる。

「蒺藜箭、撃ち込め!」

 趙萬年や王才たち趙家軍兵士が、蒺藜箭を仕掛けた箭を弩で放つ。

 仕掛け箭は蒺藜箭を引き連れて低く飛ぶ。箭が馬の脚にぶつかるや、はらりと紐がほどけて馬脚に絡まり、菱の実形の鉄塊が馬体を傷付けた。

 痛みと驚きで竿立った馬は騎手を振り落とし、後続の騎兵を混乱させる。蒺藜箭に引っ掛かった馬が暴れ、紐の絡まり方が複雑になる。夜の帳の下で何が起こったか見えず、止まり切れない馬が前列まで突っ込んできて蒺藜箭にとらわれる。

 右方向からやって来る騎兵を指し、趙淳は右翼に号令した。

「竹籠、とうてきしろ!」

 右翼を担う敢勇軍は呼吸を合わせ、例のちくじんに似た竹籠を騎兵の足下に放った。

 竹籠もまた蒺藜箭と同じく、縄でつないである。ばらばらの竹籠なら馬に蹴り飛ばされておしまいだが、数珠つなぎになっているとそうもいかない。

 こちらの竹籠が蹴り飛ばされれば、あちらの紐が急に突っ張り、避け切れない馬が転倒する。密集陣形が仇となり、転倒が連鎖する。突撃の足並みは完全にかくらんされる。

 騎兵の出鼻をくじいたところで、木牌たてを手にした趙淏が、趙淳の前に回り込んだ。ぱらぱらと、金軍の寨から箭が飛んでくる。そのうちの一本が木牌たてに刺さった。

 趙淳は声を張り上げる。

「木牌兵と叉鎌兵、前へ! 柵を壊して寨に飛び込めッ!」

 突入の一番手を任されたのは、旅世雄たち剛力を誇る兵士だ。他者のそれより二回りも大きな武器を振り立て、木牌兵の後ろで箭を防ぎながら猛然と前進し、ついに柵に至ると、剛腕を唸らせてものを叩き付ける。柵は折れ、ひしゃげ、ね飛んだ。

 襄陽軍は柵の破れ目から寨へ突入した。

「出会え、出会えー!」

 寨に北方訛りの号令が響き渡る。帳幕や小屋から金軍兵士が転がり出て、愕然とした様子で武器を構える。

 趙淳は頭上で偃月刀を旋回させ、朗々と名乗りを上げた。

「趙家軍の趙伯洌、推参ッ! 死にてえやつは掛かってこい!」

 掛かってくるまで待ちはしない。

 ごう、と荒れ狂う風のような音を立て、趙淳は偃月刀でぎ払う。剣を構えた敵兵の腕は、手首から先が消えた。切断された両手が剣を持ったまま地に落ちる。

 そのとき既に趙淳は次の標的へと刃を一閃させている。胸郭を叩き割って心臓を両断する。一瞬で死した敵兵は、苦痛を感じる暇もなかったに違いない。

 趙淳はなお前進する。偃月刀がいかずちのごとく振り下ろされ、敵兵の頭がぐしゃりと陥没する。返す刀で別の敵兵の首を刈る。

 竜巻のように暴れる趙淳から少し離れて、趙淏が代わりに全軍への指示を飛ばした。

「資材は燃やす。まずは火を放て! 退路を確保し、火の回りを見切った上で、回収できそうな武器や防具、薪などがあれば運び出せ。欲をかいて足下をすくわれるな!」

 おうッ、と応えた襄陽軍が散開する。

 あちこちでけんげきの音が聞こえ始める。かがりが倒され、積み上げられた木材や竹材に炎が移る。夜気が炎の熱に揺らぎ、煙の匂いが立つ。

 趙萬年は、趙淳を追い掛けようとした。

大哥あにき! 一人で突っ走んなよ!」

 背中を守ってあげたかった。かばわれてばかりになるとしても、久方ぶりに同じ戦場に立てるのだ。背中合わせで共闘しようと思っていた。

 だが、趙淳に追い付けない。趙淳の間合いに入る者すべてが、偃月刀の激烈な舞いの下にしかばねと成り果てる。趙萬年でさえ、おいそれと近寄っては危ういと感じた。

「やっぱり大哥あにきが何かおかしい」

 戦っているのではなく、暴れている。勇猛なのではなく、凶暴だ。

 趙淳の圧倒的な戦いぶりは、味方の多くの兵を感嘆させて心酔させ、敵兵を軒並み驚愕させて絶望させた。

 寨の中へ戻ってきた騎兵が、真正面から趙淳に打ち掛かる。騎兵の槍の穂先はたやすく偃月刀に巻き上げられ、馬上で丸腰となった騎兵は趙淳に慈悲を乞うた。

 許してくれと叫ぶ途中で、騎兵は死んだ。首のない死体が馬から落ちた後、馬の尻に弾んだ男の首が地に転がった。

 そうすい自らの華々しい武功は、襄陽軍の士気を燃え立たせる。戦況は次第に一方的なものとなった。襄陽軍が放った炎が赤々と寨を照らし、やがてすべてを呑み込んでしまう。

 襄陽軍も金軍も共に剣を収めて寨を離れた。金軍は歯向かってくることなく、どこかに退却していった。

 血濡れて刃こぼれした偃月刀を手に、趙淳はひどく静かになって立ち尽くした。

大哥あにき?」

 趙萬年が声を掛けると、趙淳はのろのろと顔を上げ、振り向いた。そして、そのまま糸が切れるように倒れ込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る