二.騎兵と戦え

 夜更けに昇るはずの半分より欠けた月は、まだ姿を見せていなかった。

 一月二十三日、二更(午後十時頃)。馬蹄の音が聞こえた。一つ二つではない。ひどく多いようにも聞こえるが、山に反響しているだけかもしれない。

 一千の兵力と共に趙萬年は、張り巡らせたれんの内側に飛び込み、かがりを焚いて掘削に当たる二千の兵士に知らせて回った。

「ドベ金の騎兵が来やがった! オレたちが必ず防いでみせる! おまえらはオレたちを信じてここにいろ。絶対に皮簾の外に出るなよ!」

 土まみれの王才と目が合った。湿った土の匂いが立ち込める中で、御互い、にっと笑ってみせる。

 穴の深さは王才の胸のあたりだ。塹壕として役立てるにはもっと掘らなければならないが、今はこの深さで十分だ。万一、皮簾が取り払われたとしても、塹壕に伏せて金軍の騎射をやり過ごすことができる。

 趙萬年は皮簾から飛び出し、護衛部隊の前列の兵士がずらりと並べた大振りの木牌たてに身を寄せた。

 馬蹄の響きはかなり近い。と思うと、灯火が見えた。迫ってくる。ざっと目視するに、二百は下らない。

「多いな。しかも、あいつらの馬、火を恐れねえのかよ?」

 路世忠が木牌たての裏側で体を低くしたまま、趙萬年のそばへにじり寄ってきた。

「やはり騎兵が来ましたな」

「嫌な感じだ。騎兵相手じゃ戦いにくい」

「おや、趙家軍は騎馬戦術も得意とするのに?」

「オレたちとケツ金軍じゃあ、馬の乗り方が何か違うんだよ。あいつら、手綱をつかむって発想がねえんだ。あぶみの上に立って、両手を使っていろんなことをしてきやがる」

「なるほど。中華の外に住む異民族は皆よく馬をたしなむといいますが、そのあたりの熟練度が漢族の馬術と違うのですかな?」

「ああ。それと、オレは騎射も得意だけど、趙家軍のほかの皆はそうでもない。馬上で射ること自体ができたところで、動く的にてられないんじゃ実戦では使えねえから。そういうわけで、騎兵相手の戦術は訓練のしようがなくて、やっぱりまずいんだ」

「ほう、さようでしたか。では、今ここに迫ってくるあれをどうしましょう?」

 問われた趙萬年は声を張り上げた。

「とりあえず、弩兵! そろそろ射程に入ってる! 明かりを目掛けて撃て!」

 ばしん、と弩の弦音が鳴った。暗闇の中、見えない敵に向かっての射撃だ。精度がよいはずもないが、数騎の馬が転んだ。

 すかさず金軍は散開する。弩の第二射は、標的がばらけたせいで命中率が落ちる。

 次のを番えるより先に、金軍は弓の射程圏内に突入した。

 一斉に騎射が始まる。たたたたたっ、と軽やかな音を立てて箭が木牌たてに刺さる。

 頭上で風を切る音がする。城壁東南角の弩兵部隊が金軍に向けて箭を放ったのだ。

 脱落する者を出しながらも、騎兵は迫ってくる。弓は弩よりもはるかに速い。箭を射ながら、騎兵はなお迫ってくる。

 趙萬年は弓を構えて立ち上がった。

「近えんだよ!」

 彼我の灯火がある。確実に狙いをつけられるほどに近い。

 馬上で弓を構える騎兵を、趙萬年は射る。片っ端から、あたう限りの速さで連射する。狙うのは馬だ。鎧甲よろいを付けていない。転んだ馬を奪えば、傷が浅いものは戦場に駆り出せるし、そうでないなら食糧になる。

 攻撃をまぬかれた騎兵は、速度を緩めずさらに突進してくる。

 路世忠が号令した。

「避けろッ!」

 前列の兵士が木牌たてで仲間をかばいながら、ぱっと陣列を崩す。

 だが、路世忠は避けない。長柄の鎌を構え、騎兵の前に立ちはだかる。騎兵は馬を竿立たせ、路世忠を踏み潰そうとした。

 鎌の刃がひらめいた。馬の首が飛んだ。

 血しぶきが噴き上がり、騎兵が後ろざまに落ちた。打ち所が悪かったのか、騎兵は起き上がらない。それを確認する様子もなく、路世忠は鎌を振り立てて次の標的に向かっている。

 趙萬年は怒鳴った。

「最低でも四、五人で一騎に当たれ! 馬を狙うのが倒しやすいぞ! 木牌たて持って取り囲んで動きを封じて、長柄の武器で仕留めろ!」

 おうッ、と声が返る。あらかじめ決めておいた伝達役が趙萬年の指示を復唱し、戦陣の隅々まで行き渡らせる。

 混戦が始まった。

 趙萬年は弓を構え箭を放ちながら駆け、皮簾のそばに置いた太鼓に飛び付く。渾身の力を込めて連打すると、城壁上から太鼓の音が応えた。

 ふと気配を察して地に伏せる。とん、と小気味のよい音を残して、太鼓は腹を箭に貫かれた。

 趙萬年は跳ね起きつつ弓に箭を番え、一瞬の的付けの後、射た。女真族の戦士が胸に箭を受け、落馬して沈黙した。

「へへーん! 遅えんだよ、トロ金!」

 太鼓は援軍出兵を促す合図だ。あと少し持ち応えれば、奇襲に手慣れた敢勇軍が助太刀に来る。

 趙萬年は大声を上げて仲間を励まし、弓に箭を番える。

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