編集済
戦いの現実を、〝ああ、もうすぐこれを俺も書かないといけないのだ〟と思いながら追っている。
颯爽とカッコよく描こうが、力強く雄渾に描こうが、その場に居合わせる者は逃れられぬ運命を背負っている。神より万能なはずの作者でもそれは曲げられない。その物語を描こうと選択した時点で、すでに引き受けてしまっているからだ。
昔、連載をやっていたときに読者からの助命嘆願をもらったことがある。作者の都合でキャラを好き勝手にするな、と憤慨されたこともある。だが、物語とはそういうものなのだ。そこまで物語にのめり込んだ読者も、同じ運命を負っている。身をまかすしかない、物語の必然の流れを従容として受け入れるしかないのである。
そう納得させるだけの手応え、必然性、充実感があるかどうかだけが作品の価値を決める。物語に関わる者は、そう覚悟するしかない。
作者からの返信
こういうシーンは、覚悟の上のフルパワーを振り絞らないと書けませんね。
自殺の話は中高生のころ、たくさん書いていました。
戦で人が死ぬ話は、数年前に初めて書きました。
歴史資料を読んだときには実感が湧かなかった「戦友を喪ったことへの深い悲しみと猛烈な怒り」が、物語へと描き直したことで初めてわかりました。
このとき初めて歴史上の人物が自分の友人であるかのような(本格的で手応えのある)錯覚を得ました。
単に研究対象としてではなく、物語の中の生身の人間として、彼らと向き合えるようになりました。
私の歴史物語への取り組みの経緯は、きっと変わった部類に入りますね。
物語には歪めるわけにはいかないものがある、と思っています。
文字に過ぎないはずの彼らが本気で惜しんでもらえることは、無上の喜びといっていいかもしれません。
翠瑛……!!
前半のアニキの葛藤に、翠瑛の最期。
胸が苦しい!
作者からの返信
合掌……。