二.敢勇軍を激励せよ

 冬も半ばを過ぎた冷え込みの中、南門広場に詰め掛けた人混みは次第に熱を高め、やがて誰もが汗ばむほどに沸き返った。

 趙淳が南門の楼閣に立って演説をしている。明朗に通る声、歯切れのよい語り口が切り出していく激励に、聴衆はただただ惹き付けられている。

 趙淳が拳を突き上げた。歓声が南門広場を満たした。それを合図に、赤地の布に黒い縁取りを施した旗を、趙淳の傍らの王才が高らかに掲げた。

 旗に「かんゆう」の二字がある。聴衆は、あの旗は何なのかと息を詰め、目を見張る。喧騒がいくらか静まったと知るや、趙淳はすかさず声を張り上げた。

「ここに集った七千人の勇士たちよ、今の俺にできる一番の贈り物を受け取ってくれ! おまえたちはもう、ただの茶商や用心棒や船乗りや不良少年の寄り合いなんかじゃねえ。立派な軍だ。名を贈りたい。かんゆうぐんだ! 襄陽の勇士たちよ、おまえたちは敢勇軍だ!」

 敢とは、命知らずという意味を持つ。勇とは、戦場に立つ者の純粋な心根だ。

 七千人の襄陽の男たちは、利権や我欲のためではなく、故郷を守るためにこそ立ち上がった。趙淳は彼らに最もふさわしいとして、敢勇軍という名を選んだ。

 旗を掲げた王才と、聴衆の中に散った趙家軍の面々が、大声を上げる。

「敢勇軍! 敢勇軍! 襄陽を守れ、敢勇軍!」

 繰り返されるあおり文句が、敢勇軍の名を南門広場の隅々までも行き渡らせた。たちまち熱狂を取り戻した聴衆が趙家軍に唱和する。

「敢勇軍! 敢勇軍! 襄陽を守れ、敢勇軍!」

 天から垂れ込めた灰色の雲を吹き飛ばしそうなほどの大合唱だった。

 趙萬年は城壁北隅でその大合唱を聞いた。

「何が敢勇軍だよ。茶賊のくせに、でかい顔しやがって」

 趙萬年も本当は南門広場にいなければならなかったが、同年輩の兵士に無理やり持ち場を替わらせ、城壁警備に就いた。つまりは逃げ出してきたものの、敢勇軍の並々ならぬ熱気は襄陽の隅々にまで届いている。

 南門広場へ赴く前の趙淳から、赤い軍旗を見せられた。急ごしらえと呼ぶには上等の布でできており、文字も鮮明で、美しい旗だった。趙家軍の旗は黒地に赤い縁取りだから、両軍の旗はちょうど兄弟のような印象でもあった。

 あの用意のよさから察するに、趙淳は最初から襄陽で兵を募って軍を作るつもりでいたに違いない。その軍の主体が茶賊と大差ない顔触れとなることも、きっとわかっていた。

「くそッ」

 趙萬年は城壁を蹴った。つま先は冷え切って、痺れるように痛い。

 魏家軍は既に発った。城壁上の警備兵の数は半減している。今夜からは早速、敢勇軍にも城壁警備の当番が回されることになるらしい。

 くさくさした気分で漢江を睨みながら時を過ごしていると、南門広場の集会が終わったようで、北隅にも人が戻ってきた。

 誰もが興奮した様子だった。大声で笑ったりしゃべったりしている。戦場の怒号や咆哮や悲鳴ではない大声は久方ぶりだと、趙萬年は思った。

 ほどなくして、趙こうが趙萬年を呼びに来た。

大哥あにうえや元直がおまえを捜していたが、結局、一番に発見するのはいつも私だな。阿萬は別の仕事に移るようにと、大哥あにうえからの伝言だ」

「別の仕事って?」

「城壁の門を封鎖する仕事だ。船着き場に直結した北小門を除いて、そのほかすべての門を完全に封鎖する」

「何でそんなことする必要があるんだ?」

「外に出る住民がいて、手を焼いている。彼らは濠で魚を釣ったりなどしていてな、そう勝手なことをされると、私の仕事が増えて困るのだ」

「ああ、不審なやつがいたら、二哥にいちゃんのとこで取り調べをすることになるから」

二哥にいちゃんではなく仲洌と呼べ。濠の外に出た者が果たして本当に釣りをする住民なのか、釣りをする住民を装って外部と連絡を取ろうとする敵軍の間者なのか。いちいち同じ内容の尋問をせねばならず、参っている。だから、いっそのこと門をふさいでしまおう、と」

 敵軍の間者という言葉が趙淏の口からさらりと出てきたことに、趙萬年はぞっとした。

「間者が城内に潜んでる可能性って、あるのか?」

「ある。と、私は思っている。敢勇軍の設立に関する諸々の用事も一段落したし、明日にも間者の狩り出しを始めるつもりだ。その下準備として、標的の逃走経路を極力減らすためにも、門をふさぐのだ」

「そっか。オレも間者狩りを手伝うよ。隣に住んでるやつが実は敵だったなんて、気持ち悪いもんな。戦えねえ女子供は特に不安になるだろうし」

 趙淏はまぶしいかのように少し目を細めて、意気込む趙萬年を見つめたが、申し出にはきっぱりと首を左右に振った。

「間者狩りや尋問は、おまえがやる仕事ではない。おまえに汚れ仕事は向かない」

「やってみなきゃわかんねえじゃん。オレには元直みてえなぢからはねえんだし、どこで何をやったら大哥あにきや仲洌の役に立てるのか、いろんな仕事を試したい」

「意欲は買うが、それでも、私の仕事は女子供が手を出すようなものではない」

 趙淏は、趙萬年の頭をぽんぽんと軽く叩くと、城壁東隅の大門へ行くよう告げて立ち去った。趙萬年は、趙淏の冷えたてのひらの感触が残る頭を押さえ、口を尖らせた。

「子供扱いすんなっての。二哥にいちゃんって呼んだら機嫌悪くなるくせに」

 趙萬年は、近くにいた警備兵に配置換えを命じられたことを伝え、城壁上を走って東隅へと向かった。東大門の内外には既に人手が集まり、作業が始まろうとしている。

 城壁の外側は、ただちに濠が始まるのではない。五丈(約十五.六メートル)から七丈(約二十一.八メートル)ほどの地面が続き、ようしょうと呼ばれる土塁が築かれ、その向こう側が濠になっている。

 趙萬年は門の内側に王才がいるのを見付け、そこを目指して階段を駆け下りた。

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