三.新たな仲間を認めよ

「元直! そこののうを運べばいいのか?」

 土嚢を二つまとめて肩に担いだ王才は、趙萬年の声に振り返った。麻袋に細かな黄土やはんの砂利を詰め込んだ土嚢は、二つもあれば、趙萬年の目方を優に超える重さとなる。

 王才は唇の片方だけを持ち上げて笑った。

「やめとけよ。阿萬にできる仕事じゃねえよ」

「生意気言うな。オレがここに来たのは、大哥あにきの命令なんだぞ」

「知ってるさ。でも、無理なもんは無理だって。こういうのは男の仕事だ」

「男の仕事って、おまえなあ! オレより二つも年下のくせに一人前気取りかよ!」

 趙萬年がさらに王才の生意気に食って掛かろうとしたときだ。女が割って入った。

「ちょいと、少年。城壁の補強が男だけの仕事と決め付けるのは、聞き捨てならないよ。あたしたちだって、伯洌将軍から御墨付きをもらって、この仕事を手伝っているんだからね」

すいえい!」

 趙萬年は、翠瑛ことりょすいを見上げた。

 旅翠は、きっぱりしたことを言いながらも怒っているわけではないらしく、傷のある顔は微笑んでいる。右肩の上には土嚢が三つ。とんでもない重量のはずだが、犬の子でも運んでいるかのように、旅翠は平然と胸を反らしている。

 王才は唖然とした目で旅翠を見て、その後ろに居並ぶ女衆を見た。女衆は土嚢を一つずつ担いだり抱えたりしている。

大哥あにきが、女にこんな仕事を命じたって?」

「命じられたわけじゃないよ。働かせてくれってあたしたちが直談判して、伯洌将軍がそれを許してくださったんだ。そりゃあ最初は、女が力仕事なんかやるもんじゃないって、難色を示されたけどね」

「当然だ。危ねえだろ。だいたい、女が戦に口出しするなんて変だ」

「ところが、昔から、襄陽の女は戦に口も手も出すんだよ。城壁北隅の西角に、じんじょうって名前の楼閣があるだろう?」

「ああ、夫人城の看板が掛かってて、よく花が供えてあるやつだな。あれが何だ?」

「今から八百年以上前、襄陽は敵国、しんの軍隊に包囲された。そのとき襄陽の守りを預かっていたのはしゅじょという人だったんだけど、朱将軍が誰に城壁警備の要を任せたか知ってるかい?」

「知らねえ。夫人城と関係があるのか?」

「あるんだよ。朱将軍の背中を守ったのはかんじんと呼ばれる人で、朱将軍のおっかさんだったんだ。韓夫人は城壁の北西角の守りが薄いことに気が付いて、城内の女衆百人ばかりと一緒に、堅い城壁を築き直した。その名残が今の夫人城」

 旅翠の後ろにいた女衆が合いの手を入れるように韓夫人の名を口々に呼び、ぐずぐずしていられないよ、と威勢よく言い放って動き出す。

「ほら、坊やたち、そこをおどき!」

 当然ながら、てんそくをした女は一人もいない。働かずには暮らしていけない、市井の女なのだ。彼女らは、さすがに旅翠ほど体格に優れるわけではないものの、全く以て危なげなく土嚢を運んでいる。

 ぽかんとする趙萬年と王才に、旅翠は大声で笑った。

「船乗りの家の女には、あたしと同じように、荷の積み下ろしを手伝う人もいるよ。酒や料理を商う店の女なら、大きな酒の壺や漬物の甕を抱えることもよくあるし、腕白坊主を育ててるおっかさんだって、ひ弱じゃあいられない。女は強いもんだよ」

 旅翠がそこまで言ったとき、横合いから男が現れた。

「おい、翠瑛、油売ってんじゃねえよ。さっさとやっちまおうぜ」

 若い男だ。二十歳をいくつか出たところの、旅翠と同年輩だろう。背丈は人並み程度のひょろりとした体格のようでいて、肩に担いだ土嚢の数は三つ。気負いのない立ち姿だからこそ、かえって足腰の強健さが見て取れる。

 旅翠は、わかってるよと男に応え、趙萬年と王才に男を紹介した。

「こいつははいけんっていって、あたしの幼馴染だよ。えきめいって呼んでやって。子供っぽい顔してるけど、腕のほうは確かでね、襄陽の茶商が抱える用心棒や傭兵の中じゃあ五指に入る。結成されたばかりの敢勇軍で、中核を担う一人だよ」

 ざわりと、趙萬年の首筋の毛が逆立った。

「茶商の、用心棒?」

 趙萬年は裴顕を睨み付けた。裴顕は趙萬年の視線を正面から受け止めた。

「おう、用心棒や傭兵と名乗っちゃいるが、もとは単なる不良少年さ。十二、三の頃から喧嘩三昧で暴れ回っていたんだが、この翠瑛んとこの哥哥あんちゃんや今の雇い主である茶商のおっさんにはどうしても敵わなくてな」

 旅翠が相槌を打った。

「そうそう、益明ってば何度もこてんぱんにされてるのに、しつこく悪さばっかりしてて、しまいには『大した根性だ』って呆れ半分に認められて、茶商御抱えの用心棒になることが決まったんだよね。うちの哥哥にいさんせいさんにはまだ勝てないんでしょ?」

「うるせえよ。俺が弱いんじゃなくて、あの人らが化け物なんだ。三十路のおっさんのくせにさ。ああ、そうだ。やたら強えおっさんっていったら、伯洌将軍を筆頭に、趙家軍にもごろごろいるだろ? とんでもねえよなあ」

「ちょいと益明、伯洌将軍に対して、おっさんはないよ。男盛りの男前じゃないか」

「へえ、こりゃあ驚きだ。翠瑛の口から、男前なんて誉め言葉が出るとはな」

 裴顕は、よく動く眉をしかめたり掲げたりと表情豊かだ。うっかりつられて目元を緩めてしまった趙萬年は、慌ててそっぽを向いて口を尖らせた。

 旅翠と裴顕は気安い言葉を交わしながら土嚢を運んでいった。

 門のところでは屈強な男たちが声を掛け合い、手際よく土嚢を積み上げていく。慣れた様子なのは、彼らが普段から土木工事に携わっているからだろう。襄陽近辺では川や水路の護岸工事が頻繁におこなわれるのだ。

 王才が趙萬年の横顔をうかがっている。何だよ、と趙萬年が睨むと、王才は、眉尻を下げた頼りない顔をしていた。

「阿萬、やっぱり、敢勇軍の面子が嫌なのか?」

「茶賊のせいで、オレたちは親から離れることになっちまったんだ。大哥あにき太太おくさんだって殺された。オレは、茶賊っていう存在自体が許せねえ。おまえは平気なのかよ?」

「平気っていうか、ぴんと来ないっていうか。俺、茶賊の襲撃を受けて滅んだ自分の村のこと、全然覚えてねえからなあ」

野郎」

 王才は深い息をつくと、膝のばねで跳ね上げるようにして土嚢を担ぎ直し、門のほうへ歩き出した。

「あのさ、阿萬」

 王才が歩きながら呼ぶので、趙萬年は追い掛けていって隣に並ぶ。

「今度は何だよ?」

「敢勇軍は、敢勇軍だ。大哥あにきがそう名付けたんだよ。だから、あの人たちは茶賊じゃなくて、敢勇軍だ。賊じゃなくて、趙家軍と同じように朝廷の意を受けて動く、いわば官軍なんだ。味方だよ」

「うるせえ。おまえ、いつからそんな聞き分けのいい子になった?」

「阿萬が茶賊を憎むのもわかるけど、俺は単純だからさ、味方なのに信用してないとか嫌ってるとか、そういうのは苦手だ。大哥あにきがあの人らを信用してんだぜ。それだけで十分、俺らがあの人らを信用する理由になんねえか?」

 趙萬年は答えなかった。

 きっと王才の言うことが正しい。敢勇軍は、仮に別の時において茶賊の振る舞いがあったとしても、趙萬年の故郷を襲って趙淳の妻を殺した者たちではない。趙家軍の最悪の仇敵どもはとっくの昔に全滅させた。一人も残さず首を刎ねた。

 趙萬年のいだく思いが正しくない証拠に、趙家軍の面々は早くも敢勇軍と気さくな口を利いている。趙萬年だけが取り残されている。

 王才が所定の場所に土嚢を投げ置いたところで、裴顕に声を掛けられた。

「よう、趙家軍の若将軍殿。ここでだらだら作業したってつまらねえから、競争しねえか? あっちに積んである土嚢をきっちり二つに分けて、敢勇軍と趙家軍、どっちが先に門の前まで運んでしまえるか、勝負するんだ」

 王才が笑みを作って応じた。

「おもしれえな! と言いたいとこだけど、敢勇軍のほうが人数が多いだろ? 不公平じゃねえの?」

 旅翠が会話に加わった。

「それじゃあ、あたしたち女衆が趙家軍の味方をするよ。趙家軍のみんな、あたしたちは手抜きなんかしないから安心して。伯洌将軍も仲洌将軍も、女衆の間で大人気なんだ。襄陽の男どもを尻に敷く女衆だけど、趙家の男前の御二人のためなら命を懸けるよ!」

 冗談めかした旅翠に、そうだそうだ、と女衆が笑って請け負う。趙家軍も敢勇軍も、どっと沸き返った。

 早速、競争の準備が始まる。数の勘定が得意な茶商の子弟が土嚢を数え上げ、二等分した。おのずと皆の熱気が高まる。

 顔を輝かせた王才が突然、ひょいと趙萬年を肩に担ぎ上げた。

「皆、まだ土嚢には手を触れるなよ! この阿萬が合図をしたら、競争開始だ!」

「おい、元直、勝手なこと……」

 趙萬年の声は、趙家軍と敢勇軍、女衆の興奮に呑まれて誰の耳にも届かない。皆が意気込んだ目をして、王才の肩の上の趙萬年を見ている。

 オレひとりが悪者かよ。

 いじけた気持ちでつぶやいて、趙萬年は溜息をついた。そして、やけっぱちな大声を上げた。

「気合い入れてかかれよ! 用意……始めッ!」

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