七.戦う理由を明かせ

 威風、という言葉の意味を目の当たりにしている。

 白河口の中洲には既に金軍が三十人ほど上陸していたが、王族である完顔さつそくがいずれの人物なのか、誰に聞くまでもなくいちべつにして見て取れた。

 堂々たる体躯の男だ。若くはない。趙萬年が初めて目にする、風変わりな形の帽子と服と靴を身に付け、編んだ髪が肩口に垂らされている。

「女真族は米を食わねえから体が小さいとか線が細いとか聞くけど、あいつはでかいな」

 船の支度が整うのを待ちながら趙萬年が言うと、この数日でみっちりと敵陣を偵察した趙こうは、かぶりを振った。

「引き締まった体格の戦士が多いようだったが、漢族と比べてそれほど大きな差はなかった。服装や髪型のほかに、漢族と女真族とを有効に見分ける方法はない」

「そっか。ボケ金っていったら、オレら漢族とは全く違うって思ってたんだけどな。あそこに並んでるやつら、猿とか犬とかみてえな顔してるわけでもねえし、何か変な気分だ」

 撒速とおぼしき男は、中洲の中央に置かれた椅子に座している。頭上には紫色の豪奢な天蓋が差し掛けられ、傾きかけた西日の直射から男を守っていた。天蓋の傍らには、赤みを帯びた体色の馬が控えている。

 中洲の向こう側、白河口の対岸には膨大な数の金軍が布陣している。守備兵の話にあった通り、少なくとも目に見える位置には、兵器は配備されていない。

 こちらの岸辺にいる限りは、対岸からせんを射られても届かない。中洲は射程内だ。撒速らが中洲にいる以上、弩による攻撃が加えられるとは考えにくいが。

 しかし、中洲にも三十人は敵将が居並んでいる。全員が馬を携えて弓を帯びた、女真族の格好だ。あの距離での射撃なら、まず的を外すこともないだろう。相手がその気になれば、剣を抜くより先にこちらが全滅することもあり得るのだ。

 旅世雄が声を張った。

「船、出せますぜ」

 趙淳は迷いもなく桟橋から船へと飛び移った。趙淏が続く。王才が趙萬年に目配せをした。趙萬年は、ぐっと拳を固めて船に乗った。最後に王才が乗り込んで、船は動き出した。

 船が中洲に近付き、やがて接岸し、趙淳を先頭に一行が上陸しても、敵陣は静かなものだった。静かであればあるほど、同時に、張り詰めてもいる。

 趙淳は、互いの距離が四十歩(約六十二.四メートル)になるあたりで足を止めた。趙萬年たちは趙淳の左右に分かれて並んだ。

 この位置まで来ると、はっきりと敵将たちの顔が見える。敵将たちもまた、じっとこちらを見ている。

 敵将の列の中に趙萬年と変わらない年頃の若者が二人おり、若い女も一人いる。三人とも戦場に似つかわしくない小綺麗な印象で、美しい顔をしている。

「変なやつらだ」

 趙萬年はうそぶいてみた。相手も同じことを思ったのかもしれない。若者の一人、涼しげな容貌をきまじめそうにしかめた男と、しばしの間、視線が絡んだ。

 言葉は通じるのだろうか。趙萬年がふと疑問をいだいた瞬間、朗々とした声が川風を打ち据えた。椅子に座した男が口を開いたのだ。

「中央におるそなたが趙伯洌将軍であろう」

 漢語だ。都の訛りと言おうか、古風な響きをしている。

 男の視線はまがうことなく趙淳をとらえていた。趙淳が応えた。

「いかにも。俺が襄陽守将、趙伯洌こと趙淳だ」

「よい面構え、よい声をしておるな。儂は完顔撒速。漢名では、きょうという。金国げんすいにおいて右副元帥に任じられ、襄陽を含むこの湖北への進軍の総司令を務めておる。左副元帥の友軍がここより東のわいなんを攻めておるが、おぬしには関係のないことだな」

「何だと? もう淮南にも侵攻が及んでいるというのか?」

「左様。たび、南下して宋を攻めんとしておる金軍は、すべて合して百万を超える大勢だ。金と宋との間には四十数年に渡って戦役は起こらなかったが、金の兵力は惰眠をむさぼっておったわけではないのだ」

「そのようだな。均州、そうよう、光化、神馬坡では手痛い挨拶をしてくれたものだ」

「我が湖北方面軍の標的は、湖北でも北縁に位置するこの一帯には留まらぬよ。襄陽を囲むために半数、残りの半数は陸路を南下し、淮南との連絡路となるずいしゅうしんようとくあんを押さえんとしておる」

 趙淏が「まずい」とつぶやいた。趙萬年は横目に趙淏を見上げた。趙淏は、食い縛った歯の間から押し殺した声を漏らした。

「隋州にも信陽にも徳安にも、援軍要請の密使を送っている。だが、そちらにも大軍が向かっているなら、襄陽に援軍は来ない。密使が無事に目的地にたどり着ける保証もない」

 撒速に趙淏の声が聞こえたはずもないが、まるで苦渋のつぶやきに応えるかのように、老いてなお頑健な顔にごうまんな笑みが広がった。

「襄陽は袋の鼠だ。城内の兵力は一万に満たぬのであろう? 我が金軍の南下が始まって以来、そなたらの軍勢は既に幾度も敗れ、ただでさえ少ない兵力をさらに削がれておる。そのありさまで戦えると申すか?」

 趙淳が、よく通る声を一際、張り上げた。

「連戦すれば、勝つこともあり負けることもある。そんなのは兵法の常だ。数回勝った程度で俺たちの勢いを封じられるとでも思ったら大間違いだぜ。その上、せっかく五十万もいる兵力を半分に割くだと? 舐めんじゃねえよ」

「ほう、二十五万の兵に包囲されて、これを撃退する自信があると?」

「撃退するんじゃねえ。撃破してやるさ。追い返すだけじゃ済ませてやらねえよ。二度と宋に手出ししようと思えねえくらい、ぼこぼこにする」

 撒速は笑った。傲慢な、それでいてこの上なく楽しげな笑声が、川面に響き渡る。

「面白い! なんと面白い男だ、趙伯洌よ! 惜しいのう。なぜそなたのような人材が我が金国ではなく宋賊に生まれたのか」

「賊か。てめえらから見れば、宋が賊なのか。なぜ俺が宋に生まれたのか、その問いの答えは簡単だ。宋は俺の祖先が建てた国だからさ。二百五十年前、華北で宋の建国を宣言したちょうきょういんは、俺の十代前の祖父さんだ」

 撒速が意表を突かれた様子で、初めて、悠然たるたたずまいを崩した。敵将たちもざわめく。

 王才と旅世雄も、寝耳に水だと言わんばかりの顔をした。

 趙萬年は、実は薄々勘付いていた。趙淳も趙淏も、無頼漢上がりの軍閥にはあり得ぬほどに教養がある。一体どんな家に育ち、どんな教育を受けてきたのかと、学べば学ぶほどに知力の差を思い知らされるのだ。

 だから、皇族のまつえいと聞いて腑に落ちた。はくちんの家の土蔵に隠された書物や地図、暦、宝剣、古い旗の正体がわかった。

 趙淳は胸を張り、撒速を見据え、真っ直ぐな声で言い放った。

「俺の曾祖父さんは六十五年前、金賊が華北に攻め入って都のかいほうを侵したとき、前線で戦って死んだ。俺の祖父さんは四十五年前、金賊が四川から淮南まで侵攻して暴れ回ったとき、これを迎え撃って戦って死んだ」

 六十五年前の戦は、当時の年号から取って、せいこうの変とも靖康の恥とも呼ばれる。四十五年前の戦は、最終決戦がおこなわれた場所からさいせきの戦と呼ばれ、あるいは当時の金の皇帝の名からかいりょうえきとも呼ばれる。

 撒速が傲慢な笑みを取り戻した。

「女真族の男は皆が戦士であるゆえ、一族の男が皆、敵との戦によって命を落とすなど珍しい話でもないが、そうか、漢族にもそなたのような者がおるのだな。猛き者はよい」

「一族の中で、海陵の役で生き残った男は、まだ子供だった親父だけだ。家門は落ちぶれた。もはや皇族とも名乗れやしねえ。それでも俺には誇りがある。祖先が命懸けでやってきたのと同じように、宋を守るために俺がここにいる」

「守るためか。ならば問うが、戦うことが守ることなのか?」

「戦わずに守れるというのか? それが叶う道があるのか? その可能性を知るために、俺はあんたと話をしに来た。ここから先、たくや見栄は無しだ。本音で話そうじゃねえか、完顔右副帥殿!」

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