六.白河口へ向かえ

 早馬を飛ばして、一本のが届けられた。

 見事な箭だった。箭柄には朱色の紋様がびっしりと描かれ、箭羽は艶やかな鷹の羽根。やじりは銀でできており、空に放たれれば笛のごとく鳴るように仕掛けが施されている。

「この箭にこの手紙がくくり付けられていた、と?」

 趙淳は箭と紙片とを見比べ、白河口の守備兵に問うた。

 くるくると巻いた手紙はろうで封じられ、ちょうど趙萬年の小指くらいの大きさに成形されている。水場の多い襄陽周辺では、重要な手紙は蝋の中に閉じ込めて運ぶことが多いのだ。

 十里(約五.六公里キロメートル)を馬で駆けてきた守備兵は、汗をにじませ息を弾ませて、趙淳に答えた。

「この蝋弾が真に手紙であって火薬や毒薬が詰まっているのではない、と確かめるために箭から外してしまいましたが、箭にくくり付けられて敵陣から飛ばされたものに間違いありません」

「白河口の様子はどうだ?」

「今朝方から対岸に金賊の大軍が押し寄せています。ただし、おかしなことに、この箭を射てきた一回のほかは武器を構えるでもなく、いかだを浮かべて渡ってくるでもなく、ひっそりとしています」

 趙淳が蝋を破りながら手紙を開いた。趙萬年は隣からのぞき込んだ。

 手紙の文面はきわめて簡素だった。

〈襄陽守将、趙はくれつ殿、貴公と話をしたい。戦を回避したいのだ。白河口の中洲にて貴公の訪れを待つ。金国ふくげんすい 完顔さつそくきょう

 完顔という姓は、趙萬年でも知っている。

「カス金軍の大将は王族なのか!」

「そのようだな。今回の軍事行動は、名実共に国を挙げての大事業ってわけだ」

「宛名、大哥あにきの名指しなんだな。魏すいでも、逃げちまった襄陽府知事でもなくてさ」

「金賊につかまった捕虜が俺の名を口にしたか、あるいは俺の署名が入った書状を持っていたんだろう」

 魏友諒が言葉を差し挟んだ。

「いや、城内の状況を正確に把握した結果かもしれんぞ。私は江陵副都統、伯洌将軍はけいがく都統にけい西せい招撫使を兼ねる身で、私よりも位が上だ。伯洌将軍こそが城内では最も高い権威を担っている」

 趙こうはうなずいた。

「魏帥のおっしゃるとおりだと思う。金賊は我々の情勢にかなり通じている。光化やそうようなどが相次いで陥落したのは、敵が我々の補給と連携の道を的確に断った上で攻撃を仕掛けたためだった。完顔撒速という男、あなどるべきではない」

 王才が正面から趙淳を見据えた。

大哥あにき、この誘いに乗って話をしに行くつもりか?」

「無論だ。金賊の大将が、戦を回避したいと言っている。俺も正直なところ、戦わずに場を収められるなら、それが一番だと考えている」

「五十万の大軍で攻めてきて、まちを破壊したり人を殺したり、さんざんやってくれたクソ金の親玉だぞ。手紙に書いてあるのが本心かどうか、わかったもんじゃねえよ」

「だから行くんだ。行って、面と向かって話をする」

「罠だったらどうすんだ?」

「さあて、そんときはそんときだな。襄陽守将、趙淳という男は敵の甘言にそそのかされて自滅するような愚かな男だったと、歴史書の隅に名を刻まれて後世の人間に鼻であしらわれるだけのことさ」

 軽やかに笑ってのけると、趙淳は、趙萬年に告げた。

「阿萬、一っ走りきゅうしゃへ行って、馬の支度をしてくれ」

「わかった。オレも大哥あにきと一緒に白河口に行きたい」

「元直が言うとおり、危険かもしれんぞ」

「かまうもんか。オレは大哥あにきの副官で従者で小姓で、背中を守る衛士で、いずれ大哥の伝記を書く記録者だ。覚悟なら、いつだって決まってる。危険だろうが何だろうが、絶対に付いて回ってやるんだからな!」

「了解した、おまえも来い。仲洌はどうする?」

 趙淏は静かに進み出た。

「当然、私も大哥あにうえと共に行く。阿萬、馬の支度を手伝おう」

 王才が勢い込んで大声を上げた。

「俺も行く! 趙家軍の次の世代は俺や阿萬が背負ってくことになるんだろ? だから、俺は大哥や仲洌の仕事を、できるだけ近くでたくさん見てえんだ。本を読んだって何も頭に入ってこねえぶん、この目と耳できちんと知っていきてえ」

 趙淳は口元に笑みを作ってうなずき、王才の背中をばしんと力強く叩いた。

 魏友諒は思案顔だ。負傷した左腕を抱きかかえるようにしている。

「私もこの目で様子を見に行きたいところだが、どうしたものかな。趙家軍の伯洌仲洌の兄弟がそろって城を出て、その上、魏家軍の魏友諒まで不在となると」

「確かにそれはよくない。魏帥には留守を御任せしたい」

 趙淳が魏友諒に応じた。魏友諒は深い溜息をついた。

「友軍に危険な役割を預け、己は城壁と濠の内側に閉じこもって待つというのは、苦しいものだな」

「なに、白河口なら、ちょっと行って帰ってくる程度の距離だ。夜が更けるよりも前に戻れるだろう。幸い今日は十七日で、夜道の月も明るい」

「必ず無事に戻ってくれ。襄陽は、私ひとりで背負うには重すぎる」

 白河口に行く者と襄陽に残る者、二者の役割が定められた。早速、趙萬年と趙淏が厩舎へ向かおうとしたとき、待ったが掛かった。

 壁際を離れて声を発したのは、趙淳でさえも見上げなければならないほどの圧倒的な大男だった。上背があるだけでなく、筋骨隆々として分厚い肉体を持つことが衣服越しにも見て取れる。年の程は趙淳と変わらないくらいだろう。

 大男は名乗った。

「船乗りの旅世雄です。吊り橋を取っ払った濠で渡し船を出す仕事の、現場の責任者をやっています。今、白河口の守備兵の身元を改めてここへ連れてきたのも俺です」

 旅という姓に、趙萬年は、あっと驚いた。

「ってことは、あんたがすいえい哥哥にいちゃんなのか?」

 旅世雄は首肯した。

「ああ、旅翠は俺の妹だ。とんでもねえ跳ねっ返りだが、並の男より頼りになるぞ。それより伯洌将軍、御願いがあります。俺が操る船で、白河口の中洲まで伯洌将軍たちを送り届けてえ。そして、俺もタコ金との対話を聞きてえ。いいでしょうか?」

 趙淳と旅世雄は、互いに真っ直ぐな視線で相手の目をのぞき込んだ。

 少しの間、無言だった。沈黙を破ったのは趙淳だった。

「旅はつはつかんは襄陽の船乗りの取りまとめ役だと聞いている。俺のほうからも御願いしよう。白河口までの道案内と中洲への渡しの役を務め、襄陽固有の勢力の代表として、金賊との対話に同席してほしい。頼めるか?」

「合点承知しやした! 俺のことはあざなえいえいと呼んでください。伯洌将軍、危険を察したときには、俺のこのでかい体を盾にすりゃあいい。守り通してみせますよ。襄陽も漢江も俺らのもんだ。タコ金どもに好き勝手させやしねえ」

「心強いな。では永英、まずは南門の渡し場へ先行して船の支度をしてくれ。阿萬と仲洌は馬の支度を。元直は軍旗を持ってこい」

「おうッ!」

 趙淳に命じられた面々は威勢よく返事をして、それぞれの仕事へと走った。

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