四.水の要衝を確保せよ

 南船北馬、という言葉がある。

 今をさかのぼること一千三百年余り前、学問好きで変わり者の王族、りゅうあんが識者を集めて編纂させた『なん』に由来する言葉だ。

 中華の国土はわいを境として、南北で様子を変える。

 南は川が多い。豊富な水は複雑な形をして流れ、山野を潤す。北は平原だ。黄河を擁し、その中流域であるちゅうげんにはよくが広がる。

 中華を取り巻く異民族もまた、北に棲む者と南に棲む者で得意とするところが異なる。南の越人えびすにとって船は足だ。北の胡人えびすは馬と一心同体と言ってよい。『淮南子』に書かれた南船北馬とは、こうした異民族の移動手段を示す表現だ。

 時が下るにつれ、中華の民である漢族も、異民族と同じ移動手段を使うようになった。南では船を用い、北では馬に乗る。そうすると、徒歩よりはるかに遠くまで行けるし、重い荷を運ぶこともできる。

 軍を興すときもまた同様だ。南を攻めるには水軍を造って船で川を行かねばならないし、北の戦には機動力の高い騎兵をいかに使うかが勝敗の鍵となる。

 趙萬年が『淮南子』を引っ張り出して南船北馬のくだりを確かめたのは、夏四月のことだった。北の胡人が南へ攻め入るときには果たして船に乗るのか馬に乗ったままなのかと、早急に調べたかったからだ。

 答えは『淮南子』に掲載されていなかった。別の古典を当たれば前例が出てくるのか、それとも己の身で一から全て体験するしかないのか。

 四月は、初夏の爽やかな風が漢江から澄んだ水の匂いを運んでくる、一年で最も過ごしやすい季節だ。趙家軍が拠点を構えるはくちんでは、事が起これば武器を執る男たちも皆、畑仕事に精を出していた。

 その日の夕刻、趙淳はきわめて複雑な顔で帰宅した。たまたま趙萬年だけが家にいたから、趙淳の話を誰より先に聞くこととなった。

「阿萬、俺は出世したぞ。正式にけいがく都統の任命の辞令が下った」

 荊鄂とは、この湖北の古い呼び方だ。そちらのほうが雅であるからと、朝廷が軍閥の長に与える肩書には古名が冠されることが多い。

「おめでとう、大哥あにき。朝廷がばら撒く肩書なんか、高い給料が付いてくるわけでもなし、腹の足しにもならねえけど、都統の名にひれす安い人間もいるから、もらえるもんはもらっときゃいいよな」

「ああ、もらいすぎなくらい、もらってきたぞ。けい西せい北路招撫使の肩書もだ」

「京西北路ってことは、湖北の中でも北側一帯の面倒を特に重点的に見ろって?」

「そうだ。趙家軍の皆に知らせて、出立の準備をさせねえと。任地は襄陽だ」

「ちょっと待てよ、大哥あにき。襄陽には趙家軍の全員を引き連れていけって指示なのか? 一体、襄陽で何が起こるんだ?」

「戦だ。金賊が攻めてくる」

「戦? 何で?」

「去年あたりから国境付近が騒がしいって噂は届いてくるだろう? そいつがどうやら深刻化しているらしい。朝廷への宣戦布告があったんじゃねえかと思う。辞令に添えられた訓示も、いやに物々しかった」

「でも、よりによって、襄陽を任されるのがオレたちなのかよ? 襄陽が最前線になるのは火を見るよりも明らかだ。朝廷はオレたちに危険な役を丸投げして、めえらでは軍を興しもしねえんだろ?」

「朝廷の素人どもが軍事行動を起こしたところで、俺たちの足を引っ張るだけだ。せめて軍資金はせしめようと思うが、どうなるかな。この湖北だけじゃなく、わいなんせんも軍備の強化が図られているらしい」

「ウザ金と国境を接した地域全部が危険地帯ってことか。全面戦争じゃねえか」

 国境地帯は東から順に、淮南、湖北、四川と呼ばれる。中央を占める湖北は四方八方へ陸路が開けているのみならず、より重要なのは水路だ。

 湖北には、漢江という大河が流れている。漢江は西北の山中に源を発し、やがて東南の長江に合する。長江は宋の領内で最大の川だ。長江を幹線とする水の道は、大小の河川と運河によって宋の全国土を結んでいる。

 漢江の覇権を握り、長江へと水軍を乗り入れるなら、宋への侵略はたやすいものとなる。宋の事実上の首都であるりんあんは、長江から運河でつながったせんとうこう沿いの港湾城市だから、水の道が敵に奪われれば非常に危うい。

「阿萬、漢江の流れを描いた地図を出してきてくれ。明日もまた役人どもと話をしなきゃならねえから、いろいろ確認しておきたい」

「すぐ持ってくるよ。襄陽のあたりは、地元のやつに作ってもらった詳しい地図もある。あのへんってさ、支流の流れ込む口や、中洲や浅瀬、渡し場があちこちにあって、すげえ複雑なんだよな」

「その複雑な水場を睨むために、襄陽とその弟分のはんじょうがそこに築かれたんだからな」

 趙萬年が素早く蔵から持ってきた地図は、襄陽を中心に三十里(約十六.八公里キロメートル)四方を描いたものだ。この範囲では、漢江は西から流れてきて、襄陽の傍を過ぎてすぐに南へと折れる。

 襄陽は、漢江の南岸に位置する。一里(約五百六十一.一メートル)の川幅を持つ漢江を隔てて、北に樊城がある。襄陽と樊城の間には浮き橋が架かり、付近には多数の桟橋が設けられて幾千の船が係留されている。

 趙淳のごつごつとして長い指が、紙の上を流れる漢江をたどった。

「漢江は人間に対して不親切な川だと、襄陽の連中が言っていたな」

「ああ、覚えてる。川岸は大抵、断崖絶壁で近寄れねえ。航行するにも横切って渡るにも、思わぬところに早瀬や浅瀬があって、すぐに船が引っ繰り返される。夏にはつながってる川や水路が、冬にはみずかさが減って地中に隠れたりもする」

「漢江沿いに流れを下って初めに出会う、最も安全で最も大きな渡し場と港が襄陽と樊城だ。漢江を奪いたいなら、襄陽と樊城を手中に収めねえわけにはいかねえ」

「この間、講談で聴いた三國志の関羽の最期も、襄陽と樊城を巡る戦いだった。蜀漢と魏と呉が入り乱れて、あの場所を必ずつかんでおこうと争ったんだ」

「それと狙いを同じくする争いが、もうすぐ起こる。講談なんかじゃねえ本物の戦だ」

 窓から差し込む夕日が趙淳の切れ長で大きな目を赤く輝かせていた。きりりと太い眉は難しげにひそめられ、いかつくも端正な顔は憂いを帯びている。

 大哥あにきが心配を隠さないなんて珍しい。今回の戦はそんなにまずいのか。

 趙萬年は不安になった。だからこそ笑ってみせた。

「しけた顔すんなって、大哥あにき! オレたちは趙家軍だ。力を合わせりゃ無敵だぞ。バカ金なんか蹴散らそうぜ!」

 趙淳は、そうだな、と言って笑い返した。趙淳が笑うときに目尻にできる鳥の足跡のようなしわと頬に刻まれる縦長の窪みが、趙萬年は好きだ。趙淳には笑っていてほしい。

 趙家軍が襄陽に赴いたのは、それから約半年が経った頃だった。

 そのときには既に、国境を越えて偵察をおこなう金軍の先遣隊の姿が毎日のように確認されていた。戦は目前に迫っていた。

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