二.三千で五十万を迎え撃て

 拾い子の趙萬年にとって、趙淳と趙こうの兄弟は育ての親であり、武人としての師でもある。趙萬年は、趙淳を大哥、趙淏を二哥、と実の哥哥にいさんのように呼んで慕っている。たまたま二人の哥哥と同じ趙姓だが、血のつながりはない。

 趙萬年は、かんちんという小さな村に生まれ育った。幼い頃の記憶はひどく曖昧だ。親の顔も思い出せない。

 今より十年前、漢江沿いの韓家鎮は茶賊の襲撃を受けた。茶賊とは、茶を商うことで巨利を得た地方豪族が武装化したものだ。

 茶は、米や塩と同様に、宋に住まう全ての人民の暮らしに欠かせない。古くは薬や贅沢品だったというが、今では道端で寝起きする貧民でさえ、欠けた器に団茶のかけらを落として湯を注ぎ、ちびちびと口に含んでは空腹をごまかしている。

 そんな習俗であるから、茶商はもうかる。そうすると、金持ちを狙う泥棒が現れる。それを防ぐため、茶商は用心棒を雇う。

 泥棒も用心棒も、実は似たようなものだ。破落戸ごろつきが腕に物を言わせて銭を得る。稼ぎの手段が紙一重に異なるだけだ。

 誰も好きこのんで法を犯す危険を選びたくはない。茶商が気前よく破落戸を雇えば、泥棒は用心棒へと早変わりし、茶商は戦力を付ける。さて、茶商はその戦力をどう使うか。

 湖北では茶商の武装蜂起が後を絶たない。朝廷から派遣される役人に対し、茶にかける税を安くしろ、と求める。あるいは、茶の販売権の拡大を認めろ、と求める。

 こうなると既に、茶商などというおとなしい代物ではない。茶賊だ。

 役人は文官だ。武装勢力への対処法など知らない。そこで出動を要請されるのが、これもまた破落戸の私兵集団であるぐんばつだ。

 趙淳は二十歳に満たない若さで軍閥の頭目となった。

 十年前、すなわち趙淳が二十二歳の頃にはもう、趙家軍は近隣で最強とうたわれており、たびたび役人に命じられては茶賊を討った。しかし、その武名があだとなった。

 韓家鎮への茶賊の襲来は、趙淳に対する報復だった。韓家鎮の名は地主である韓家に由来するが、その本家の長女が趙淳の新妻だった。茶賊は、韓氏が里帰りした折を狙って韓家鎮を荒らしたのだ。

 趙淳の妻は死んだ。秋の収穫を目前に控えた韓家鎮は畑をめちゃめちゃにされ、逃げ去った者の多くは税を納められないことを恐れて、二度と村に戻らなかった。

 八歳の趙萬年は、二つばかり年下の少年、王才と共に、半ば崩れた馬小屋から発見された。馬は茶賊に連れ去られていたが、恐怖のあまり口も利けない子供が二人そこに隠れていることは気付かれずに済んだらしい。

 趙萬年と王才は趙家軍で育つこととなった。武芸を教わり始めると、呆けるか泣きじゃくるかのどちらかだった二人は、みるみるうちに元気になった。

 二人はまた文字の読み書きも教わった。王才は座学を嫌い、あまり真剣に書物を読まなかったが、趙萬年は熱心に勉強した。趙萬年が新しい文字を覚え、より正確な筆運びを身に付け、難しい書物を読破するたびに、趙淳がとても嬉しそうな顔をしたからだ。

 趙萬年は、頼り甲斐があって明るく、誰にでも公平な趙淳が大好きだった。趙淳より五歳年下の趙淏は、きまじめでどこか影があり、子供の頃は得意ではなかった。趙淏と気兼ねなく話せるようになったのは、ここ二、三年のことだ。

 ここ二、三年といえば、王才が急に生意気になった。以前は趙萬年を三哥にいちゃんと呼んでいたのに、今では年上の者たちと同じように、阿萬と呼ぶ。

 阿萬とは、趙萬年のあざなではない。「阿」を付けて呼ぶのは幼名だ。字は一人前の証として自ら名乗る。昔は成人の儀式で初めて字を授けられたらしい。そんなものは、今ではすたれている。少なくとも趙萬年のまわりでは、誰も儀式など執りおこなわない。

 趙萬年もそろそろ格好いい字を名乗りたいと思うのだが、考え付かないうちに、生意気な王才に先を越されてしまった。王才は、げんちょくと名乗っている。気性の真っ直ぐなおまえには似合いだ、と趙淳も太鼓判を押した。一方、趙萬年は相変わらず、阿萬だ。

 三千の兵を擁する趙家軍に朝廷から直々の命令が下ったのは、かい六年(一二〇六年)の夏のことだった。茶賊討伐ではない。とんでもなく強大な敵を迎え撃てとの命令だ。

 宋の北方は、女真族の国、金が境を接している。金との関係は、この四十年余り穏やかなものだった。それが破られた。

 いや、先に破ったのは宋のほうだという噂もある。

 現在、金が建っている土地は、百六十年余り前までは宋が領有していた。宋は金との戦に敗れ、南方への退避を余儀なくされた。宋の朝廷には今でも、祖先の地を取り戻したいとの悲願を掲げる復古主義者がいる。

 金との国境地帯にある襄陽では、復古主義など誰も相手にしない。金との関係が悪化すれば、真っ先に戦場になるのは襄陽だ。誰も戦など望んでいなかった。

 それがなぜ開戦してしまったのか。

 実のところ、勅命を受けて襄陽に着任した趙家軍にも、確かな情報はもたらされていない。ただ目の前にある戦況が全てだ。

 金軍はもはや、遠慮も容赦もなく宋の領内に入って次々と城市を落とし、破壊と略奪をほしいままにしている。趙家軍はこれを食い止めなければならない。

 しかし、五十万を号する金軍に対し、わずか三千の趙家軍に何ができるのか。

 さすがの趙家軍の強者たちも、ぞっとせざるを得なかった。そんな中で、趙淳は一人、茶化すように軽やかに笑ってみせた。

「あれこれ思い悩むより、やるしかねえだろう。やってやろうぜ」

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