朝焼けの傘

戸花まどか

蔑みと親愛

僕、

 空の色が好きなんだ。

 雲は、染められてる…。頬みたいに淡く弱く、赤くなる。

 ラベンダーの花の色に、ミルクを溶かしたみたいな薄紫。一面に広がってる。

 差しこんでる白い光。レモンの色の光。あの子の傘とおそろいだ。

 見るとあの子ロネリィは、もうひとつ傘を持っていた。


「レインス見て、これきっとレインスに似合うね」

 少し嬉しそうに僕に見せた。傘屋は視界の端から端まで、その向こうまで傘が吊るされていた。窓に空の色がにじんでる。ロネリィの髪にもやわらかい朝の光がかかっていた。

『本当?見せ て

  ロ ネ リ  ィ』

 僕は少し湿気った手帳にそう書いて見せた。黒いペンのインクが切れたから、赤いペンをださないと。

 僕は左手で、顔を隠している何重ものレースをなでつけた。

 その傘は僕の好きな色だった。ロネリィが作るレモンジャムの色。味の濃いのと薄いの、端から端まで埋まってる。区切りがない色があっちにこっちに、かけていった跡が残ってる。それは優しくてきれいな色…。


 それを見ていると、ゆっくり飲みこまれてしまいそうだった。

 …もし今この傘を開いたら、ぱっくんと僕を中に閉じこめてしまうかもしれない。

 ロネリィが作ったタルトを僕がぱっくんと食べてしまうみたいに。

 だけどそんなことはなかった。開いたその傘はおとなしかった。

 ロネリィ、きっと君がそばにいてくれたから。そんな気がして嬉しかった。

「すごく似あってるよ」

『ありがとう』

 僕らは微笑みあった。僕は笑い声は出せなかったけれど…。

 僕はその変わった傘を買った。店を出ると、ちょうど雨が、ぱらぱらと遠慮ぎみに「おはよう」を言っていたから、僕は傘を開いた。

 ロネリィはデイジーの花の模様の傘をさして、いい匂いがすると笑った。

「キャンディルが喜ぶね」

 いつもと同じ、薄紫の雨が降ってきた。

 それを眺めていると、後ろから叫び声が聞こえてきた。

「ロネリィ~! レインス~! 」

 足音と大きな声が走ってきた。傘に入れてくれと、ラットラが来た。帽子をかぶっていたけど、髪が薄茶色をしていて、目が青いからすぐにわかった。このあたりでその色の子供はラットラだけだから。

 両手に真新しい新聞紙を抱えていたけど、それの一番上は少し濡れていた。

「はー、よかった! これ以上濡らしたらどうしようって思ってたんだ」

 ニッとラットラは笑うと、僕の傘に入りこんだ。ロネリィが、持つよって言ったから、ラットラは三部のうち一部だけ渡した。ロネリィの住んでる家の分だから。

「お、いいなこれ! なんか俺がさしたら冗談だけど、レインスは綺麗だからな」

 ラットラがいつものように僕を褒めた。僕は、街一番綺麗だと言われる。僕は街の中で一番肌が白い。髪が白い。そして目が一番赤い。ラットラのおばあちゃんは、お前はまるで熟れた宝石を目に閉じこめたようだよ、と言う。顔をあわせるたびにそう褒めてくれるから、僕はすぐ同じ返事ができるように、手帳の一ページ目にこう書きこんでる。

『それってとても素敵なこと。おばあちゃんありがとう』

 それを見たラットラのおばあちゃんは、声を出して愉快そうに笑う。背が曲がって、椅子に座りっぱなしになっても、陽気なところは街一番だ。彼女は青い目をしていて、髪は真っ白。

 ラットラは家族の中でもおばあちゃんに似ていると思う。顔はもちろん、おしゃべりが好きなところとか、ごはんを食べる前に鼻歌を歌うところなんかそっくり。

「ラットラだって充分かっこいいよ」

 傘の下でロネリィが言った。

「そうか? だとしたら嬉しいな。俺に似てる家族みんなへの褒め言葉だからな! 」

 僕は小さく拍手をした。『それってとても素敵なこと。』そう伝えるために。

「配達も残り一部。最後のこれはキャンディルの家のだぜ。これくらいなら読むのに問題ないな! 」



 *



「やだ、これじゃ字が全然読めないじゃない! 」

 すっかりやわらかくなった新聞紙を見て、キャンディルが不満をもらした。まつ毛の濃い目をパチパチさせていたけど、後ろに僕とロネリィがいるのに気づくと、扉をさっきより広く開けてくれた。

「それになんで、そんなに汚れてるの? 」

 びしょ濡れになったラットラを見て驚いていた。三人の中でそうなっているのはラットラだけだったから。

「いやあ…つまずいて。水たまりに飛びこんじゃってさ。ほら、ひとつ横の通りの看板があるだろ?気がつかなかったんだ。なにしろ家の前にいた父さんの傘を借りてきたからな。この傘は俺にはでかすぎる。視界が悪くてしかたない! 」

 ラットラはそう言って肩をすくめた。そして自分の父の傘を玄関の中に立てかけた。僕とロネリィも同じようにした。キャンディルがタオルを持ってきて、僕ら全員に配ってくれたから、ロネリィがお礼を言った。僕も小さく拍手をした。『ありがとう。』って。

 キャンディルはそのまま僕らを中に入れてくれた。僕は靴を脱いで、レインコートを脱いで、壁にひっかけた。

「ママがガッカリするわ。新しいのをもってきてよ」

「うーん! …じいちゃんに怒られたくないんだよなー…」

「もうあんた、それでも新聞売りなの? 」

 キャンディルは呆れる、といった顔をしながら、四人分のティーカップとティーポットを棚からだした。

 ラットラはため息をついて、よし、と声をだす。

「わかった、行ってくる」

「早く戻ってきなさいね」

 キャンディルはまるでラットラの姉みたいに言った。実際キャンディルは僕とラットラよりひとつ歳上だ。あとひと月したらラットラも同じ歳になるけど、さらにふた月すればまたキャンディルが上になる。

 ロネリィは…、きっと、僕と同い歳。

「でもその前に風呂借りてもいい? 」

「うちのキャンディをいつもより四つ多くかったらね! 」

 新聞を読みながら紅茶を飲むのがあたしの日課なのに、あんたは本当にのんびりね。そう言ってキャンディルはティーカップをひとつ棚に戻した。ラットラにだけ紅茶を淹れないつもりだ。というのは嘘で、本当は後で飲むときに淹れなおしてあげるんだろな。

 キャンディルは菓子売りだ。高い位置でまとめた巻き毛の金髪と赤い目が、落ち着いた焦げ茶の外装や家具の中で目立ってる、看板娘だ。この家の二階の通路が裏の店と繋がってるんだ。僕らが二度目のご飯を食べるころからキャンディルは忙しそうにしてるから、店が開く前に遊びに来ることはよくある。



 *



「それにしてもいい天気ね! 」

 キャンディルは伸びをして、キッチンから窓を見た。ラットラはシャワーを借りた後、自分の家に戻っていった。キャンディルはテーブルに座っているロネリィのほうを向いた。

「ちょうど焼き菓子をたくさん作ったところだったのよ。食べていって! 」

 そう言って、ホットティーを、フルーツの入ったポットにそそぎこんだ。

「うん! ありがとう。すごくおいしそう! 」

 二人はにっこり笑いあった。

 僕はいつも砂糖が置いてあるところからそれを取ってきて、ポットの中に落とそうとした。でもすぐキャンディルに取りあげられた。そんなに入れちゃだめよ、舌がバカになるわよ! そう言って、僕の頬をつかんだ。糸と糸の隙間からキャンディルの体温が伝わった。

 僕は自分の顔を隠していたレースにさわる。薄紫のかかった、甘くてさみしい薄紅色の顔隠し。家の中でははずしてもいい決まりなんだ。ここは僕の家ではないけど、キャンディルはそれを許してる。もう記憶が無いころから。

 顔隠しを下にひくと、軽く髪が乱れた。…これをつけているのは僕だけ。街で一番綺麗だと認められたその子だけ。僕は話すことができないのに視界もすごく悪い! だけど僕はそれをつけていないとだめ。これはしきたりだから。みんなが長く生きられるように、神様が気にいるような子に祈らせるのが決まり。僕にとって邪魔な顔隠しは、僕にとって誇りでもあるんだ。他にも、毎週のお祈りに出ること、汚いものには触れてはいけないこと、体に傷を残さないこと、色々守らなくちゃいけない。


 ふりかえってロネリィを見たら、目が合った。

 黒い瞳。それがロネリィの顔にふたつ並んでこっちを見てる。にこりと笑って、座っている。僕はドキリとした。頬に残った体温は、空気によってすぐに冷やされた。

 ロネリィはどこから来たのかわからない子だった。昔ちょっと離れたところの路地で、ジャム屋の婦人が見つけたんだって。そのとき3歳、つまり僕と同じくらいに見えたらしい。全身が汚れていて、髪はインクを染みこませたように暗かったし、幼い顔に並ぶその目には激しく違和感を覚えたと。その婦人、ミゼルさんは、女の子は目が見えないんじゃないかと思った。

 大丈夫、と声をかけると、その子は、ママとパパがいないと泣きはじめた。

 ミゼルさんはハンカチを濡らして女の子の頬を拭いた。なのに顔の汚れは中々落ちない。溶けない絵の具を塗ってあるみたいに感じたって。女の子は右手で、ミゼルさんの手首、ハンカチを持ったほうのミゼルさんの左手をつかんで不思議そうに言った。

「お姉さん、デージーのお姫様みたい。そんなに肌が白いのはどうしてなの? それに目が真っ赤だよ。お姉さんも泣いたの? 私も泣いたら目が真っ赤になるけど、目の中の色は赤くならない…」

 その子は目が見えていた。…ハンカチは少しも汚れなかった。元からその肌の色だと理解するのにしばらく時間がかかった。女の子は涙の色まで違っていた。いや、その子の涙に色はなかったんだ。雨と同じ紫色じゃなくて、空気と同じ、透けるような液体だった…。

 ミゼルさんは、初めて見たその容姿に戸惑ったけれど、その幼い子がぼろぼろ泣くのがあんまりかわいそうだと思って、一緒に家族を探してあげた。だけどいなかった。どこにもいない、見た者もいない。

 朝焼けに照らされた明るい住宅街。人だって鳥だって猫だって通るよ。子どもは遊ぶし、女の人は買い物帰りにお喋り行ってる。それでも誰も知らないと、わからないと言った。

 ロネリィはただの迷子じゃなくて…そう…見たこともない醜い子だったから、噂は流れてすぐに騒ぎになった。実際の理由がそうだったのかはわからない。よく覚えてないから、そんなことはわからないの。こんなに優しくて幼気な子に、面と向かって嫌なことを言った人はいなかったかも。だけどきっとそうなんだ。物珍しかったのは確かなんだから。

 お嬢ちゃん名前はなんて言うの。そう聞かれた女の子は、ロネリィだって言ったらしい。

 ひどい髪、泥の色。石炭の瞳。くすんで汚れた、その容姿…。

 神様はどうしてロネリィを綺麗な子にしなかったんだろう。きっとなにかの間違いで、ロネリィには綺麗な心にふさわしい綺麗な白い髪と白い肌と、赤い目がもらえるはずだったんだ。なのに、どうしてそ神様に嫌われてしまったんだろう………。

 だけど、どんな見た目でも、僕はロネリィが好きだよ。街でロネリィのような子が、ひとりとしていなかった。だけど僕はロネリィを家族のように思ってるよ。見えるのが、黄色っぽい肌だったとしても…。

「美味しい! このクッキー、ラベンダーの香りがするね! 」

 ロネリィはいつも笑顔。

 そう、そうだよ。僕はロネリィが大好き!

「ほらレインスもはやく食べて。冷めてないほうが美味しいわ」

 キャンディルは僕の髪を戻すと、ロネリィの隣の椅子を指さした。

 中途半端に遠い横顔の、嬉しそうにすると下がる眉が、本当に好きだった。



 *



 甘くて苦い砂糖菓子の包み紙が悲鳴をあげる。


「あのね、話があるんだみんな」


 キャンディルが新聞を読み終わったころ、ロネリィが言った。今日という日をタルトみたいに分けられるんだったら、もう八つのうち三つも食べちゃった。雨はサーサー降っていた。僕は薄紫が泥と混ざっていくのを想像した。

「えっと…真剣に聞いててね! 」

 ラットラは財布を閉じて、テーブルの隅に置いた。

「実は、決めたの…」

 何を?って、キャンディルが。








「この街を、出ることにした。私」





 選んでもらった傘が、泥に沈んでいくのを想像していた。

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朝焼けの傘 戸花まどか @tobanamadoka

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