ポンコツ捜査する
第1話 第二ラウンド開始です
「よ、四時半ごろでした。ぼくがあの絵を見つけたのは」
まるで気の弱い子供が親に怒られているかのように、弱々し気に、自信がなさそうにそう証言したのは、朝陽城学園で警備員の仕事をしている神坂さんという男性でした。身長は百八十センチくらいと高めなのですが、細い木の棒みたいにひょろっとした体型、青白い顔色、人の目を避けるようにうつむく仕草が、警備員としての信頼性を著しく低下させているように思われます。制服だけはクリーニング後のように綺麗だったので、みためによらず綺麗好きなのかもしれませんが、それが警備員としての能力に関係があるのかと問われれば首を傾げるしかありません。もしもわたしが怪盗団の一味だったならば、神坂さんのような人が警備をしている時間を狙って仕事をこなすでしょう。たとえミスを犯して警備員と遭遇したとしても、簡単に逃げられそうな気がします。年齢は二十代前半にも見えましたし、三十代後半にも見えます。はっきり言って、よくわかりませんでした。肌に皺は少ないのですが、目の下の隈と頬のやつれ具合が、若々しさを著しく損ねさせているのです。
事件現場の美術部の部室を離れたわたしは、部室棟の入り口付近にある警備員室にいました。時刻は午前七時を少し過ぎた辺り。外は明るく、アスファルトの地面の上では数羽のスズメがちょろちょろと動いています。生徒の姿がちらほらと見えます。部室棟に入ろうとしている生徒は、入り口前で準風紀委員の方から封鎖の説明を受けていました。もしも、今日という日が事件が起きていない普通の日だったとしたら、今頃わたしは眠気の残る眼を擦りながら熱いドリップコーヒーを飲み、菓子パンを口に入れていることでしょう。ふと、そんなことを思ってしまったのは、警備員室の机の上に売店で売られているクリームパンと缶コーヒーが置かれていたからかもしれません。
警備員室は六畳くらいの広さで、奥の壁際には黒革のソファが設置されています。端の方に茶色い毛布がたたんで置いてあるので、仮眠用のベッドとしても使われているのかもしれません。お世辞にも寝心地が良いとは思えませんが、それでも待合室に置かれている雑誌のようにないよりはマシなのでしょう。
入り口側の壁には四十インチの液晶モニターが設置されています。画面が十二個に分割されていて、それぞれに部室棟の廊下の映像が色々な角度からリアルタイムで映し出されていました。どうやら、犯行時にクラッキングを受けていた防犯カメラの機能は復旧しているようです。美術部の部室前の映像も映し出されています。現場で作業中の準風紀委員会鑑識班所属の水野シロがカメラに向かって手を振っています。わたしがカメラを見ていることを見越しての仕草なのでしょう。わたしはカメラに向かって手を振り返すことはせず、少し口元を緩めながら視線を移しました。
部屋にはわたしを含めて三人の人物がいました。わたしと警備員の神坂さん。そして、友人である越後サクラが『関わらない方がいい』とわたしに忠告していた男子生徒――通称『人喰い』と呼ばれている真田ロミオです。
真田ロミオは警備員さんに話しかけることはせず、簡単な挨拶を済ませたのち、ブレザーのポケットに忍ばせていた飴玉をなめながら警備員室の中をうろうろとうろつきはじめました。ソファに腰をおろしてみたり、防犯カメラの映像を切り替えてみたり、警備員さんたちが使用しているロッカーを勝手に開けてみたり。そんな様子を警備員の神坂さんは訝しそうに黙って見ていました。黙ってというよりは、本能的に関わりたくない、と感じていたのかもしれませんが、本当のところはよくわかりません。
「あの部屋の前を通ったら、扉が少し開いているのに気がついて。おかしいと思ったので中を確認したら……あんなことになっていたんです……」
そう告げる神坂さんの様子は叱られることを恐れる子供のようでした。わたしと目を合わせようともしません。そんな神坂さんにわたしはなるべく優しい口調で言います。
「一つ確認なんですが、警備の巡回では一つ一つの部屋の中まで目視で確認することになっているんですか?」
「いえ。部屋の中までは確認しない、です。基本的には、電子ロックがされている……ので。外部の人間に漏れてはまずい機密の情報もあるらしいですし」
「じゃあ、誰かが警備の目を逃れて室内に残っていることは可能なわけですね」
「は、はい。おそらく」
「防犯カメラや電子ロックなどのセキュリティが切られていたことに気がついたのはいつですか?」
わたしがその質問をすると、警備員の神坂さんの表情がさらに弱々しいものへと変わっていきます。
「班長に連絡したとき……です。定時連絡を行うために部屋へと戻ってきたんですけど、そのときにはすべての防犯カメラの映像が黒いモノへと変わっていました。巡回に出かける三時半くらいまでは正常にカメラの映像は映っていたと思います」
朝陽城学園には部活棟の他に図書棟や居住棟などのビルがあり、さらに授業を行うビルが十棟建っているのですが、それぞれの棟に警備員が配置されています。つまり、昨夜の夜勤を担当していた警備員さんは神坂さん以外にも数名いて、その数名の警備員さんたちをまとめているリーダーが班長というわけです。
「連絡を受けた班長が理事会に連絡。それでわたしたち風紀委員に出動命令が出た。マニュアル通り、というわけですね」
「は、はい」
「班長さんはどこにいたんですか?」
「十号館の周囲にいた……みたいです」
「班長さんは誰かと一緒にいましたか?」
「いえ。一人だと思います」
「そうですか」そう答えたわたしは、一呼吸置いてから言います。「ちなみに、神坂さんは?」
「……え?」一瞬、何を質問されているのかわからないというような感じで首を傾げてから、警備員の神坂さんは答えます。「こ、ここにいました……けど」
「ここ。つまり、警備員室というとですね」
「は、はい」
「それを証明できますか?」
「え、えっと……一人だったので。で、でもカ、カメラに映っていると思いますけど。一応、警備員室の中を映しているカメラがあるので」
「カメラはクラッキングされていたんですよね?」
「あ……」ここでようやく自分がわたしにどう思われているのかに気づいたらしく、警備員の神坂さんはそれまでのおどおどとした小さな声から一転、慌てた様子で口を開きます。「ぼ、ぼくはやっていませんよっ」
動揺する警備員の神坂さんを見て、わたしは心の中でニヤリと微笑みました。わたしの経験——とは言っても、推理小説の読書によって得たものですが――によると、事件の第一発見者というのは犯人に近いことが多いのです。実行犯である可能性はもちろんのこと、犯人の共犯者である可能性もあるのです。
「では、たまたま神坂さんが夜勤の時間帯にセキュリティがクラッキングされて、たまたま事件が起きたというわけですか?」
「そ、そうですっ」
「たまたま、不運な偶然が重なったと」
「は、はい」
「ご存知だと思いますが、この学園のセキュリティシステムはもの凄く強固です。才能豊かな生徒が集まっていて、実際に特許を取得している技術もありますし、オリンピックに出場するような生徒が練習もしているわけですから非公開の練習方法や戦略の情報もあります。そんじょそこらの企業のセキュリティとはレベルが違うんですよ。コソ泥レベルの人間ならすぐに逃げ出してしまうほどです。その学園のセキュリティをクラッキングするということはかなりの労力と技術が必要です。不可能と言っても過言ではないレベルですね。まあ、内部の手引きがなければ、ですけど」
「ぼ、ぼくは何もしていませんよっ」
「ほんとうですか? 実行犯ではないとしても、協力者ということはないんですか?」
「ありませんよっ」
「時間をかけてじっくりと今回の計画を練ったんじゃないんですか? 昨夜、夜勤に入ったのも計画通りだった」
「だから、違いますっ」
「――まあまあ、落ち着いてください」
突然、わたしの尋問に割り込んできたのは、警備員室を散策していた真田ロミオでした。もう少しで完落ちさせることができたのに、と苛立つわたしに彼は言います。
「目の前に続く道が正解へと繋がっていると確信したとしても、一度、立ち止まって考え直すことも時には必要ですよ。人間というものは自分が抱く『正解』へと向って現実を都合よく捻じ曲げてしまうことがありますからね。自分という人間と現実を俯瞰することも重要です」
「何が言いたいんですか?」
「渋谷さん、僕の考えでは神坂さんが犯人、あるいは協力者という可能性は低いですよ。今のところは、ですけど」
わたしとは正反対の意見。真田ロミオにそのような主張をされたわたしは、彼と対決するような気持ちで口を開きます。
「どいうことですか?」
「神坂さんには時間をかけてじっくりと犯行の準備をすることなんてできなかったんですよ。そうですよね、神坂さん」
「は、はい」
「それに、先ほど鑑識班の水野さんに確認したのですが、部活棟のセキュリティがクラッキングを受けた形跡はなかったみたいですし。もちろんクラッキングの足跡を消す時間もないでしょう」
まるで目の前に救世主が現れたかのように瞳を輝かせる神坂さん。それににこにこと笑顔で答える真田ロミオ。わたしはそんな二人の姿を見て、納得のいかない気持ちで口を開きます。
「時間がなかったって……どうしてそんなことが言いきれるんですか?」
「まあ、これはぼくの勘というか、推理みたいなものなんですけど」そう言った真田ロミオは警備員室のロッカーへと向かって行きました。ロッカーの前で振り返り、わたしを見ます。「これを見てください」
真田ロミオが指をさした部分はロッカーに貼られているシフト表でした。A3サイズの白い紙に一週間の勤務表が書かれています。
「このシフト表にはもちろん神坂さんの名前が書かれています」
「当たり前じゃないですか」
「そうです。当たり前です。でも、よく見ると、神坂さんの名前の隣に『新』という文字が書かれているんですよ」
「それが何か?」
「この『新』の意味ですが、おそらく可能性は二つ。一つはここで働いている警備員には神坂という苗字の方が二人以上いて、区別をつけるために名字だけではなく下の名前も書いた。もう一つは、新人。つまり、渋谷さんと同じ新米ということです」ここで言葉を切り、真田ロミオは神坂さんに目を向けました。「一体、どっちが正解なんでしょうか?」
神坂さんは嬉しそうに答えます。
「新人、です」
「だと思いました」真田ロミオはわたしを見て言います。「つまり、神坂さんは昨夜、はじめてこの学園の警備を担当したというわけです。そんな神坂さんに入念な準備や犯行の隠ぺいができると思いますか?」
わたしは何も言えませんでした。自分の推理が間違っていた悔しさもありましたが、それ以上に、周りを観察すれば簡単にわかるヒントを見逃して自分の推理に酔っていた自分が恥ずかしかったのです。
そんなわたしに真田ロミオは手を差し伸べてきます。手のひらには個包装された飴玉が乗っていました。
「なめます?」
「いりません」
「まあ、そう言わずに。貰えるものはとりあえず貰っておいた方がいいですよ。いらなければ捨てればいいだけですし。ただ、捨てるのは後でこっそりとやってくださいね。あげた方がショックを受けてしまいますので。あえてショックを与えたいというならば話は別ですが」
真田ロミオは強引にわたしの手を取り、飴玉を渡してきました。どうしても食べたくはない、というわけではなかったので、わたしは飴玉の袋を開けて、中身を口の中に入れます。甘酸っぱい梅の味。それが口内に広がっていきます。美味しい。そう思ったのですが素直にそれを口にするのは悔しかったので、別の話題を口にします。
「そう言えば」わたしは真田ロミオを見ました。「真田さんはいつも何か口にしていますね。さっきも事件現場でお菓子を食べていましたし」
「落ち着かないんですよ。何か口にいれていないと」
「なんですか、それ。まるで禁煙中の人みたいですね」
ははは、と真田ロミオは笑いました。何となくですが、その笑みに違和感を覚えます。まるでこれ以上、話を広げたくないと言われているかのようだったからです。
「まあ、とりあえず」真田ロミオはぱんと両手を軽く叩きます。「第二ラウンド開始です。神坂さんからは目撃した犯人について訊いてみるべきですね」
「わかりました」
「神坂さん」真田ロミオは言います。「犯人を見たんですよね?」
「え、ええ」そう言ってうなずいてから神坂さんは続けます。「美術部の部室の扉が開いていたと班長に報告した後のことです。防犯カメラの映像がおかしくなっていることも含めて現場に行って調べてこいと言われたので、ぼくは指示に従って現場に向かったんですけど、そこへ向う途中の廊下で犯人を見たんです。犯人はぼくに気がつくとすぐに逃げ出してしまいました」
「犯人の特徴を教えて欲しいのですが」
「え、えっと……」
話を振られた神坂さんは、なぜか言い辛そうにうつむきます。
「どうかしましたか?」真田ロミオは気遣うように言います。「自分の身に危険が及ぶことを心配しているんですか?」
「いえ、そういうわけではないんですけど」そう答えた神坂さんは少し考え込むように唇を噛んでから言います。「こんなことを信じてもらえるかどうかはわからないんですけど、犯人は変な格好をしていたんです」
「変な格好?」
「はい」
「具体的には?」
「え、えっと――」
神坂さんから語られる犯人の特徴。それを聞いたわたしは、思わず眉をよせてしまいました。
少女はポンコツなので謎が解けない 未知比呂 @michihiro
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