第8話 え? 貴様ら?
まるで突然地面に落とされた食器の音に耳をつんざかれたかのように、その場にいた全員の視線が一点に集中しました。窓を開けて空気を入れ替えたみたいに、どんよりとした雰囲気が一瞬で緩和されます。美術部の部室でいざこざを起こしていたわたしたちの視線を一身に受けた人物。それは、わたしがこの部屋に入ってきたとき、血色の絵具をかけられて首から上をくり抜かれるという痛ましい姿になってしまった絵の周りで四つん這いの姿になり、イヌのように鼻を地面に擦りつけていた金髪の男子生徒でした。
「なんだ、貴様は」
睨み付ける上田ジュンイチに、金髪の男子生徒は飄々と口を開きます。
「真田ロミオです」
「名前など、どうでもいい」上田ジュンイチは苛立った様子で言います。「俺の許可なく勝手に部外者が口を挟むなということだ。煩わしい」
「まあ、そう言わずに。副会長様」恫喝されているというのにまったく臆する態度は見せずに、マイペースな口調で真田ロミオは続けます。「この真田ロミオに五分ほど話す時間をいただけないでしょうか。生徒の声を聞くのも生徒会の仕事だと思いますし」
「今は部外者の意見を聞く時間じゃない。失せろ」
「心配しなくても、用事が済んだら犯人のように消えますから。それに、ぼくは完全な部外者ってわけでもないんですよ」
そう言った真田ロミオは制服のブレザーのポケットから腕章を取り出しました。腕章の色は紅。それを見た上田ジュンイチが忌まわしそうに漏らします。
「アドバイザーか」
「そういうことです」
にこりと微笑む真田ロミオ。その笑顔に皮肉があるのかないのか。わたしには判断がつきませんでした。
「さすがアドバイザー。わたしたち準風紀委員レベルとはわけがちがう」シロが腕を組みながら言います。「生徒会副会長とはいえ、風紀委員長の勅旨で選ばれた人間を無視するわけにはいかないね。紅はほぼ風紀委員。その力は偉大なり」
「わたしだって風紀委員なんだけど」
先ほど思いっきり馬鹿にされたわたしは拗ねながら漏らします。
「まあ、アレだよ」シロはフォローをするように言います。「ユーは風紀委員っぽくないから。良い意味で」
「なんでも最後に『良い意味で』って言葉をつけたらいいと思ってない?」
「違うの?」
「当たり前だよっ」
ため息をつくわたしの横で、同じようにうなだれる人物がいます。
「まあ、その会長の勅旨が」サクラは気だるそうに言いました。「悪魔を生み出してしまう預言者の言葉みたいにとんでもない選択じゃないことを祈るよ」
「どゆこと?」
わたしの質問にサクラは答えます。
「だからさっき言ったじゃん。関わらない方がいいって」
「その説明じゃわからないんだけど」
「運が悪ければそのうちわかるよ」
こんな会話をしているわたしたちをよそに、真田ロミオと上田ジュンイチの掛け合いは続きます。
「いいだろう」上田ジュンイチが言います。「三分だけやる。簡潔に述べろ。ただし、俺が聞くに堪えないと判断したら、その場で貴様の主張は終わると思え」
「ありがとうございます。閣下」わざとらしく媚びるような笑みを見せながら真田ロミオは頭を下げました。「まあ、とは言っても言いたいことは一つしかありません。三十秒で充分なんですが」そう前置きをした真田ロミオはわたしを見てから言いました。「あのお嬢さんにチャンスを与えてやってはくれませんか? せっかく頑張ろうとしているみたいですし。子供をかわいがるのと同様に、頑張ろうとしている女性に手を伸ばしたいと思うのは当然じゃありませんか」
それは予想外の援護射撃でした。関わらない方がいい。そう何度も忠告してきたサクラのせいで、わたしは真田ロミオにいいイメージを持っていなかったため、まさかこんなにもまともなことを口にするとは思っていなかったのです。
「サクラ」わたしは言います。「いい人じゃん、あの人」
「まあ」サクラは息を吐きます。「悪人ではないよ。悪人ではね。うん」
わたしがサクラの言葉の意味を追求する間もなく、真田ロミオと上田ジュンイチの会話は続きます。
「頑張ってどうこうなる問題ではない」上田ジュンイチは言いました。「さっき話をしてみてわかったが、奴はダメだ。無能すぎる。あれならまだ飼い主に捨てられた犬の方がマシだ」
「そんなことを言わず、信じてあげてくださいよ。副会長殿の男気で」
「ダメだ」
「お願いします」
「くどいぞ金髪」
「そうですか……」
腕を組み、深く考え込む真田ロミオ。そんな彼の様子を見ながらわたしはサクラに言います。
「あの人。どうしてあそこまで頑張ってくれるんだろう」
「たぶん」サクラは言います。「お姉ちゃんに頼まれたからじゃないかな」
「そんなにモミジさんを崇拝しているの?」
「いや、崇拝と言うか……」
意味深にそう言うサクラの言葉を遮るように、真田ロミオは口を開きます。
「じゃあ、こうしましょう。三日ください。三日間で解決してみせますよ。それくらいなら猶予をくれたっていいんじゃありませんかね。たった三回暖かい布団の中で眠る間だけですから」
「三日か」上田ジュンイチは少し考えてから続きを口にします。「三日で解決できなかったらどうするつもりだ?」
「腹でも切りましょうか」
「笑わせるな、金髪。貴様が死んでも犯人は捕まらない」
「冗談ですよ」
「もうそろそろ三分経つぞ。いい加減、貴様の話しには飽きてきた」
「ああ、もう。わかりましたよ。副会長殿はユーモアがお好きじゃないみたいですね」真田ロミオは一つ息を吐き、ブレザーをぴっと両手で伸ばしてから口を開きました。「そうですね。じゃあ、こうしましょう。三日間で事件を解決できなければ、辞めるとしましょうか」
「おまえはもともと風紀委員じゃないだろう。アドバイザーだ」
「いやいや、辞めるのは風紀委員じゃないですよ。朝陽城学園――つまり、この学園です」
「え?」
わたしは驚きを隠せませんでした。それと同時に、あの金髪の男子生徒――真田ロミオを尊敬してしまったのです。たった一つの事件を解決するため、いや、わたしたちに事件を捜査させるために、自分の学園生活を賭けるなんてことができるでしょうか。わたしにはそんなことは絶対にできません。このまま上田ジュンイチに現場を追い出されても、悔しさで涙を流すことしかできないでしょう。
真田ロミオ。
もしかしてこの人は、すごい人なんじゃないでしょうか。
「なるほど」
そう漏らした上田ジュンイチはしばらく黙り込みました。彼が何を考えているのかわたしは想像します。目の前にいる男――真田ロミオが学園を去ることにメリットがあるのかないのか。そんなことを考えているのでしょう。
「覚悟は評価するけど。たぶん、ダメだろうね」
サクラの言葉にシロも同意します。
「わたしも同意。真田くんが退学しても副会長は得をするわけじゃないし」
二人とも考えていることはわたしと同じでした。交渉とは常にメリットを追うもの。デメリットは言うまでもありませんが、プラスマイナスゼロでも意味はないのです。
ちなみに、わたしもサクラとシロの意見に同意しました。真田ロミオの退学が上田ジュンイチにもたらす恩恵を想像出来なかったからです。
しかし、上田ジュンイチの答えは意外なものでした。
「いいだろう。三日、与えよう」
呆然とするわたしとサクラとシロ。
まさか上田ジュンイチが真田ロミオの要求を受け入れるとは思わなかったのですから当然です。
言葉を失うわたしたち女性陣を一瞥してから、上田ジュンイチは美術部の部室を出て行きます。
とは言っても、無言で出て行ったわけではありません。
このような言葉を残していきました。
「三日後、貴様らがどうなっているかが楽しみだ」
思わず目を合わせるわたしとサクラとシロ。
そんな三人を代表して、サクラがわたしたちの心の声を漏らしたのでした。
「え? 貴様ら?」
ニヤリ、と口元を緩めたのは、真田ロミオ。
『グレートマザーの怪事件』
のちにそう呼ばれることになる事件の解決はこうしてわたしの手に委ねられることになったのです。
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