第7話 ちょっといいですか
どうやら人間という生き物は想像していない未来が突然訪れると、バクが起きたコンピューターのように機能を停止してしまうみたいです。自分に訪れた現実に上手く対応ができず、恋愛などで傷ついてしまったこころと同じように、リカバリーするためにはある程度の時間が必要とされるのでした。
「いやいやいやいやっ」
はりきってどうぞ。そうシロに言われてぶるぶると首と手を振ったのは突然のミッションに驚いたわたし——ではなく、隣にいたサクラでした。わたしは機能を停止したままだったのです。
「無理ゲーでしょ」サクラは吠えます。「わたしたちだけで事件を解決なんて、レベルを上げないでラスボスに特攻するようなものだから。やられちゃうよ。瞬殺だよ。現実じゃコンテニューはできないんだよ。死んだら終わりだよっ」
「いや、そんなこと言われてもね」シロは楽しそうに笑いながら言います。「指示を出したのはわたしじゃなくてユーたちのボスだし。それに、わたしはただの準風紀委員の人間だしね。正規の風紀委員、ましてそのボスの意見に口を出すような狼藉を働くわけにはいかないよ。そんなことしたら、時代が時代なら自害ものだしね。腹を切る覚悟はないよ、わたしには」
「ちょっと、マナカからも言ってよ。わたしたちには荷が重すぎる。人にはそれぞれ器ってものがあるんだよ。その器に入る以上のものを背負っちゃいけないんだから。幸せに生きて行くコツ。それは身の程をわきまえることでしょ」
すがるようにわたしの両肩をがしっと握って来るサクラ。力強い指先の力が服の上からでも伝わってきます。サクラの気持ちはわかります。わたしたちは風紀委員会に入ってまだ一ヶ月と少し。その間、いくつかの事件に関わってきましたが、それらはすべて二年生エースである東條ミキさんの雑用係として関わっただけなのです。具体的に言えば、関係者から集めた情報を伝えたり、資料を整理したり。事件の推理など一度もしたことがありませんし、事情聴取でシラを切る犯人を完落ちどころか半落ちすらさせたことがないのです。そんなわたしたちがいきなり事件を担当するのは、サクラが言うようにラスボスに瞬殺されるような行為とまではいいませんが、身の丈を超える偏差値を必要とする学校を受験するようなものなのかもしれません。しかも、困ったときに助言を求めるべきエースの存在もないのですから。
しかし。
「わたしはやってみたいな」
それが心の中に湧き上がってきた素直な気持ちでした。わたしは何のために風紀委員に入ったのか。それは雑用をするためではないはずです。とはいえ、朝陽城学園で巻き起こる事件を解決するためでもないのですが、それでも雑用をしているよりは実際に自分の力で捜査を行う方が自分の目的、つまり『人間力を磨く』ことに繋がるような気がしたのです。一つ上のレベルへと自分を高める。それには仕事のレベルアップも必要なのだと思います。立場が人を変えると言いますが、それは正しいと思います。その立場にならなければ見えない、気付けない世界というものがあるはずなのですから。
「ちょっと、勘弁してよ……」
頼りにしていたわたしが味方にならなかったからでしょう。サクラはがっくりとうなだれてため息を吐きます。
そんなサクラの背中をわたしは軽く叩きます。
「サクラが事件を担当したくないのってさ、荷が重いっていうのが理由じゃなくて、ただ単に面倒だからでしょ?」
「そ、そんなことないって」サクラは慌てて否定します。「身の丈に合ってないって言いたいだけ。ぶかぶかの服を着るようなもんだよ。かっこ悪いよ」
「嘘だ」
「嘘じゃないって」
「どうせアレでしょ。捜査に時間を取られるとイベントができないからでしょ」
「そそっ、そんなことないってっ」
「そそっ、って」
「ああ、もうっ」まるでだだをこねる子供のように、サクラは顔を真っ赤にして両腕に力を入れました。「と、とにかく、無理ったら無理なのっ。わたしとマナカで事件を解決するなんて片手でリズムゲームをするようなものなんだからっ」
と、サクラが自己主張をしたそのときでした。
突然――、
「その通りだな」
わたしたちの会話に割り込んでくる冷たい声が聞こえてきます。感情を抑えているという様子ではなく、人を卑下しているかのような感じでした。本能的に気分が悪くなり、警戒感を抱いてしまいます。声が聞こえてきた方へ顔を向けます。誰だろう、と首を傾げることはありませんでした。朝陽城学園の生徒ならば誰もが聞き覚えのある声だったのです。
「あの東條ミキが修学旅行で海外豪遊をしている今、貴様たち風紀委員がまっとうな仕事をできるとは思えない。それが真実であり、現実でもある」
「上田副会長……」
サクラがそう漏らします。そうです。上田ジュンイチ。茶髪の髪に緩いパーマをかけているお洒落ヘアー、目鼻立ちが整い、すらっとした手足を持つ優男は、副会長という役職を得ていました。ただ、副会長と言っても、それはわたしたちの上司ではありません。
「今回の件、我々、朝陽城学園生徒会が風紀委員の代わりに捜査を行おう。貴様らは我が学園最高の頭脳が事件解決に名乗り出ることに感謝しながら退場すればいい」
拍手を求めるように両手を広げて、わたしたちを見下ろします。まるで世界を我が物と勘違いしているかのようなその態度に、わたしは辟易します。上田ジュンイチはいつもこんな感じなのです。父親が大手スーパーやコンビニを手掛けている大企業の社長だからか、そんなことは関係なしにただ単にこの人の人間性のせいなのかはわかりませんが、上田ジュンイチは常に上から目線で周りの人間に接するのです。こんな人が生徒会の副会長を務めているのですから、わたしたち風紀委員の仕事が忙しくなるのかもしれません。
「ちょ、ちょっと待ってください」わたしは言います。「学園内で起きた事件の捜査は風紀委員が受け持つはずです。生徒会は行政、風紀委員会は治安維持。つまり、今回の件を解決するのは生徒会の仕事じゃありませんよね」
「たしかに」上田ジュンイチは言います。「だが、己の力だけでは解決できない問題を抱えている生徒に手を差し伸べるのは、生徒会としてではなく、人間個人として行う当然の行為だ。貴様は重たい荷物を抱えているお年寄りに手を差しのばすことが悪だとでも言うのか?」
「それとこれとは話が別――」
と、わたしが反論を終える前に、サクラがわたしに顔を寄せて来て、耳元で囁きます。
「丁度いいじゃん、任せちゃおうよ」
「サクラっ」
信じられない、とわたしは驚きを隠せませんでした。まさか、身内に裏切られるとは思わなかったのです。わたしのこんな気持ちを知ってか知らずか、サクラは声を潜めたまま話を続けます。
「さっきから言ってるけどさ、わたしたちだけじゃ無理だって。バッドエンド間違いなしだよ」
「そこまでしてゲームをやりたいの? プライドは? 矜持は? わたしたちは完全に馬鹿にされてるんだよ」
「いや、そうじゃなくって」サクラは言います。「真面目な話、捜査っていうのは初動が重要じゃん。その初動捜査の時期に頼れる人がいないっていうのは問題だよ。犯人に逃げられる可能性があるし、被害者にも悪いし。プライドの問題じゃなくて、責任の問題。しかも、今回は理事長絡みだし」
「そ、そうだけど」
「それに、言っておくけどお姉ちゃんには期待できないよ。あなたたちに任せた問題なんだからあなたたちで判断しなさい、って言われるのがオチだから。こういうときのお姉ちゃんは徹底的、徹頭徹尾、悪魔的な精神で無慈悲に突き放してくるよ。あの人は人を谷底に落とすのが大好きなんだから」
「で、でも――」
サクラの言っていることはわかります。しかし、納得はできませんでした。確かに新米のわたしとサクラでは頼りないかもしれません。被害者の力になることはできないかもしれません。
でも。それでも。
わたしは被害者の力になりたいのです。傷ついている人がいて、その人に対して自分にはできることが何もないと思うことは簡単です。楽です。しかし、わたしはそのような道を通りたくはありませんでした。簡単ではない、楽ではない、涙が枯れ、血が流れ続けるような辛い思いをするかもしれない、それでも自分にできることを探し、それを実行する。そのような人間になるために、わたしは人間力を磨きたいと思ったのです。
もう二度と。
あの時のような無力感を味わいたくはない。
そう深くこころに刻んだのです。
もめるわたしたちに上田ジュンイチは言います。
「貴様たちは身の丈に合った仕事をしていればいい。それが貴様らのためにも、まわりのためにもなる。農民は畑を耕し、王は世を統べる。それがこの世のシステムであり、あるべき姿だろう」
一見、功利主義のように思えますが、完全に独善的なその言葉に、わたしは激しい苛立ちを覚えました。
「身の丈って……一年は大人しくしていろってことですか?」
「一年かどうかは関係ない。できないことをできると思うな馬鹿者、ということだ。辟易するんだよ。意識だけが高い人間を相手にするのは。できないやつができるふりをするな。それは周囲に多大な損害を与える迷惑行為だということを自覚しろ」
「迷惑行為って……わたしは正式な風紀委員です。遊びで探偵をやろうとしてるわけじゃありません」
「笑わせるな。名前だけの風紀委員よりも、遊びで探偵をやろうとしている有能な人間の方がマシだ」
「名前だけって……。失礼じゃないですか」
「黙れ、新人。貴様はまだ何も成し遂げていないんだ。名前だけという評価に間違いはないだろう」
「た、たしかにまだ何も成し遂げてはいませんけど……で、でも、できるかどうかなんてやってみなくちゃわからないじゃないですかっ」
喚く私に、上田ジュンイチの視線が鋭く突き刺さります。その視線は、この世でもっとも優しさから離れた感情であるようにわたしには思えました。
「そういうことはやってから言え。馬鹿者が」
「え?」
まるでわたしたちが何もやっていないかのような口ぶりに、わたしは明らかな反抗の態度を見せました。そんなわたしに上田ジュンイチは傲然と突っかかってきます。
「新人。貴様がこの現場に来てからどれくらいの時間が経った?」
「さ、三十分くらいです」
「で、その三十分の捜査で何かわかったことは? 犯人に繋がる糸口はみつかったのか?」
「もちろん見つかりましたよ」わたしは言います。「凶器のカッターナイフ。それと生徒手帳と、四葉のクローバーの髪飾りと猫のぬいぐるみです」
「生徒手帳? 誰のだ?」
「恩田ケンジさんという方です。三年生ですね」
「恩田ケンジ。知らんな」
「生徒手帳は廊下に落ちていたので、事件に直接関係しているかはわかりません。わたしの考えではカッターナイフが重要な手掛かりになると思います。絵を直接穢した凶器ですから。ただ、落ちていたのはカッターの刃だけなんですけど」
「刃だけから、どうやって犯人を見つけるんだ?」
「え、えっと」わたしは迂闊にも口ごもってしまったことを後悔してから話を続けます。「し、指紋です。この学園の生徒の指紋は全員分データベースに登録してありますから、すぐにみつかりますよ」
「なるほど。だが、刃に指紋がなかった場合は?」
「そ、それは……」
「そもそもカッターの柄の部分ならまだしも、刃の部分に指紋が残っていると思うのか? 犯人がわざわざ自分の指紋を残した刃を折って現場に残していった馬鹿だとでも言いたいのか?」
「ば、馬鹿という可能性だって……」
つい言葉に出してしまったこのわたしの発言で、わたしと上田ジュンイチの戦いは終戦へと向かってしまいました。
「やっぱ、ポンコツだ……」
サクラが頭を抱えながらそう漏らします。シロも同じような反応をしていました。
誤った、と思いました。
しかし、時はすでに遅しです。
「やはり、話にならんな」上田ジュンイチはわたしを見ます。「貴様は自分自身で自分が無能だと説明していることに気がついているのか? それとも気がつかないほど、救いがたいほど哀れな無能なのか?」
わたしは何も言えませんでした。悔しさだけが身体の中に蓄積し、破裂しそうな勢いで膨れ上がっていきます。上田ジュンイチの言う通り、わたしの言っていることには人を納得させるだけの力がありません。一瞬でも人のこころを動かす勢いもありません。人はそのような人間をポンコツと呼ぶのでしょう。
「風紀委員会に所属したからって、あまり調子に乗るなよ、新人」
悔しい。悔しい。
涙が溢れそうになります。でも、プライドだけでそれを必死に抑え込みます。
どうして――、どうして――。
そんな時でした。
「あー、ちょっといいですか?」
緊迫した場になじまない、緊張感のない声が聞こえてきたのです。
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