第6話 はりきってどうぞっ

 カニバリズム—―人喰い。


 その言葉を聞いてわたしが思い浮かべたのはとある映画で観た衝撃的なワンシーンでした。その映画では数人のお金持ちたちが食事をしているのですが、彼らが座っているテーブルの中央には人間が座らされていて、その人間の頭の中身――つまり脳味噌がさらされている状態なのです。そのような脳味噌をさらされた人間に向けて、周囲にいるお金持ちたちは笑みを浮かべながら銀色のスプーンを持った手を伸ばすのです。


「まあ、ただの噂だから。気にしない、気にしない。きっと、パラノイアみたいなもんだから」

 ははは、とシロは笑いながらそう言いました。隣に目を向けると、サクラも同じように笑っています。しかし、サクラの表情はどこか作られた笑顔という感じがしました。心の中では同意していないけれど空気を読んで適当に笑っているという感じです。まあ、わたしの勘違いでしょうが。


「もう、あいつのことはいいからさ」サクラが話題を変えます。「現場の状況を教えておくれよ、お嬢さん。世間話も楽しいけど、一応、仕事はしないとね。尊い労働といものをしなくちゃ」

 そんなサクラの言葉にわたしは反応します。

「サクラがそんなことを言うなんて、珍しいね。どんな魂胆があるの?」

「失礼な。そんなものないよ。友情と仕事には見返りを求めないタイプのわたしはいつだって不真面目なふりして真面目なんだよ。爪を隠す鷹なわけ」

「ごめん。ちょっと何言ってるかわからない」

「ひどいっ」

 大げさにふくれっ面をするサクラをなだめるように、シロは口を開きます。

「まあまあ、お二人さん。ユーたちの真面目不真面目談義は後でやってもらうとして、今はお仕事の話しでもしましょっか。健全なお仕事が健全な余暇を生み出すってね。遊びを楽しむためにはお仕事は大事ですよ。一応、ユーたちは立派な風紀委員。事件の捜査をする義務があるのです」

「捜査をするのはわたしたちじゃないけどね」サクラが言います。「わたしたちの義務は事件の状況を捜査を担当する先輩、あるいはボスである鬼姉に伝えることなのデス」

「まあ、それも立派な仕事でしょ。真面目にやらないとね。それに常に先輩に仕事を任せる姿勢ってのはよくないよ。いつ何時、自分が先輩のポジションにつくかわからないわけだから」

「わたしが先輩になるのは一年後。そして一年後には鬼姉が卒業しているので、わたしは風紀委員にはいないのデス。だから今年いっぱい他力本願でも問題なし」

「はいはい。呆れるほどのやる気のなさだね。まあ、いいけど。えっと、じゃあ、とりあえずあの絵のことから話そうかな。タイトルは『グレートマザーの導き』。作者は――押水キリエ」


「ええっ」作者の名前を聞いて、わたしは思わず声を上げてしまいます。「押水キリエって、まさか」

 わたしの反応が期待通りだったのか、シロは満足そうに微笑みながら言います。

「そう。そのまさか。あの有名な押水さんだよ。あの件の、ね」

「一週間前だっけ」サクラが少し暗い口調で言います。「我が朝陽城学園に通う三年生の押水キリエさんが電車にはねられて死亡したのは。ニュースや新聞で大きく取り上げられたというわけじゃないから、世間の人の認知度はあまり高くないけど、朝陽城学園の中では別だよね。未だに押水さんの話をしている生徒は少なくないし」

「そゆこと」シロがうなずきます。

「これは大変だよ」サクラが漏らします。「死んだ生徒の作品がこんな姿になったなんて、一週間はこの話題でもちきりだ。しかも、絵はひどい姿だし。呪いや怨念だったって騒がれかねないよ」

「あれって」わたしはシロを見ました。「結局、他殺だったの? 自殺だったの?」

「わかんないね。目撃者はいないし、遺書もないみたいだし。神のみぞ知るってね」

「でもさ」サクラが言います。「電車にはねられたのに目撃者がいないっておかしくない? 運転士とか乗客とかの目は飾りだったってわけ?」

「そんなのわたしにはわかんないよ。たまたま全員の死角から押水さんが現れたってことなんじゃないのかな」

 首を傾げるシロ。

 そんなシロにわたしは言います。


「そっか。まあ、わたしたちが調べるのは押水さんの事件じゃなくて、今回の絵の件だから彼女の死亡の原因はとりあえず置いておこう。で、その絵にはどれくらいの価値があるの? ラッセン? ピカソ?」

「コンクールには出品されていないから賞はとってないんだけど、価値はかなりのものらしいね」

「どれくらい?」

「犯人は四肢を切断されて目をくり抜かれたあげく、その身体をドラム缶にコンクリート詰めされて海に捨てられちゃう可能性があるくらい」

「何それ。まさか押水さんは裏社会の大物だったりするわけ?」

「裏社会の大物は押水さんじゃなくて、押水さんのファンだよ。まあ、ドラム缶うんぬんは冗談だとしても、犯人が無事で済まないのは間違いないね。穢された絵の持ち主は我が学園の理事長だから。どんな経緯かは知らないけど、たまたま絵を見た理事長がいたく気に入ったらしくてね。とある世界線では『グレートマザーの導き』は来週には理事長室に飾られてるはずだったんだよ」

「なるほど、ね」


「で、その無残な芸術作品を作った道具だけど、これで間違いないと思う」シロは透明の袋を掲げました。袋の中には赤黒い何かの破片が入っています。「折れたカッターの刃が落ちてたよ。びっちり血も付着してるしね」

「血が付着って」サクラが言います。「まさか、絵を切ったら血が出たとでも言うの?」

「そゆこと」

「ええっ」

「冗談だよ、冗談」ははは、と笑ってからシロは続けます。「もちろん絵から出血しただなんて言わないって。ちょっと考えればわかることだよ。つまり、血をかけられた絵が切られたってこと。つまり、血が先なのよ。それと血の垂れ方から推測すると、犯人はレフティー。左上から右下に血が垂れてるからね」

「犯人は絵に血をかけた」わたしは言います。「その後に、顔の部分をカッターでくり抜いたってわけだね。でも、どうして血をかけたのかな? 顔をくり抜いた意味もわからないし」

「暗示、あるいは儀式」サクラが腕を組みながら言いました。「まあ、何も意味がないってとはないだろうね。血を用意するのは大変だし、顔をくり抜くのだって簡単じゃないと思う」


「あの血って」わたしは少し顔を歪めながらシロに言います。「人間の血なの?」

「うーん、実はね」シロはチラリと血まみれの絵を見てから言いました。「あれは血じゃないんだ。絵具だよ、絵具」

「だってさ」わたしはサクラに顔を向けます。「残念だったね、ヴァンパイアさん」

「血じゃないのか……」サクラは言います。「まあ、いいや。この際、絵具でも。見た目にリアリティがあれば、なめられる気がする」

「絵具をなめるヴァンパイアって……、惨めすぎる」

 ホッとしたのもつかの間、シロはわたしに不気味なものを見せてきます。

「でもね、ちょっと気持ち悪いものも落ちてたんだよね」

 そう言ったシロは一度廊下に出てから再び戻ってきます。その手には不気味なものが握られていて、わたしは思わず小さな声を漏らしてしまいました。


「うわぁ……」

 隣を見ると、サクラもわたしと同じように顔を歪めています。

 シロの手には猫が握られていました。そして、その猫にもグレートマザーと同じように顔がありません。首から上が切断されているのです。

「シロ、それって……。尻尾がぴくぴくしてるけど……」

 怖がるわたしにシロは口元を緩めながら言います。

「まだ、生きてるよ」

「うそっ」

「猫ってね、首から上がなくなっても、数時間は生きられる生き物だから。化け猫って言葉はそこからきてるんだよ」

 そう言って、首のない猫をわたしに近づけてくるシロ。

「ちょ、ちょっと、やめてっ」

「顔がないと可愛がってあげないの? マナカってメンクイ?」

「そ、そういう問題じゃなくって――っ」

「大丈夫。噛みついたりしないから」

「当たり前じゃんっ。顔、ないよっ」

 迂闊にも、わたしは本気であとずさり、足を滑らせて床に尻餅をついてしまいました。立ち上がることができず、後ろに下がり続けるわたしに向かって、シロは思いっきり声を上げて笑いました。

「ごめん、ごめん。つかの間のユーモアだって」何だか意味がわからないわたしにシロは続けます。「大丈夫。これ、ぬいぐるみだから。かなり精巧に作られてるから初見だと騙されちゃうけどね」

「ちょっと、勘弁してよ……」

 わたしはあんたに騙されたよ。そう思いながら立ち上がります。

「でも、よかった。猫が犠牲になってなくて」わたしは胸をなで下ろしてから言います。「でも、どうしてそんなものが」

「やっぱり、暗示か儀式かな」サクラが真面目な顔で言います。「普通に絵を汚すだけにしては演出過多だし。レクター博士くらいだよ、こんなことするのは」

「サイコパスだね」わたしはシロに目を向けます。「で、他に何か落ちてたものはある?」


「とりあえず、これかな」

 シロが取り出したのは生徒手帳でした。受け取ったわたしは持ち主の名前を読み上げます。

「恩田ケンジ。三年生か……知らないなあ」

「絵の近くってわけじゃないんだけど」シロが言います。「この部室のすぐ近くの廊下に落ちてたんだよね。事件に関係があるかどうかはわからないけど。廊下を通った時に不注意で落としただけっていう可能性もあるし」

「わかった」わたしは言います。「あとで直接本人に訊いてみるよ」

「そうしてちょうだい。あ、あと、これ」

 そう言ってシロが見せてきたのは髪飾りでした。

「四葉のクローバーか」

「ねえ、マナカ。その髪飾りに違和感はない?」

「え? そんなものはないけど。綺麗な髪飾りじゃん」

 そう答えると、シロはわざとらしく大きなため息を漏らしました。

「やっぱ、ポンコツだ」

「ポンコツ言うなっ。てか、どうしてわたしはポンコツ呼ばわりされてるのっ」

「それがわからないからポンコツなんだよねえ」にやにやと面白そうに微笑んでからシロが続けます。「その髪飾りには指紋がないんだよ。綺麗に拭き取られてるってわけ。それってちょっとおかしいじゃん」

「ああ、たしかに」

「でしょ」

「これ、どこに落ちてたの?」

「部屋の端の方。廊下側の壁の下。まあ、生徒手帳同様、事件に関係あるかどうかはわからないけど」

「だね。でも、頭の隅には入れておかなきゃね。もしかしたら事件のキーかもしれないし」


 わたしは髪飾りをシロにわたしてから訊きます。

「廊下の防犯カメラには何か映ってた? それを見れば生徒手帳や髪飾りのことがわかるんじゃないの?」

 シロは首を振りました。

「何も」

「何も? どゆこと? 飾りじゃないだけど、アレは」

「切られてたんだよね」

「首が?」

 なぜか嬉しそうにそう言うサクラにシロは呆れながら言います。

「切られてたのはセキュリティ。もちろん犯人の仕業だろうけど。切られたのが人の首じゃなくて残念でした」

「なるほど。セキュリティを切るってことは、犯人はコンピューターに精通している人物ってことか。あとで、コンピューターに強い生徒を洗ってみた方がよさそうだね」


 わたしは部室内を見回します。

「部屋は電子錠で閉じられた密室。犯人はどうやって部屋に侵入して、どうやって出て行ったんだろう……」

 そう漏らすわたしの腕を、サクラがちょんちょんとつつきます。

「あの、マナカさん。話、聞いてた?」

「え?」

「セキュリティが切られてたから、密室じゃないんだけど」

「あ……」

 粗相をしたわたしに、サクラはにやけた表情で言います。

「密室じゃないんだけど」

「わかったよっ。二度言うなっ」

「もしかして、『密室』って言いたかっただけなんじゃないの?」

「ち、違うって」

「推理小説の読み過ぎ」

「だから、違うっ」

「探偵に憧れちゃってるタイプ?」

「ああ、もうっ」わたしは慌てて腕を組み、咳ばらいをしてから再び口を開きました。「と、とにかく今わかっていることをミキさんに話して指示を仰ごう。そろそろ来るかな」

「あー、マナカ」サクラが呆れるように言います。「もしかして忘れてない?」

 意味がわからない、と首を傾げるわたしにサクラは言います。

「二年生は今、修学旅行中。帰ってくるのは三日後。だから、いないよ」


「ああ、そっか」

 失念していました。自分が参加する行事ではないので、うっかりと。

「なんかさあ……、マナカって学年トップの成績なのに、意外とポンコツだよね」

「ポンコツ言うなっ」

 悔しくて恥ずかしいのですが、わたしができる抵抗はそう叫ぶことだけでした。

「で、でも」気を取り直してわたしは言います。「じゃあ、どうするの? ミキさんの指揮がないとわたしたちは動けないし。モミジさんに現場に出てきてもらうってこと?」

「ああ、それなんだけど」シロが手を上げます。「モミジさんから伝言を預かってるんだった」

 わざとらしく間を開けたシロは、悪戯っぽい笑みを浮かべてからこう告げました。

「今回のグレートマザーの怪事件。その捜査をマナカとサクラに任せます。はりきってどうぞっ」

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