第4話 嫌なものを見ちゃってね
女子高生らしく、くだらない話に花を咲かせながら歩くこと数分、わたしとサクラはある建物の前までたどり着きました。
部活棟。
白いコンクリートの外壁で囲まれた三階建ての建造物の入り口前には、二つの男性のシルエットがありあました。一つは二メートル以上の筋骨隆々の男性、もう一つはわたしと同じくらいの身長、具体的に言えば百六十センチ弱で、筋肉トレーニングなど生まれてから一度もしたことがないような、女のわたしでも殴り倒せそうな、そんな脆弱な体型の持ち主でした。大きめの黒縁メガネがさらに彼のひ弱さを演出してるような気がします。わたしとサクラは脆弱な体系の持ち主の方へと向かいます。筋骨隆々の男性が苦手というわけではありません。銅像と話をする趣味はない、というだけのことでした。黒縁メガネをかけた男性の腕に目をやります。左の二の腕の辺りにオレンジ色の腕章をつけています。アイデンティティ。それは風紀委員会をサポートする準風紀委員会のメンバーである証でした。
「お疲れ様です」
わたしとサクラがそう挨拶をすると、メガネくんは軽く頭を下げました。
「お疲れ様です。風紀委員会の渋谷マナカさんと越後サクラさんですよね。準風紀委員会の佐藤マナブと申します。よろしくお願いします」
よろしくお願いします、とわたしとサクラが答えると、メガネくんこと佐藤マナブは一呼吸してから口を開きました。
「現場は一階奥の美術部の部室です。今は、鑑識班が現場を調べています」
わたしは頷いてから口を開きます。
「わかりました。先輩はもういますか?」
「いえ。風紀委員の方はまだお二人だけです」
「そうですか。事件のことで何かわかったことはありますか?」
「事件を通報してきたのは部活棟を見回っていた警備員です。発見したのは三十分くらい前です」
「三十分前ということ、五時半くらいですか。警備員さんは犯人らしき人物を目撃しているんですか?」
「目撃したみたいですね。その……、なんだかヘンテコな格好をしていたみたいです」
「ヘンテコ?」
「詳しくはわかりませんが、何かの変装をしていたみたいなんですよ」
「まさかのコスプレイヤー?」サクラが嬉々として言います。
「さあ?」わたしは首を振ります。「顔を隠していただけだと思うけど。ヘンテコな格好をしていた方がまだマシだと思えるくらい自分の容姿にコンプレックスがあるのかもね」
あはは、と笑うサクラにメガネくんは言います。
「風紀委員の中では犯人の目星はついているんですか?」
「さすがにそれないですよ。わたしたちは今、現場に駆け付けたわけですし、そもそもやる気もないですし」
「やる気がないのはサクラだけでしょ。わたしを一緒にしないで欲しいんだけど」
どこか不器用に微笑むメガネくんに頭を下げ、わたしたちは先に進みました。ガラス製の扉の前で立ち止まり、高さ一メートルほどの台座の上にある端末に生徒手帳をタッチすると、扉が自動的に開きます。生徒手帳には電子錠の鍵となるシステムが搭載されているのです。とは言っても、それぞれの生徒の立場によって鍵の種類が異なり、それ故、入れる施設の場所も限られているのですが。部活棟に限らず、朝陽城学園の施設内にはあらゆるところでセキュリティシステムが作動しています。現役の生徒がオリンピックに出場したり、芸術部門や研究で賞をとったりする学園なので、情報漏えいというものに気を遣う必要があるのです。
早朝であるせいか、部室棟の中は思ったほど騒がしくはありませんでした。事件が起きたので野次馬がいるかと思ったのですが、どうやらまだ一般の生徒には事件のことが知られてはいないようです。人といえば、前方の美術部の部室周辺にオレンジ色の腕章をつけている生徒が何人か作業をしているだけでした。
「人、少ないね」
わたしの言葉にサクラが返します。
「準風紀委員の人たちがルーン魔術でも使って人払いをしてくれたんでしょ。わたしたちが捜査をしやすいように。ほら、見てみなよ」
サクラがケータイを取り出して、わたしに画面を見せてきます。そこには朝陽城学園の生徒が使用するコミュニティサイトが表示されているのですが、そのコメント欄には部室棟で何かがあったらしいという書き込みがいくつもされていました。
「だ、だよね。感謝しなくちゃね、準風紀委員の人たちに」
どうやらすでに一般生徒にも事件は知れ渡っているようでした。まあ、たまにはわたしの推理がはずれることもあります。名探偵と言われている人物だって、作品の中で一度や二度は間違った推理をするものですし、気にすることはないでしょう。余談ですが、推理小説が好きなわたしは、推理の心得があるのです。最近では、小説を最後まで読まなくても犯人がわかるようになっているほどでした。風紀委員会に入ったのは、風紀委員長兼サクラのお姉さんであるモミジさんに『人間力を磨くため』と言われたのが大きな要因ですが、それ以外に、わたしの推理力が事件の解決に役立つかもしれないと感じたからでした。
廊下を歩いていると、隣にいるサクラが話しかけてきます。
「お姉ちゃんが現場にいないってことは、部屋にいるっぽいね。昨日は、寮に帰ってこなかったし。まるで不良娘だね」
マナカの言う部屋。それは風紀委員会の本部のことです。風紀委員会と準風紀委員会の本部は朝陽城学園の敷地の東側に建つ、イーストタワーと呼ばれる三十階建のビルにあります。
「え? モミジさん、昨日、帰ってこなかったの?」
「まあね。それなりに忙しいみたい。一応、ラスボスだし」
「ラスボスって……悪役みたいなんですけど」
「わたしにとっては悪役だよ。やりたくないことを強制させるんだから。人はそれを地獄と言うのデスっ」
マナカのお姉さんである越後モミジさん。彼女は風紀委員会の委員長。その彼女の忙しさが、それなり、のはずがありません。自分で言うのもアレですが、我が朝陽城学園の生徒は全国から集められた優秀な人材なのですが、優秀さ故に、問題を抱えている生徒も多いのです。
唐突に、サクラがこんなことを言います。
「ねえ、マナカ。さっきのメガネくん、絶対にマナカのファンだよ」
わたしは呆れながら首を振ります。
「ファンって……芸能人じゃあるまいし」
「いやいや、絶対にそうだって。マナカを見たとき、目がキラリと光ったもん。あの輝きに意味がないとしたら、ただの演出過多だね」
「輝いたのは目じゃなくて、レンズじゃない? うまい具合に陽が射しただけで」
「あ、そう言えば、そうだったかも」
「まったく。くだらないことを言ってないで仕事しなよ。しっかりと情報収集をしなくちゃ。わたしたちは遊びに来たわけじゃないんだからね」
わたしのファンなんて馬鹿馬鹿しい、と思いながら歩を進めます。金髪モデル級美女のサクラとは違い、わたしは脱色や染色などしたことのない純粋黒髪ショートカットの地味な女なのです。今まで男の子に遊びに誘われたことのないパッとしない容姿のわたしに、ファンなどいるはずがありません。
オレンジ色の腕章をつけている女の人が立っている部屋――美術部の部室までやってきたわたしとサクラは腕章の女性に軽く挨拶をしてから室内に入ります。捜査がしやすいように、美術部の部室を出入りするセキュリティは切られていました。
「うわぁ……」
部屋には行った途端、思わずそんな声を漏らしてしまいました。鳥肌が立つようなことはありませんでしたが、身体の芯が震えるのを感じました。寒気ではなく嫌気とでも言いましょうか。山頂から見る初日の出や、小動物の愛くるしい姿とは真逆の存在。それが美術部の部室にはあったのです。
わたしの目に入ってきたモノ。それは一枚の絵でした。大きさは畳一畳分くらいとかなり大きめです。しかし、わたしが驚いたのは絵のサイズではありませんでした。金の額縁で縁取られたその絵には女の人の肖像が描かれているのですが、その女の人の顔がないのです。消されたわけではありません。観光地によくある記念写真を撮るためのボードのように、くり抜かれていたのです。それだけではありません。
「うーん、何というか……ホラーっぽいね。ざわざわする。閲覧注意。夢の中で再登場の可能性があるよ」
サクラの言葉にわたしは同意します。なぜなら、顔がくり抜かれた肖像画には、いたるところに血がまき散らされていたのですから。
サクラが腕を組みながら言います。
「悪戯にしてはやりすぎだよね。怨み……かな」
「かもね」わたしはうなずきました。「なんとなく憎悪みたいなものが込められてる感じがするし」
「顔がくり抜かれてることに意味があるんだったら、犯人は顔にコンプレックスを抱えている系かもね」
「顔にコンプレックスって、たいていの人に当てはまると思うけど」
「そなの?」
「ええっと……」わたしは呆れながら言います。「わたしはサクラの友人だから平気だけど、今の言葉は完全にアウトだよ」
「え? どこが?」
「いや、もういいよ。さあ、仕事仕事っと」
わたしはため息を吐きます。サクラはファッション雑誌の表紙を飾っても不思議ではないほどの美少女。きっとそんな彼女には顔の悩みを抱える人の気持ちなど理解はできないのでしょう――なんて、わたしは考えていたわけではありません。むしろ逆です。サクラは大勢の人が顔に悩みを抱えていることをわかっていながら、自分が美少女であると自覚していながら、わざととぼけた発言をしているのです。まったく。どうしようもない女です。ただ、それはわたしとふざけ合っているからこそ、サクラの口から飛び出したものであって、彼女は本気で他人を見下したり蔑んだりするような人間ではありません。もしも、サクラがそのような人間だったら、わたしのような地味な女と友人になるはずがないのですから。
サクラが指をさして言います。
「あれって人間の血かな?」
「だったらどうする?」
「友達申請をするよ。ほら、さっきも言ったけど、わたし血が大好物だから」
「ああ、そう」
「言ってなかったっけ? わたし、ヴァンパイアだから。普段は棺桶の中で寝てるしね。十字架は嫌いじゃないけど、にんにくは嫌い」
「わかった、わかった。そういう設定ってやつね。じゃあ、もしもサクラがこの事件を解決したら、わたしの血を好きなだけ飲ませてあげるよ」
「やっほーい……って、げっ」
突然、表情を歪めるサクラ。わたしは首を傾げつつ口を開きます。
「どしたの?」
「い、いや、ちょっと嫌なものを見ちゃってね」
「まあ、たしかにあの絵は気持ち悪いね」
「そうじゃなくて……あっち」
サクラが目で合図をする方へ視線を送ります。部屋の隅の方で四つん這いになりながら床に顔を近づけている金髪の男子生徒がいました。
「なに、あの人」
わたしの言葉に、サクラが漏らします。
「関わらない方がいいよ、うん。この世に生まれてから十数年、こうみえても老若男女、和洋中、二次元三次元含めていろいろな人に出会ってきたわたしが言うんだから間違いない」
「え? どゆこと?」
サクラは何も言わず、黙って首を振るだけです。
――ヒトクイ探偵。
これが、のちのそう呼ばれる人との邂逅でした。
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