第5話 倉庫のお茶会

 こんな時刻、こんな倉庫前で人がうろうろしていることが怪しい。文士はこそこそとそちらを見ると、すぐに首を引っ込めた。


 口づけ煙草を取り出し、紙の筒を咥えてマッチで火をつける。途端に辺りがほのかに明るくなった。

煙草シガレットか」

 西洋嫌いじゃないのか。言外のぼくの指摘に、文士は鼻で笑った。

「夕刻、瓦斯灯に点灯して回っていたら、酒と花火に浮かれた西洋人が一箱くれたものだ。いらんと言ったが、訳の分からないことを言いながら押しつけてきおった。スバラシイとか、ふぁんたすてぃっくとか、たまやーとか言っておった。国の物をほめられて悪い気はせん」

「おだてに弱いだけじゃないか」

 なんて単純さだ。あきれて言うと、文士は一気に不機嫌そうな顔になった。

「もらえるものはもらっておく。搾取してやったのだ、悪いことがあるか」

 主義が一貫しているのか、ぶれているのかよく分からない奴だ。


 ぼくはげんなりした。

 文士やらお嬢さんやら、とにかくぼくを振り回す人たちのせいだけじゃなくて、この煙のせいだ。もくもくと、竈のように口から煙を吐きだした文士に苛立ちながら、ぼくは手で白い煙を振り払った。ずんと気分が重くなる。

「今吸うのはやめろ」

「お前、このくらいの気晴らしはさせろ」


 よく見ると文士の手は震えている。相変わらずに肝の小さな奴だとあきれたが、もくもくと煙を吐いて臭いやらまき散らされてはたまらない。

「狐が煙を苦手だからだ。ぼくまで気分悪くなるだろう」

「煙草が苦手なのか、お子様だな」

 文士はぶるぶると震える手のまま、仁王立ちになって大袈裟に笑った。うるさいからやめてほしい。

「隠れている自覚があるのか。でかい声も煙もやめろ。騒ぐな。人がいるのがばれるだろうが」

「なんだ臆病な奴だな」

「お前にだけは言われたくない」


 ぼくはもう一度、倉庫を覗き込んだ。

 屈強そうな男が一人と、小柄なのが一人、倉庫の前に立っている。

 遠目で暗くてはっきりとは分からないが、屈強そうな男は洋装でやたらと脚が長い。遠く花火があがり、色とりどりに夜空を飾ると、「たーまやぁー」とのんきに言った声がひどくなまっている。西洋人のようだ。「しっうるさい!」とたしなめる声もするので、小柄な方は日本人だろう。


 ぼくは首をひっこめると、姿を消していた狐に言った。

「アカトキ、お嬢さんに化けろ」

「阿呆娘の真似ごとは、わしには荷が重いの」

 するりと白い狐が闇の中に姿を現す。煙草を吸っていた文士は、とっさに口から煙を吐き出し、狐に吹きかけた。

「なにするか、馬鹿者め!」

 狐が怒鳴る。

 同時に、青白い狐火がいくつも現れて、狐のまわりを取り囲んだ。ヒッと文士が喉を鳴らす。

 口からポロリと落ちた煙草は、狐の放った火で、一瞬にして燃やされてしまった。


「わしにたてつくとは、命が惜しくないのか」

 宙に浮いた狐は、威嚇する猫のように頭を低くして文士を鋭い目でにらんだ。ふわふわの毛が膨らみ、ふさふさの尻尾が九つに裂けた。

「やめろ、めんどくさいから」

 激昂した狐をとりあえずなだめる。

 だから煙草をやめろと言ったのに。震えて身動きとれない文士を、とりあえず狐から離す。


「何か光らなかったか」

 ふいに人の声が聞こえてぼくまで焦ってしまった。

 倉庫の方から聞こえる。つぶやきに英語が応じたが、「なに言ってるかわかんねーよ」とぼやいく声がこちらに近づいてくる。


 だから騒ぐなと言ったのに。

 げんなりしたところで、狐がするりと尻尾をしまい、くるりと宙をまわる。

 次の瞬間には、袴姿の女学生がいた。

 結い流しにした髪を髪帯リボンで結び、矢絣の着物に海老茶の袴。ふんぞり返っているのは、お嬢さんらしいと言えばらしいが、狐の性分だ。

 お嬢さんはさらわれた時は袴姿ではなかったし、少し目が吊っているのが気になるところではあるが、細かいことを言っていられない。

 文士がまた声を上げそうになって、慌てて飲み込んだ。かわりに低いうなり声が腹から聞こえた。


 お嬢さんに化けた狐は、ひょいひょいと歩いて、隠れていた倉庫の影から飛び出した。

 また夜空に花火があがる。パラパラと赤い光が散る空の下、こちらに様子を見に来ていた小柄な男と、狐が鉢合わせした。

 狐がぎゅうっと目を吊り上げて笑う。

「あ、お前! どこから逃げた!」

 男が叫ぶや否や、狐は踵を返して、ひょいひょいと走り出した。

 狐のくせに人に化け慣れていないのか間抜けな走り方だが、四つ足で走らないだけましだ。しかも、追手は少しも疑っていない。

 小柄な男はぼくらに気付かず狐を追いかけて行き、大柄な男も後に続いた。再び花火があがり、金髪がまばゆく光る。


 彼らがどこかへ走って行くのを見送ってから、ぼくと文士は橋本家の倉庫に向かった。

 煉瓦で造られた倉庫は赤く、扉は鉄で出来ていて黒い。大きな錠前がついている。

 しまった、狐に鍵を開けさせていくのだった。仕方なく拳ほどの大きさの石を拾ってきて、錠に降り下ろした。力仕事は向いていない上に、硝子で切った掌が痛んだが、そうも言っていられない。

 錠前を石で殴りつける音は思いのほか街に響き渡った。遠く聞こえてくる花火の音にまぎれてくれればいいが。

「お前、意外と思い切ったことするな」

 文士が何故かあきれている。

「そんなこと言っている間があったら、あんたも手伝ってくれないか」

「俺は文筆がある。手を壊すわけにはいかん」

 何度も力任せに叩いていると、息が上がってくる。

 勉学をしなければならないのはぼくも同じだ。攫われた女学生たちの無事やらお嬢さんの無事がかかっているのに、のんきな奴だ。

「いいから、手伝え。お嬢さんに何かあって狐に燃やされても、今度は止めてやらないからな」

 狐はお嬢さんに何かあっても怒ったりはしないだろうが、文士はぐっと声を飲み込んだ。そそくさと石を拾ってきて、ぼくの横から錠前に降り下ろす。金属音が響いて、大きな鍵は、また大きな音をさせて地面に落ちた。


 なんと頃合いタイミングのいい奴だ。ぼくは石を放り投げた。先生が包帯を巻いてくれた右の掌に、血がにじんでいる。

 文士が意気揚々と、鉄の扉の取っ手を掴んだ。重い引き戸の扉はガラガラとひときわ音を響かせて、ゆっくりと開いていく。

 中から煌々とした明かりが漏れた。倉庫の中は、洋風のお屋敷のようにしつらえられていた。あちらこちらに西洋燈ランプが置かれ、オレンヂの明かりを放っている。煉瓦の赤い壁と相まって、秋の夕暮れのような色になっていた。

 思いのほか広く、息苦しくもなく、窓がついていて風も入るし、日中は明かりも入るだろう。随分と居心地が良さそうだ。しかも煉瓦の倉庫の中は、ひんやりとして快適だ。


 扉が開いた途端、ぼくらはたくさんの視線にさらされた。中には女学生が五人。

 捕えられた少女たちは椅子に座って本を開いたり、英吉利イギリス式のお茶セットを前に紅茶を嗜んでいたり、乾蒸餅ビスケットをつまんだりして、思い思いの場所にいた。ぐるりと見回したけれど、お嬢さんらしい姿はない。


「千歌絵さん」

 見覚えのある金縁眼鏡の少女がいた。テーブルの前の椅子に腰かけ、西洋燈ランプの近くで小説を開いていた。

 こちらを見た千歌絵さんは、不思議そうにぼくを見る。

「あら、溝口さん」

 本を閉じて懐にしまうと、小走りに駆けてくる。お嬢さんのように大股で走ってきたりはしない。

「ご無事でしたか」

「ええ、突風に襲われて、気がついたらここにいたの。家の方にも連絡をしていただけているとのことでしたので、ご招待に預かって、ついつい長居をしてしまいましたわ」

「怪我などはありませんか。ひどい目にあったりとか」

「最初はとても怖かったけれど、異国の方にもとても親切にしてもらいましたし、食べたことのない西洋料理もいただいて、英吉利式のお茶会を楽しみました。小説を読むのが好きな方がいらして、持っていた小説と交換しました。とても有意義に過ごせましたわ」

 さすが、夜中に抜け出して狼藉者を捕まえようなんて考える人は、肝が据わっている。


 攫ってきた少女たちをもてなして、家にも言伝をしておくというのは、姑息だが有用な手のようだった。結果どうするつもりなのかわからないが、皆が真相に気づいた時には、決定的な何かが起こった後ということだろう。

 千歌絵さんだけでなく、花火の明かりがひらめくたび、「外が見れないなんて」と残念につぶやく声がするくらいで、彼女たちはさほど恐怖を覚えていないようにもみえる。


 ぼくは複雑な気持ちになったが、千歌絵さんはほっとした顔をした。

「迎えに来てくださったんですか。感謝します。そろそろ、帰りたいと思っていたところでしたの」

 千歌絵さんの言葉に耳をそばだてていた少女たちが、そうね、そろそろ帰らないと、とひそひそ交わしている。

 彼女たちは恐怖をまぎらわせるために、あえておっとりしていたに違いない。きっとそうだ。

「いえ、無事でなによりです。千歌絵さん、うちのお嬢さんを知りませんか」

「環蒔さん? 環蒔さんもここにいらっしゃるんですか?」

 千歌絵さんが高い声を上げる。嬉しさと不安がないまぜになった声だった。

 どういうことだ。お嬢さんはここにいないのか。

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