第4話 文士の言い分

 鉄道が走り、多くの人が行きかう銀座の石畳の大通り。夜もビヤホールで大人たちが騒ぐこの街も、とうとう寝静まった真夜中過ぎ。今は人の姿が見えない。銀座には電気灯が灯って、白々と静かに輝いている。

 大通りの真ん中に、靄があふれていた。その中で大きな炎が揺れている。

 黒い頭巾をかぶり、黒い衣服をまとったものたちが、白い顔をさらして、火の回りでゆらゆらと踊っている。

 その白い顔に目が一つしかない者、かと思えば三つ目の者、耳まで口の裂けた者など、奇怪な様相の者たちばかりだ。彼らは火の回りで声を上げる。狐火がゆらめていて、あたりをゆらゆらと踊っている。


「許すまじ」

「胡乱な輩」

「滅びろ」

 炎に照らされた煉瓦通りの上を、影が伸びたり縮んだりする。怪しげなものたちの怨念が、あたりに満ち満ちていた。


 お嬢さんは路地に隠れて、息を殺して、その様子を見守っている。さすがにお嬢さんも、おどろおどろしい者たちにひるんだようだった。

「溝口さん、本当に、いるではないの」

「いやお嬢さん、あれは」

「負け惜しみを言っても無駄よ、溝口さんだって見えているんでしょう」

「見えていますが、あれは、ちょっと」

 うおおおおおおと、怪しげなものたちが、地響きのような声をあげた。お嬢さんはびくりと肩を震わせたが、おびえるよりも、その勢いに焚きつけられたようだった。

 胸元に手を挙げて、大きく息をつく。襟の合わせに挟んだお守りを確認すると、路地を飛び出した。


 止める間もなかった。

 逃げるのではなくて、光のほうに駆けていく。予想していたが、ぼくは慌ててお嬢さんを追いかけた。

 ああもう本当にめんどうだ。あたらしき女というのは、まるで鉄砲玉のようで、手に負えない。

 怪しげな者どもは、手を振り上げ振り下ろし、おかしな雨乞い踊りのようなことをしている。

 お嬢さんは駆け寄ると、いつもの大声を出した。

「あなたたち!」

 その声は、夜の煉瓦街に響き渡った。珍妙な者どもが一斉に振り返る。その一糸乱れぬ動きに、お嬢さんが少しだけたじろいだが、仁王立ちで踏みとどまった。

「お上のおわす帝都で妖怪変化が騒ぎをおこすなど、不遜の極みよ。どういうつもりなの!」


 なんで正面から対峙するんだろう。そもそも百鬼夜行を暴くのが目的ではなかったはずなのに。駆けたせいで息が上がるし、闇に踊る炎が熱くて暑くて、汗が滴る。本当に、勘弁してほしい。

 珍妙な者どもが取り囲んでいた炎とは別に、その回りで小さな炎が踊っている。狐火のように。

 でも、あれは。僕に言わせれば、あれは、ちょっと。


「お前」

 くぐもった声がした。

「婦女子がこのような刻限、男と何をしている。ふしだらな!」

 ぞぞぞぞ、と布を引きずって、珍妙な者どもがぼくたちの周りに集まってくる。お嬢さんは奴らの白い顔を見回しながら、負けじと胸を張って言い返した。

「失礼ね! ふしだらなことなんて何もないわ。わたしには、帝都を不安に陥れる者どもを、追い払う役目があるんだから!」

 お嬢さんは怒りと羞恥にか、また頬を真っ赤にして叫んだ。いつの間にそんな役目を負ったんだろう。お嬢さんの自尊心と自負の強さはすさまじい。

「この東京をお守りくださっている神田明神が……!」

 胸元に手を当て、自信満々に声を張り上げて、お嬢さんは固まった。言いかけて口をあんぐりと開けたまま止まったお嬢さんは、ばね仕掛けの人形のぜんまいが切れたかのようだ。対峙した者たちも何事かと見ている。


「どうしたんです」

 走ったり叫んだり止まったり忙しいお嬢さんに、ぼくはとりあえず声をかけた。お嬢さんは前を見たまま、細く息を吐きだした。

「……溝口さん」

 お嬢さんの声が震えている。

「なんですか」

「わたし、お守りを落としたわ」

 お嬢さんは本当にうかつだ。あれだけ強気だったのに、固まって二の句を継げずにいる。本当かどうかもわからない信心の力を、どれだけ信じていたんだろう。


 ぼくは大きくため息をついて、お嬢さんの隣に立った。

「お守りなんて不要ですよ」

「……でも。溝口さん!」

 ぶわり、と風が吹いた。

 どこからともなくケケケケと珍妙な笑い声が響いて、お嬢さんも頭巾たちもびくりと肩を震わせた。ということは、頭巾立ちの仕業じゃない。さすがにぼくも焦った。こんなものが聞こえてはたまらない。


 皆がざわめく。そのうちひとりの頭巾が、ずぼっと脱げた。ついでに白い顔がむけて、その下から見覚えのある顔が出てきた。

 不審な輩と、お嬢さんが、唖然と顔を見合わせた。

「あなた、どこかで」

 目をぱちくりとしたお嬢さんに、相手は慌てて手で顔を隠した。それは、新橋でお嬢さんと言い合いになった黒法被の男だった。

 相次いで、わあ、とかぎゃあとか、驚いた声がまわりであがった。次々にまわりのやつらの面が飛んで、顔があらわになっていく。

「高慢ちきな女学生が、一体何をした!」

 最初の男が怒鳴った。侮辱されて、お嬢さんの眉が吊り上がる。

「どちらが高慢ちきよ! 何かしているのはあなたたちじゃないの! なんなの、これは!」

 お嬢さんは混乱と憤慨で叫ぶ。


「だから、百鬼夜行なんていないって言ったじゃないですか」

 ぼくはため息交じりに言った。

 そもそも百鬼夜行というのは、道の上を行くものだ。炎の回りで、怪しげな踊りを踊る輩のことではない。

 靄のように見えるのはただの煙だし、狐火のように見えるのは、彼らが丸めて松明のようにしている冊子のせいだ。火をつけて手にもって、祈祷のように踊っていた。

「近頃、銀座で騒ぎを起こす不逞の輩がいるとおっしゃっていたじゃないですか。それが百鬼夜行に見えただけです」

 よくよく見ればその白い顔は、四角い白い雑面のようなものだ。白い紙か布に、珍妙な目や口を描いて顔にぶらさげただけのものだった。彼らは、頭巾をかぶり、黒い外套マントのような布を首からすっぽり纏った、ただの人だ。

 火の熱にあおられて男くさい汗のにおいが充満している。本当に、なんでこの夏の暑い日に、火なんて焚いてるんだろう。汗が出て仕方がない。珍妙な人たちのすることは分からない。

 正体見たり枯れ尾花、というところか。正直、たいへん恥ずかしい。


 ぼくはとりあえず素知らぬ顔で、まわりを取り囲む奴らに尋ねた。なるべく穏便に。

「何をしていたんですか」

「見ての通りだ、つまらぬ小説を焼くのだ」

 一人は吐き捨てるように言った。婦女子と一緒になって夜中をうろついている書生も気に食わないという風で、たいそう態度がでかい。

 彼らが積み上げて燃やしているものは、書物だ。まだ火のついていないものの中には、少女たちが好んで読むような尾崎紅葉だとか、少年向けの雑誌「少年世界」が見える。

 しかし道の真ん中で炎を焚いたりして、所詮は彼らも自分の力を誇示したいだけに違いない。そのくせ顔や姿を隠すなんて、卑劣だ。

 一度堰を切ると、彼らは口々に騒ぎ始めた。


「我ら青柳会は、大学に通うれっきとした文士である。国文学の行く末を嘆く者である」

「西洋の流れを受けたつまらぬ書物が世にはびこるのは許せん。こと、女学生など、このような軽薄な知を振りかざしていい気になっているのも許せん」

「西洋かぶれが。女子が文学を嗜むなど言語道断。形にとらわれた軽薄な知識ばかりのくせに。女は家で裁縫でもしていれば良い」

 口々に言う男たちに、まあ、とお嬢さんはまた肩を怒らせた。

 お嬢さんの世間知らずに加えて、恐れ知らずと矜持は、多勢に無勢でも少しも怯まないらしい。しかも相手が妖怪変化ではなく、ただの人間だと分かったからには、神田明神のお守りがなくてもすっかり強気だ。

「何よ、文士崩れが! あたらしいものを学んでいくことができないだけじゃない」

 ひときわ甲高くお嬢さんが言い放つ。

「だいたいどうして、こんな胡乱げな姿をして世間を騒がす必要があるの!?」

「世の流れは間違えている。それを、知らしめる必要があるのだ!」

「ならば正々堂々と、身を明らかにして、世情に訴えなさいよ!」

 お嬢さんの言うことは至極もっとも。ただし、おのれの身上にも心情にも何ら恥じることもない、世間知らずで、失うことを知らないご令嬢の言葉ではあった。


 言葉に詰まった文士崩れたちのかわりに、ぼくは淡々と言う。

「夜中にうろつきまわって書物を焼いたり騒いだりしていては、大学に知れたら間違いなく退学、顔を隠していないと恐ろしいんでしょう」

「まあ、度胸のない」

 あきれかえったお嬢さんの声に、「なんだと」「生意気な小娘」と、まわりから轟轟と声があがる。図星をさされた輩がいきりたち、ぼくらを囲む輪が小さくなる。

 百鬼夜行なんかじゃないにしても、この状況はまずい。多勢に無勢、頭に血が上った勘違いたちなど、何をしてくるかわかったものではない。

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