後編 引き波
僕は額に手を当てながら言った。
「全く、東京の人口がどんどん増える訳だよ。なんたって、一日に一つの駅につき百人近くの人が増えていくんだから」
「こんな現象が東京中の駅で起きているとは思えないし、起こっていたらたまらないけどね」
彼は続ける。
「でも、このまま人口が増え続けていくことなんて、どうやら無いみたいなんだよ」
「なんでそんなことが言えるの?」
「人がね、増えなくなってきたんだ」
彼はまるで大したことでは無いかの様に続ける。
「ここしばらく、この現象が縮小傾向にあってね。だんだんと増える人数が減って来たんだよ」
「それってどういう…」
「言葉通りの意味さ。長いこの駅の歴史の中で一瞬だけ起こっていた現象に、僕の短い人生が偶然かち合ったって考えるのも不自然だから、きっと周期性があるんだよ」
「周期性?」
「波、って言った方が分かりやすいかな。人があっちへ行ったりこっちへ行ったりの波。別に此処が特別なわけじゃないんだろうから。
そういう風に人が減ったり増えたりを繰り返してるんじゃないかな。ずっと昔から」
なるほど、確かに考えてみれば自分たちのいる所が特別で安定しているだなんて、思い込みも甚だしいのかもしれない。
「人が減ったり増えたり、まるで数学者のジョークみたいだね」
「なんだい?それは」
僕はもう年上の威厳だとか、そういうものを挽回しようとは思っていなかったが、それでも少し得意げに話す。
「こんな話だよ。
昔あるところで、物理学者、生物学者、数学者の三人がカフェから外の景色を眺めていた。
すると、向かいの建物に、二人連れが入り、暫くして三人連れが出てきた。
物理学者はふざけて「測定を失敗した」と言い、
生物学者は「中で繁殖した」と言った。
その時、数学者は小さく、「あと一人入れば問題ない」って呟いたっていう話」
「なるほど、繁殖ね。その可能性は考えてなかった」
「君のその思考回路は、まさに数学者って感じだよ」
本当に可愛げのない奴だ。素直に面白いと言えばいいのに。
「僕の計算だと、今日からこの現象は、減少の期間に入る。そのことを誰かに伝えたかったんだ」
僕は考える。
僕はこれからこの駅に起こるであろう、小さな、しかし確かな変化に気付く事ができるのだろうか。人知れず人間が消えていくなんて、そんなことを受け入れられるのだろうか。
いいや、そんなことが起こってたまるか。ただの妄言だ。彼が言っている言葉だって、証拠があるものなんて一つも無いじゃないか。
そんな考えの一方で、こんな突飛な話であるにも関わらず、いつも感じていた絵の違和感に対して、まるで皮膚感覚で知るような驚くほどの実感が湧いているのも事実だ。
絵が大きいから。色が多いから。そんな安直な解釈に飛びついて、勝手に上手く誤魔化されていたのは、自分の方なのかもしれないと、どうしても思ってしまう。
「それじゃあ、君だって僕だって、どこかから来たのかもしれないね」
そんな陳腐な問いかけに答える声は無く。
気付けば少年の姿は何処にも見当たらなかった。
見上げれば、絵が、強烈な違和感を発していた。
絵 大川黒目 @daimegurogawa
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