中編 凪
「知りたいことって何なの?一般市民の芸術に対する関心についてみたいな感じ?国勢調査みたいだね」
「その調査については知らないけど。そんなことじゃないよ」
まるで何でも知っているような口ぶりなのに、国勢調査も知らないなんてまだまだ年相応だ。僕も別に詳しいわけじゃないけど。
「この駅を使う人って、一日に何人いると思う?」
「知らないけど、休みの日と平日とかじゃあ、だいぶ差があるでしょ」
「そう。その通り。更にもっと正確に言えば、利用者数が同じだった日なんて言うのは、殆ど無い」
この子は当たり前のことを何故こんなに鷹揚に喋るんだろう。
「じゃあさ、一日の内で、駅に入ってきた人数と出て行った人数は、どっちの方が多いと思う?」
おなじ、と言いかけてはっとした。これはひっかけ問題だ。
「同じ、ではないんだろうね。世界中の上り坂と下り坂の数、どっちが多いかみたいな問題に思えるけど、実際は違うんでしょ?」
この子は少し年上を甘く見ているな。
「別に行きと帰りで同じ経路を使う必要は無いからね。違う路線を使えば、ここの奥の改札を必ず使うわけじゃないから」
「あのねぇ、僕は一言も〝ここの改札を〟なんて言ってないよ。駅舎全体のことを言っているんだよ」
「それじゃあ、他の路線を使ってこの駅を迂回して帰るっていうのは?そんな不自然なことをする人がそんなに居るとは思わないけど、でもそこそこの人数は居るはずだよ」
「そういうパターンなら、通勤通学に利用している人よりも、観光とかビジネスで来ている人の方が可能性として多いと思うけどね」
確かにそうだ。観光旅行なら、あっちこっち回っても不自然じゃない。
「でもね、僕は〝行きと帰りで〟駅を通った人数の話をしてる訳じゃないんだよ。言ったでしょ、〝駅に入ってきた人数と出て行った人数〟って。単純に、駅舎に足を踏み入れた人数と駅舎の外に出た人数について訊いているんだよ」
「そんなの、同じに決まってるじゃないか」
やっぱりこの子は何を言っているんだろう。小難しいことを言っているようで、禅問答でもしているつもりなのだろうか。
「多かったんだ」
彼は突然言った。
「おかしいな、って違和感を覚えて、駅舎に入った人と出た人の数を数えたら、出た人数が多かったんだ。不自然なほど」
違和感。それは僕が絵に感じたものと同じ様なものだろうか。
「多かったって、そんな筈はないでしょ」
「でも、それが事実だったんだ」
僕は彼の目をじっと見つめた。嘘をついている様子はない。
たった一人で駅を使った人の全て数えるなんて、そんな芸当が人間に、ましてや子供にできるとは思えないが。この少年は本気で自分の言っていることを信じているのだろうか?
「数え間違いってことは?」
「それは絶対にない」
「それじゃあ、前日からずっと駅の中にいたんじゃないかな?ほら、君も夜からずっとここにいるんでしょ?」
「確かにそういう人は何人かいると思う。でも、多かった人数はそんなもんじゃない。数十人、日によっては百人を超すことだってあったんだ。君は、そんな大勢が駅で夜を明かしているのを見たことがあるの?」
「そうだ!確か、駅の中にはホテルがあったよね!あそこに泊まっていた客をカウントしてしまったんじゃないのかな」
「あのね」
彼はやれやれといった感じで続ける。
「ホテルは駅舎には入っていないよ。あくまで隣接しているだけ。ちゃんとカウントしているよ。それに」
こんな事も分からないのか、とでも言いたげな口調で続ける。
「もし仮に、ホテルの利用客を頭数に入れてしまっているとしても、ホテルの部屋数は限られているんだから、チェックインとチェックアウトした人数は、大体トントンになる筈だよ。勿論、なんかのイベントとかで、一気に大勢が同じ日程で利用することはあるだろうけど、それなら出て行った人数の方が少なくなる日が、同じだけできるはずなんだ」
まったくもってその通りだった。自分の思慮の浅さでは、彼に年上の威厳を見せるのは無理かもしれない。
「だったら、その駅で生まれた数十人は、駅を出た後にどこに行ってるのかな。もしかすると、他の駅に吸収されてたりするかも」
彼は呆れたように返す。
「君は、駅が人を生むと本当に思っているの?そんなとんでもない話が在る訳ないじゃないか」
「とんでもない話をしているのは君の方だろう。駅で生まれたんじゃないなら、そいつらは何なのさ」
「そりゃあ、駅だからね」
彼は続ける。
「どこかからやって来たんだろうさ」
「どこかってどこなんだよ?」
「此処じゃないどこかさ」
だめだ、頭がクラクラしてきた。彼の思考が読めない。
「大体、そいつらがどこかから来たとして、彼らは何処に行くんだ?どこにも行く当てや帰る場所なんてないんじゃないかな」
「それは、自分の学校や会社、家に行くんじゃないかな。当たり前のように」
「君は何を言っているの?違うところに来たのに、自分の家?」
「そもそも、そんな大勢の人間が突然知らない場所に来たり、路頭に迷ったりしてたら、騒ぎになる筈なんだ。勿論、居なくなられた側からしたら、知り合いや家族が神隠しにあっているようなものだし」
彼は続ける。
「多分ね、居なくなった本人すら、自分が違うところに来たことに、気付いてないんだよ」
そんな馬鹿げた話があってたまるか。
「それは、その人たちが、もともと居た人たちと入れ替わっているってこと?なんだか急に怪談っぽくなってきたね」
「そんなこと、僕は知らないよ。僕は駅で人を数えていただけなんだから。そういう入れ替わりが起きているかもしれないし、違和感なく溶け込んでいるだけかもしれない」
「違和感なく溶け込むって、確かに人間の記憶なんて言うのはうまく誤魔化されるかも知れないけど。でも、戸籍とか写真とか、そういう記録ではどうしても齟齬が起きちゃうんじゃないかな?記録まで都合よく書き換わるなんて、そんな強引なことは…」
彼はにやりと笑ってみせた。
「なんたってこれは、怪談らしいからね。それくらいの事は起きるんじゃないかな」
本当に可愛くない奴だ。
「確かにさ、考えてみてよ。もしこの絵が、昨日とは違うものに入れ替わっていても、世界中の資料が元々こういうものだったということを示していたら、違和感を覚えこそすれ、こういう絵だったって事を、受け入れざるを得ないんだろうね。人間っていうのは」
僕は、何も言い返すことができなかった。話が突飛すぎて現実味が全く無かったのに、絵の話を聞いたとたん、実感が湧いてきてしまったからだ。
いつも感じていた違和感、あれを考えると、この話もあながちありえない訳では無い気がしてきてしまった。彼の言葉には何一つ確証がないというのに。
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