第143話 表情は口ほどに気持ちを表している

 他愛のない雑談を交わしながら僕達は帰路につく。帰り道を歩くこのみちゃんとの会話はすごく自然だった。途切れもせずこのみちゃんの機嫌を損ねることもなく。このまま続けていけばいつのまにか家についている、そんな会話。

 事実僕の考えと相違なく、水島家の玄関が目の前に見えてくる。

「おかえり~。お疲れ様お兄ちゃん、お姉ちゃんっ」

 玄関の扉を開く音が聞こえたからか、すぐに真実が出迎えに現れ僕達をねぎらってくれた。

「ただいま、真実」

「ただいま……」

「っ……えっと、ぼくが頼んだお菓子とか、買ってきてくれた?」

「忘れてないよ。だから必要なもの冷蔵庫とかに入れるの手伝って」

 このみちゃんの言葉によって真実はすぐに置かれた荷物を台所へと運び始める。そこから出てきたゆずはさんの視線にも招かれながら。

「真衛君、今日もありがと。台所での用事が住んだら、私は部屋に戻るから……」

 そう言って僕に背を向け、靴を脱ぎだすこのみちゃん。僕にはこのみちゃんの後ろ姿が見えている。

 別に、そこまで気にする必要なんてないのかもしれない。今はごくありふれた日常の一コマで、おそらくこのままでも、特に何事も無ければいつも通りの明日が来て、このみちゃんだって明日変わらぬ挨拶をしてくれるだろう。僕たちみんなの日常としてみれば、変化のない光景となる。

「…………」

 当然このみちゃんは台所へ向かう訳だから、その背中は僕から遠のいていく。葛藤もあったしじっくり考えてから行動に移すためいくらでも後回しにできたけど、そうするほど少しずつ状況が悪くなるような気がして……。僕は思わず台所へ向かうため2歩目を踏み出したこのみちゃんの、女の子らしい細く白い手を引き留めていた――。

「えっ……?」

 当たり前だけど急に歩くことを邪魔されたこのみちゃんはその原因を作った僕を振り返り、戸惑いの視線を向ける。

「えっと……」

 僕もその視線に答えなければいけないのだけれど、ほんの少しの沈黙の後、僕の口から紡ぎ出されたのは――、

「このみちゃん、その……つ、疲れてない……?」

 何の変哲のない言葉だった。聞いたこのみちゃんの表情から僕にも言いたいことが読み取れる。わざわざ引き留めてまで尋ねる必要があるのかと。それでもこのみちゃんは律儀に答えてくれるようで、

「別に、荷物だってほとんど真衛君が持ってくれたから疲れてないけど……。ど、どうしたの? 真衛君……」

 正直ここまでの会話は僕が葛藤出来る時間を少しでも稼ぎたいという側面があったかもしれない。違和感のあるやり取りが聞こえたのかゆずはさんと真実も台所から顔を出す。

「えっと……それなら、台所での用事の後に、もう一度どこかに出かけない? ほら、荷物からも解放されたし、ありきたりかもだけど、映画とか……」

「っ……!」

 このみちゃんは驚いた感情がこちらまで伝わってくるくらい大きめに目を見開いている。確かにここまでの帰り道、このみちゃんの受け答えは自然だった。だけどそれに表情が伴っていないことを、僕はずっとこの目で確認してきていたのだ。

「このみちゃん、喜んだ顔っていうか、前にゆずはさんと出かけた時ゆずはさんが向けてくれた満足そうな表情してないと思って。だからまだ時間もあるし、いつもしてる買い物以外で、もっとこのみちゃんに楽しんでもらいたいかなって――」

「…………」

「っ、いやっ! 別にこのみちゃんが部屋でやることがあるとか、気が進まないなら無理にって訳じゃ全然ないんだけど……」

 僕が少しあたふたしている間に僕の方へと振り向き一歩で僕のそばまで近づいてきたこのみちゃん。

「じゃあ……真衛君に振り回されちゃおうかなっ」

「っ! ふ、振り回すなんて、そんな――」

 ちょっぴり僕を見上げるような視線でもあったので、僕は動揺してしまったのかもしれない。このみちゃんが近づいてくる時からかすかに微笑みが戻ったような気がするのは気のせいなのだろうか。

「とりあえず、食べ物とか冷蔵庫に入れちゃわないとねっ」

「あ~、こっちは大丈夫だよ? お姉ちゃん」

 もう一度台所へ向かおうとしたこのみちゃんを、真実が言葉で遮る。

「ぼくとゆずはお姉ちゃんでやっておくからさ、楽しんできて?」

「っ、で、でも……」

「いいからいいからっ、気にしないでっ」

 真実もこのみちゃんの表情を芳しくないと悟っていることは、表情を見た時の反応から薄々僕にも伝わっていた。ゆずはさんの頷きと微笑みにも後押しされ、このみちゃんは受け入れることにしたらしい。

「……いこっか、真衛君」

 僕も軽く微笑みを浮かべ、再び水島家玄関の扉を開けることにしたのだった――。

「……ぼくも今度お願いしてみよっかなっ。ねっ、ゆずはお姉ちゃんっ」

「新鮮な気持ちを、体験できるかもしれませんね」

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