第106話 置かれた文房具は認められた証

 予期せず慌ただしくなってしまった休日も過ぎていき、平穏な日常が僕達の中に戻りつつある昼休み。あの後落ち着いたらお詫びに伺うという藍方院家の申し出を結局押し切られたりといった出来事もあったけれど、特に大きな変化もない学校生活が再び始まっている。少なくとも、悪い方向に大きく傾くような変化が無かったことに僕は何より安心していて。すでに時は流れ過去の話、可能性の話となったわけだけれど、それは確かに存在していたはずなのだから。

 優愛ちゃんに関しては藍方院家の方で便宜を図ってくれるらしい。被害を押さえられたという部分もあるのか修繕その他を含めても藍方院家にとっては何でもないようで、今のところ優愛ちゃんのいつか必ずという言葉だけもらっているそう。開いた窓から吹き込む風を受けながら、僕はこの何気なさを心地よく感じている。

「真衛君、どうしたの?」

 そのせいでゆずはさん手作りのお弁当を食べる手が止まっていたからか、箸の先を口元に近付けたこのみちゃんから様子を尋ねられた。正面から発せられたその声に反応してゆずはさんも、真実も僕へと目を向ける。

「ううん、なんでも」

 その言葉の最後にゆずはさんからこのみちゃん、そして真実へと視線を移す僕。何より三人共危なかった中で特に危機の迫っていた真実がこうしていつもの姿を見せていることにより安堵をかみしめてみたり。

「っ、今日は口の周りにつくようなおかず無いはずなんだけど……」

 見ている時間の長さから真実が口元を気にし始めたので僕は微笑みと首を横に振る仕草を返答とした。再びお弁当を食べ始めた僕に真実を含めたゆずはさん達は少しの間不思議がっていたけれど、やがておかずをつつく箸の動きも会話する内容も僕の様子を聞く前へと戻っていく。変わらない時間が、きっとまたいつものように流れていくはずなのだろう――。


            〇 〇 〇


 昼休みが終わり午後の授業。話していたゆずはさん達と別れ僕は机に突っ伏して眠っている翼に苦笑いを向けつつ隣にある自分の席へと座った。チャイム直前にやってきたリシアちゃんによってもう片方の席も埋まり、授業が開始されていく。ノートを開き筆記用具を取り出そうとして――。

「っ――」

 そういえば昼休みが始まった時に貸した消しゴムを真実から返してもらっていない。普段僕達のノートを当てにすることのある真実でも流石に課題は間違えたところを修正する必要があるわけで。今日消しゴムを忘れた真実は僕から借りることによってやり残した課題を昼休み最初の方で終わらせ、その後で一緒にお弁当を食べていた。文房具の貸し借りなんてもはや些細な日常の一部となっていたし、僕も真実が自発的に返してくれることを当てにして頭の隅にすら留めていなかったのだ。視線を向けた先にいる真実もそのことに気付いたようで、必死に謝る仕草を僕へと返してくる。

 僕はそんな真実に仕方ないといった意味を含めて眉を下げた微笑みを向けた。さてどうしよう、自然に借りられる相手といえばもう翼くらいしか思いつかないのだけれど……。

「…………」

 駄目そうである。今回は起きる気配すらない。手段を失った僕が授業の後にゆずはさんかこのみちゃんのノートを頼るしかないのかなと思い始めていた、そんな時――。

コッ……

(えっ……?)

 静かな、でも確かに聞こえた音の方向へ振り向けば、隣の女の子が可愛らしいメモ用紙に包まれた何かを僕の机の上へ置いていた。僕がその包みとそれを置いたリシアちゃんを交互に見てもリシアちゃんは視線を合わせないまま何も言ってこないので、反応を求める意図もかねてゆっくり包み紙となったメモ用紙に手を伸ばす。開いてみると、入っていたのは本来リシアちゃんが使うはずであろうデザインがあしらわれた消しゴム。そして内側に書かれていた文字が、たった一言。


          [これくらいは、認めてあげる]


「っ…………」

 リシアちゃんに向ける表情でちょっぴり目を丸くしてしまったのが気に入らなかったのか、そっぽを向いたリシアちゃんは僕の顔を視界にすら入れようとせず予備の消しゴムを取り出そうとする。

(…………)

 正直リシアちゃんの心境の変化、その全てを把握することが僕には出来ないけれど。でも今は、素直にリシアちゃんの気持ちを受け取っておこう。僕はありがとうの意味を込めて小さく微笑み、前へと向き直る。恥ずかしさからなのか頬をほんのり染めたリシアちゃんが一瞬こちらを確認したような。果たしてリシアちゃんに僕の仕草が伝わったかどうかは、ちょっとわからない――――。

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