エピローグ それは大きな変化を起こす彼女のきっかけ

第105話 屋上の風を浴びる私

 お屋敷での出来事から数えると初めてとなる学校があった今日、私はたった一人屋上へとのぼっていた。私を認め助けてくれたルリトに会いたくても通っている学校が違うのだし、ゆずは達に思いをぶつけてからはやはり箕崎真衛達の中にも入ってはいけない。私が近づかないことでゆずは達が怖がることも無いのだから。元々人が集まらない場所だけれど、昼休みが始まってからすぐ一直線に向かってきたので扉を開けた先には殺風景な景色がただ広がっているばかりだった。

 コンクリートの上を自分の足音だけ静かに響かせながら屋上の端にたどり着く。見下ろせば高さのある地面が私の視界に映っていて、厳密には違いも多いが私にあの落ちかけたバルコニーを思い出させるのには十分すぎるくらい。もしあの時ルリトが手を取ってくれていなかったら私は――。少なくともここでこうやって考えを巡らせてはいないはず。起きなかった、そして選ばなかった選択肢のもう一方を想像してみたりする。

「珍しいんじゃないか? と言っても、まだこの校舎に来て日も浅いか」

「っ――」

 屋上であるここの扉を開けた音もせず急に発された声に私は振り向かざるをえなかった。見ると扉部分の側、ちょうど日陰になっている場所に声の主が背中を預け座っている。普段学校で箕崎真衛達と一緒にいる中の一人なのだから、その声に聞き覚えもあるし顔に見覚えもあった。わたしより早くこの場所に来ていた――というよりは、昼休み前からここにいたのだろう。そういえば午前最後の授業時席が空いていた気がする。

「せっかく気持ちよく寝てたのにチャイムに起こされるってのも難儀なもんだよな」

「――何か用?」

「数人で仲良く来てたりする面識のないやつにわざわざ声なんてかけねえよ。訳アリ気味で一応俺達と一緒にいたやつが一人で来てるんだから、声くらいかけたって構わないだろ?」

「……」

 否定はしない私の無言を肯定と受け取ったのか、たしか唐岸翼という名前だったはずの彼は言葉を続けた。

「――土産話があったんだ。何やら大変な休日だったみたいだな」

「ええ……」

「あんまり詳しくは聞いてないけどよ、生きてて何よりじゃないか?」

「……そうかしら」

「っ……?」

「確かに良いこともあるかもしれないけど、大変じゃない。これから何が起こるかなんてわからないのに、生きてて何よりなんて本当に言えるのかしら」

「……」

 疑問を投げかけた最初の言葉、良いこともあるなんて過去の私なら言えなかったのかもしれない。もう自分の命がどうなってもとは思わなくなったけど、それでも過去と私自身が背負っていかなければならないゆずは達との溝を考えれば不安が残り私に純粋な回答を躊躇わせる。私の反応が予想外にポジティブでなかったせいか唐岸翼はしばし無言のままでいたけれど、やがて再び口を開いた。

「まあ、考え方の違いなら言葉を変えるけどよ、生きてるかどうかで変わってきたり、影響してくるものもあると俺は思うぜ?」

「……それってたとえば?」

「ん? たとえばって――」

 私の質問で唐岸翼が少し頭を悩ませ始めたそんな時、突然扉を開ける音が響き、意識をそちらに向けさせられる。音を響かせた身長の低い女の子は私の方へ。声をかけないので彼女の死角になっている唐岸翼には気づいていないみたい。

「っ! リシアちゃんここにいたんだ」

「っ……足の怪我はもう大丈夫なの?」

「うん、まだ全速力では走れないけど何とか。それでさ……えっと、やり残した課題からようやく解放されて……。だからその、良かったら一緒にお昼ご飯食べない?」

 彼女は私へとまるで何事もなかったかのようにそう尋ねてくる。

「っ……どうしてまだ私に近付こうとするの? 関わろうとするの? 私はあなた達にとって……」

「っ、あ~、えっとね、リシアちゃんのこと、怖さが残ってるっていうのは嘘じゃないよ? でも、だから関わりたくないかっていうとちょっと極端すぎるっていうか……」

「……?」

「だってほら、ぼく達リシアちゃんとなんだかんだで過ごしてきたでしょ? のど元過ぎて熱さ忘れちゃいけないのかもしれないけど、リシアちゃん自身が ぼく達にそう思わせてくるっていうか……ちゃんと考えてきたのにいざってなると上手く言えないけど、だいたいそんな感じ……。とにかく、してるんだよ、リシアちゃんを」

「かん……げい……?」

「うんっ。ゆずはお姉ちゃんからもお姉ちゃんからもそう言われてるもん」

「何言ってるの……? 普通ならここまでわざわざ私に関わらなくてもいいじゃない。あなた達はどんなに――」

「う~ん……ぼく達がっていうより、単純に余裕があるってだけじゃないかな。ぼく達と一緒にいるかはリシアちゃんの自由だけど、少なくてもぼく達のことを気にしてまで距離を取らなくて良いくらいにはさ。過去のリシアちゃんより、今のリシアちゃんを信じるよ」

「…………」

「えっとその、決まったらお昼ごはん中にいつでも入ってきてくれればいいから」

 苦笑いに似たような微笑みを向けた女の子はその後大き目のツインテールを揺らしながらぱたぱたと階段を下りていこうとして。

「ねえ、待って」

「っ?」

 そんな彼女を、私は呼び止め問いかけた。

「お屋敷で危険に晒された時、生きたいって思った……?」

「えっ……?」

「私はまだ十分に実感したことなんてないけれど……生きてて楽しい……?」

 一瞬戸惑ったのか女の子――真実は答えるまで少し間を開けたけれど、やがてさっきと違った天真爛漫で無邪気そうな笑顔を私に見せる。

「うんっ、すっごくっ! だけど、それはきっとぼくが周りのみんなに恵まれているから。生きてるから楽しいって訳じゃなくて、楽しいからそれを続けるために生きてるってことなのかな。リシアちゃんと関わらなかったらもしかして気付いてなかったかも。リシアちゃんがぼくのような気持ちになってくれるのかはわからないけど、もし一緒にいるようになってリシアちゃんも恵まれてるなって思ってくれたら嬉しいな~って。えへへっ、それだけっ」

 そう言い残して階段を下りる音が遠ざかり、動かない私を見ていた唐岸翼が重そうに腰を上げた。

「まあなんだ、これがどちらも生きてたからこその結果ってことじゃねえの。そんじゃ俺も飯を食いに行きますか。さっき言われたことを実感したら降りて来ればいいんじゃないか。強制はしないが、出来れば噛み締めて決断してくれるとありがたいな」

 唐岸翼も屋上から姿を消して私一人。徐々に微笑みへと緩んでいく私の表情は、きっとここに吹く風だけが知っている――。

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