第75話 彼女とすごす癒しのじかん

「ね、ねえ……私その、こういうのあんまりやったことないっていうか……」

「大丈夫ですよリシアちゃん。あ、このままの姿勢からあんまり動かないでくださいね」

 私は今高い場所にいる。手を引かれたルリトにウォータースライダーへと誘われ、その出発地点でちょっとした恐怖に襲われているのだ。

「だ、だけど……」

 前に向かうことへの恐怖と彼女の素直な表情で板挟みにされながら、結局彼女の促しに勝てず、私は少しずつすこしずつ身体を進ませていく。ある地点で途端に摩擦が無くなり、私の身体はスピードを上げた。

「えっ、ちょっ、まっ……」

 そのままどんどん加速していく。流れる水と一緒、一気に下へと滑り落ちる。

「!!!?!!??!?!!?!?!??!?」

 恐怖で身体もろくに動かせず声も出せなかった私はそのまま出口にある小さい深めのプールに盛大な水しぶきをあげて飛び込んだ。

「ぷはっ」

 プールサイドにつかまりながら息を整えている私に、降りてきたルリトが手を伸ばしてくれる。

「大丈夫ですか? リシアちゃん」

「……も、もういっかい」

「えっ……?」

「もう一回滑ってみれば、今度は少し余裕を持てると思うわ……」

「っ……はいっ」

 一緒にウォータースライダーをある程度満喫した後は波の出る浅いプールへ。

「っとと……」

「リシアちゃん、気を付けないと――きゃっ」

 波に流されかけて倒れた私を気にかけてくれた彼女が次の波を受けてよろめく。

「ふふっ、さっきは比較的激しかったから、今度は波に逆らわず揺られているのもいいかもしれないわね……」

「…………」

「っ……どうしたの? もしかして私、何か余計なこと言った……?」

「リシアちゃんが微笑んでるの、初めて見ました。わたしの家に来てからずっと、見たことありませんでしたから。とっても良い表情をしていると思いますよっ」

「っっ……」

 自分の感情なのに、理解するための時間が数秒かかった。微笑み――楽しんでいるのだろうか、私が……? 心を閉ざし、壁を作ってきた私。心の奥底に閉じ込めた感情が湧き出てきたのは決して計算されたポーカーフェイスではない。無意識に出てきた時の自然さが、彼女にとって当たり前でも私にとってはでないこの感情が私を戸惑わせ、時間を必要とさせた。わざわざ頭で整理しなければいけなかったのだ。見つめる先の彼女はそもそもこんなこと、頭の片隅にも置かないのだろうけれど。

「リシアちゃん、しばらく揺られたら今度は波と違ったゆったりとしている水流のプールへ行きましょうっ」

 波に身を任せた後再び誘われるまま水流が流れるプールに足を運ぶ。ぐるりと一周できる楕円型のプールを私は流れに沿ったり時々逆らったりして歩くが、誘った本人であるルリトは脚だけを中に入れて私を見ているだけだ。時々周りの女性や女の子からお嬢様と声をかけられる彼女はちょっとした会話や挨拶を交わしている。

「入らないの……?」

「わたしはその……足がつきませんので……」

 言われてみれば確かにこのプールの深さは私でギリギリ届いて顔を出せるくらいだ。

「うきわ……とか」

「あの……それなら出来ればリシアちゃんも一緒につかまってくれませんか? わたしだけだとあまりにも小さな子供らしく見えてしまいますので……」

 頬を染めつつ苦笑いする彼女に本来私の出した案はすでに彼女の頭の中で考えられていたのだと、しかし一人で使うことの恥ずかしさから言い出せなかったのだと察した私。抱いていた優秀さに潜む可愛らしさを感じつつ了承する。うきわを借りて一周近く泳いだ私達は大きな噴水の出るプールの近くまで来ると流水プールからあがり、そこへ移動。もう泳ぐためではない。ずっとうきわにつかまりっぱなしのルリトを解放し休憩するためだ。私とルリトは噴水の側に腰を下ろす。

「ふう……」

 一息ついたルリトを見て私までも入っていた力が抜けた気がした。彼女が気付くより前に私はベール状に流れる噴水に視線を移し、手を入れてみたりする。

 そのまま手を動かしたのがいけなかった。不規則に飛び散る水しぶきに思わず目を閉じてしまう。水しぶきに襲われたのはもちろん私だけではない。

「きゃっ!」

「っ! ご、ごめっ――」

 慌てて手を引っ込め謝ろうとしたけれど……。

「もう、リシアちゃんやめてください……」

 彼女の顔から好印象な表情は消えていなかった。少し眉を下げただけ。

「えと……ごめんなさい、ルリト……」

「っ、そ、そんなに思いつめなくてもいいんですよ。気にしていないじゃないですか、真衛さん達も――」

「っ……」

 ルリトが視線を向けた先には相も変わらず箕崎真衛達の楽しそうな姿があった。方向は違えど私が見つめていたままの景色。その周りには時々大きな水しぶきが舞っている。人によって舞わせている頻度に偏りがあれど、はしゃいでいるという表現が正しいのだろう。

「わたし達ももっと楽しみましょう、リシアちゃんっ」

 彼女の向けてくれた笑顔に、私は何より癒された――。


            〇 〇 〇


「リシアさん、治ったみたいですね」

 近くでつぶやくゆずはさんに、僕は同じ方角へと視線を向けた。どうやらリシアちゃんはルリトちゃんと行動を共にしているらしい。リシアちゃんが遊べるまでに回復して良かったと思いつつリシアちゃん達を見つめる。

「真実ちゃん、振られちゃったわね」

「う~、何かいけなかったのかなあ……」

「う~ん……騒がしい雰囲気が苦手だったとか」

「わ~んお兄ちゃん、お姉ちゃんと円香さんがいじめるよお~」

「あら、珍しいわね~このみちゃんがいじる側にまわるなんて」

「っ、わ、私はリシアちゃんの趣向を考えただけで……ご、ごめんね真実?」

 すがりつく真実の頭頂部をゆずはさんと同じ苦笑いの表情で撫でる僕。リシアちゃんのことは心配だったけれど、ひとまずは肩の荷がおろせるのかもしれない。

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