第65話 物悲しい空席が埋まる時

「みなさ~ん、今日は新しく学校に来る生徒を紹介するわ。さ、入って入って~」

 数日後、円香さんがいつものホームルームにはない特別な用件を話し始めた。本来なら言葉の後に扉を開ける音が続くはずなのだが、扉は閉まったままで、不自然な静寂が一瞬この教室を支配する。

「ありゃ、やっぱり緊張してるのかな~。まあ、転入生ってわけじゃないんだけどね。みんなには先に少し説明してあると思うんだけど」

 間を繋ぐためなのか、円香さんはそう言いながら扉へと近づき始めたところで、ようやく扉が開かれた。入ってきた女の子は僕が知っている顔。クラスのみんなも事情を把握していたためか、彼女は静かに迎え入れられる。

「事情があって今までこの学校に来れなかったけど、今日から通うことになった秋坂 リシアちゃんよ。リシアちゃん、自己紹介簡単にぷり~ずっ」

 黒板に『秋坂 莉志亜』と書き終わった円香さんに促されたリシアちゃんは相当緊張しているのか、ぎこちない様子で「あ、秋坂 リシアです。よろしくお願いします……」とだけ言葉を発した。

「それじゃあリシアちゃんは一番奥の空いてる席に座ってね。今日はこれ以上特に連絡事項もないし、次の授業は私だから早めに始めて早めに切り上げましょうか」

 円香さんの声が響く中、僕の隣へと座るリシアちゃん。僕としては素直な表情を向けていたはずだけど、緊張から解放された故のほっとした表情のリシアちゃんは、僕の視線に気付いた途端鋭い視線を返してくる。僕の表情はあっという間に苦笑いの困り顔になってしまう。物悲しい空席は無くなり、僕が過ごす教室には一人の新しいクラスメイトが加わった。


            〇 〇 〇


 授業中。円香さんの声はホームルームの時と違い比較的淡々としている。僕はそんな円香さんの授業を聞きながらいつも通りノートをとっていたのだけれど、ふと書く文字を間違えた時に筆記用具から消しゴムを探しだした。しかしいくら探しても目当ての消しゴムは見つからない。水島家で宿題をこなしたりした後、しまい忘れて置いてきたのかもしれなかった。

 仕方がないので誰かに借りようと隣の翼を視界に入れる。翼は机に突っ伏したまま動かない。苦笑いと共に頬をかきつつ他をあたろうと思い直す。

 とはいえ今この状況で自然に借りられる人といえば反対側席の相手くらいだ。反対側の相手といえば……。

「…………」

 難しい顔をしながらも何とか授業についていこうと頭を抱えるリシアちゃん。僕が顔を自分の方に向けていることが視界の隅から確認出来たのか、こちらに目を合わせてくる。僕はリシアちゃんと彼女の机に置いてある消しゴムを交互に見て視線の合図を送りながら、小さく両手を合わせて頼み込んだ。

 リシアちゃんはしばらくして僕の意図を理解してくれたようだけど、その途端表情を険しくして、つーんとそっぽを向いてしまった。今の態度で確信しなければいけないと思う。この間起こった水島家の出来事で確実に誤解され、色々な偏見を持たれてしまったということを。

 結局リシアちゃんから借りることも諦め、小さくため息をつきながら途方に暮れていると――。

「ほら」

 机に突っ伏していた翼がいつの間にか少し顔を持ち上げ、僕の机の上に自分の消しゴムを置いてくれた。

「今日一日使ってくれてもいいからよ」

「っ、ありがとう……。でも、翼は……」

 さっきと同じく僕に聞こえるくらいの音量で言葉を続けた翼に対し、小さな声で答える僕。

「構わねえよ、どうせ真衛ほど真面目にノート取ってねえし。塗りつぶすなりなんなり、俺のノートは消しゴム無くてもなんとかなるんだ」

 僕は再び感謝の証として翼に小さく頭を下げると、リシアちゃんのことを少し気にかけながらも正面に向き直った。リシアちゃんが心を開いてくれるのは、この様子だとまだまだ先になりそうな気がする――。

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