第63話 精一杯の謝罪……雰囲気って大事

 リリムは今、この空気に必死で耐えてます。水島家玄関で対峙するのは紆余曲折あって和解したとはいえ、加害者と被害者なのです。普段は平和な私生活を送っているユズハさん達も、緊張を解くことは出来ないでしょう。空気が少しでもほぐれれば――。とりあえず、「にゃ~ん」と鳴いてみます。

「今日はこの間の件、改めてその謝罪に参りました。お嬢様の決心が固まらず、ここまで期間が長引いたことを、どうかご了承下さい」

 リリムの鳴き声が影響したかどうかはわかりませんが、セリアさんが再び口火を切りました。リリムはリシアさん達がこの家を訪ねてくることは知らされていましたけれど、日にちについては「お嬢様の決心が固まった日にお伺いします」と濁されていたのです。話し終えたセリアさんに優しく促され、今度はリシアさんが一歩前に出て、話し出します。

「あの、えっと……この前は、本当に悪かったと思ってるわ。その、ごめんなさい……」

 深々と頭を下げるリシアさん。その謝罪を受け取ったユズハさん達は眉をハの字にしたままそれぞれ顔を見合わせましたけど、次に前を向くときには緊張が解けないまでも、表情を柔らかくしていたようにリリムには見えました。おそらく次にユズハさん達から出てくる言葉はリリムにも大体予想がつきますが、ユズハさん達がその言葉を発する前にセリアさんがゆっくりと行動を起こしていたので、戸惑ったのでしょう。

「!」

「!?」

「っ……」

 セリアさんの意図を完全に理解した三人は、驚愕の表情を隠せなかったようです。リリムも驚きました。セリアさんは今立っていた場所で足を正しく折り曲げて座り、前に手をついてその手と膝の高さまで頭を深く下げたのですから……。

「っ、そこ、玄関の床……」

 震え気味な声でマミさんの本音が思わず漏れてしまったのも、致し方ないことなのかもしれません。

「謝罪の気持ちが伝わるのであれば、わたくしはお嬢様のために出来ることを精一杯やり遂げます。私のことなどお気になさらず。この気持ちを受け止めて頂けることが、私達二人、何よりの喜びです」

 セリアさんの様子を辛そうに瞳を揺らして見ていたリシアさんが同じように足を折り曲げようとしたのを、突然響き渡ったセリアさんの声が遮りました。

「どうか! どうかお嬢様にはっ! 私と同じ格好をご容赦頂けますようお願い申し上げますっ! どうか……」

 それを聞いたリシアさんは少しの間セリアさんとユズハさん達を交互に見ていましたが、やがて折り曲げかけた足を伸ばし、先程よりさらに深く頭を下げました。

「そ、そのっ、顔を上げてください……っ」

「そ、そうだよっ、ぼく達もう、そこまで気にしてないし……」

 言葉が途切れたことで今まで驚いていたユズハさん達も、ようやく言いかけた意図を伝えることが出来たようです。本当はもう少しゆったりした口調で話すつもりだったのではないかと、リリムは思います。

「謝罪は十分伝わりましたし嬉しいですけど、私達よりも謝るべき人がいると思います。今は奥にいますけど……」

 謝っている人が楽になる気を遣った一言を添えながら、このみさんが話を進めてくれました。リシアさん達の表情も、いくらか軽くなったようです。

「あの、呼んできましょうか……?」

「いいえ。あなた達が良ければ、こちらから出向かせてもらうわ。案内してくれる……?」

「うんうんっ。いつまでも玄関に座ってほしくないもんねっ」

 リリム自身も心がキリキリ痛むように重かった空気。そんな張り詰めた雰囲気が少しずつ緩む中、ユズハさん達に案内されていくリシアさん達。リリムは嬉しさを表すような一声を「にゃ~ん」と鳴いてから居間へと戻ります。マモルさんとの対話でも同じような会話になるでしょうし、きっともう、問題など起こらないでしょう――。


            〇 〇 〇


 正直期待を心の隅に持ってしまっていた。勿論謝罪の気持ちは本当だし、本来謝るべき立場の私がこんなことを思ってはいけないのだけど、それでもこれから謝る相手は、あの時頭を撫でて私を包み込んでくれた箕崎真衛。今のところは、私を見下すなんて様子は欠片も感じ取れないし、大きな勘違いしていたことが申し訳なくなるくらい。私は弱い心の持ち主で、箕崎真衛の態度が優しくなければ、ここに来る決心を固めるのがさらに長引いていただろう。

 あの後ヘタレ青年――山口さん? から箕崎真衛が辞めたことを聞かされた。今は山口さん側から最後のお願いを通しているからまだ残っているらしいけど、もうずっと続ける気は無いそうだ。私の訴えを受けたから……というのは、少々自惚れすぎているのだろうか。それにもう、箕崎真衛に辞めてほしいとまでは、いなくなってほしいとまでは思わなくなっている自分もいるのだけど。

 さて、どうやって謝ろう。あそこまでしてくれたセリアにまた話し始めさせるのは悪い気がする。相手も相手だから、やはりここは、私から行くべきか。しかし自分から切り出すとなると不安が押し寄せた。どうやって話し始めればいいのだろう。元々あんまり人と関わるのが得意な方じゃないし、スムーズに話せる気がしない。かといってセリアの見様見真似では不自然すぎる。

 そうだ、出会った直後に用件を一気に伝えてしまえばいい。これなら話が続かず最悪逃げだしてしまっても、最低限意図は汲み取ってもらえるのではないだろうか。最初の言葉は何がいいだろう。『あの時のこと、本当にごめんなさい!』。最小限で伝えるとなると、だいたいこんなところだろうか。後はセリアのフォローに頼ろうと思う。

「こちらです……」

 箕崎真衛のいる部屋の前までやってきた。再び先んじようとするセリアを私が止める。

「セリア、今回は私から行かせて」

「お嬢様、ですが……」

「箕崎真衛に勝手な思いをぶつけて危害を加えたのは本来私よ。セリアのように上手く話せないかもしれないけど、フォローしてくれると嬉しいわ」

 一度深呼吸してから緊張した面持ちで扉を見つめ、私は決意する。

「えっ……」

 誰かの声がしたが、決意した私は気にしている余裕がない。

「箕崎真衛っ! あ――」

 言いながら見た目の前の光景に私は固まってしまった。ベッドで箕崎真衛が仰向けになり、その上にほぼ半裸の女性が密着するようにのしかかっている。私が扉を開ける音に気付いた二人は顔をこちらに向け、目が合う。

「リ、リシアちゃん……」

 全く予期していなかった箕崎真衛の姿に、私は謝る気持ちとか、その後の言葉とかは一瞬全て白紙になり、思わず素で叫んでしまった。

「あっ、あんたたちなにやってるのよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーーっっ!!??」


            〇 〇 〇


「扉、ノックしなかったもんね……」

 真実のそんなつぶやきが聞こえた僕の部屋。今の僕にはリシアちゃんの言葉をただ受け止めることしかできない。

「い、いか、いかがわしいわよそんな密着してっ!! こんな真昼間からイチャイチャするなんてっ!!」

「随分騒がしいお客さんね~箕崎君っ」

「円香さん、この状況見られたら仕方ないですよ……」

「上にのしかかってるあなた、今円香って言われたかしら!? い、異性の前でそんな恥じらいの無い格好して……」

「いーでしょ。この部屋は住んでいる私達のプライベート空間なの。そこにノックもせずに入って来られたらどうしようもないわ」

「くっ……」

 言い返せず押し黙るリシアちゃんを助ける意味もこめて、僕もリシアちゃんに話しかけた。

「ご、ごめんねリシアちゃん。それで、何か僕達に用事なのかな……?」

「っっ……」

 問いかけられたリシアちゃんは視線をせわしなく動かしてしばらく言葉を選んでいたようだったけど……。

「みっ、見損なったわ箕崎真衛っ! 変態っ! スケベっ! 童顔っ! 女顔っ!女装癖っ!」

 果たして本当にそれが話したかったことなのだろうか、たくさんの言いがかりをつけられた。一部僕の今見た印象も入っているのかもしれない……。

「帰るわよセリアっ! こんな不純なところにいられないわっ!」

「っ……そ、その、失礼します……」

 僕が前に見たことのあるセリアと呼ばれたメイドさんは遠くなっていくリシアちゃんを急いで追いかける。

「謝る雰囲気じゃ、無くなっちゃったもんね……」

 再び真実のつぶやき、ため息をつくこのみちゃん、苦笑いのゆずはさん。僕はいまいち状況を把握出来ないままだけど、小柄な来訪者は嵐のように去っていった――。

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