第58話 やっぱり平穏無事では終わらなかった

「結構色々な場所を紹介してもらいましたけど、基本部屋との往復になるわけですし、わざわざあまり僕に縁のないところまで……。もちろん、紹介してくれるのは嬉しいんですけど……」

 ルリトちゃんと別れ水島家に帰るため和葉さんに玄関まで案内されている途中、僕は思っていた疑問を投げかけている。

「あら? 随分冷たいことをおっしゃいますね。普段仲良くして頂いている水島家の皆様とご友人の箕崎様に、ある程度屋敷内を歩けるほどの関係を築こうと思っておりましたのに」

「っ、そうなんですか?」

「ええ。皆さんよく遊びにいらっしゃいますよ?」

 ゆずはさん達がここへ遊びに来る関係とは初耳だった。帰ったら少し話題に出してみるのもいいかもしれない。そんなことを気楽に考えながら僕は歩いていたのだ。だってこのまま何事もなく、平和な雰囲気でこのお屋敷を出られると思っていたから――。

「ところで箕崎様、少し前に倒れるお嬢様を助けて頂いたことがあるとか……」

「っ……」

 少し思考して辿り着く。ルリトちゃんが通っている学園でのことかなと。

「あ、えっと、雅坂学園でのことですか……?」

「はい。その節はありがとうございました。私からもお礼を申し上げたいと思いまして」

「い、いえ、そんな……」

「ただ――お嬢様のデリケートな部分に触れたことも事実だと、こちらでは認識しているのですが……」

「え……」

 確かにあの一件を知っているのなら、和葉さんとしても触れなければならないことだったのかもしれない。一瞬戸惑った後すぐに謝ろうと思った僕を、和葉さんの言葉が遮った。

「いえ気にしないでください、お嬢様を助けるため、故意ではないとも把握しております。しかしいくら故意でないとはいえ、お嬢様に粗相を働いたこともまた事実……。完全に無罪放免という訳にはまいりませんわ。相応の責任を取ってもらいませんと」

「せ、せきにん……ですか?」

「はい。そこで、箕崎様にお願いがあるのです」

「……?」

 いったいどんなお願いだろうか。弱みともいえる迷惑をかけてしまった訳だし、大抵のお願いは快く受け入れようとおも――

「ゆくゆくは、お嬢様に赤ちゃんを宿して頂ければと」

「!!?!?」

 にっこりした笑顔で和葉さんは自然に、ナチュラルに、噛まずにのたまった。お願いが自分の考えている範囲に納まるというのはやはり珍しいことなのだろうか……。

「そ、それって、け、け――」

「結婚する前でも赤ちゃんを宿すこと自体は出来ますが、まあ順当に行きますとお嬢様にはバージンロードを歩いて頂くことになるかもしれませんわ。お嬢様の性格上、次世代候補に困窮しそうですし……」

「っ、え、えっと、僕まだルリトちゃんとは初対面に近くて、それにルリトちゃんの意思とか……ルリトちゃんはこのことを知っているんですか?」

「お嬢様はまだこのことをご存知でありません。お嬢様を辱めて恥ずかしがるそのお姿を眺めるつもりでしたら、どうぞ箕崎様の方からお伝えください」

 まるでそういう趣味があるかのように言わないでほしい。少なくとも自分からわざと原因を作る趣味なんてない。

「それに私はゆくゆくと話したはずですよ? あくまでお嬢様のご意思が尊重されなければいけませんわ。つまりお嬢様の抵抗感が無くなるようにこれからの関係を進展させてほしいということです。箕崎様の抵抗感についてはお嬢様の神聖なお尻に触れられて良かったと、実は触りたかったと思っていらっしゃるでしょうし、考慮しなくてもいいですよね?」

「っ、ぼ、僕はその、別に触りたくて触ったわけじゃ……」

「えっ!? このメイド長たる私ですら触れることの怖れ多いお嬢様のお尻を触るのが嫌だったと言うんですか? 箕崎様はお嬢様のお尻をただの汚らしい部分だと、出来れば触れたくなくて不本意に触れてしまったら早急に手を洗いたくなる場所だと、そうおっしゃるんですか!?」

「い、いえ、決してそんなことは……」

「な~んだやっぱり撫でまわしたくて揉みしだきたくて仕方なかったんじゃないですか~。お嬢様が恥じらいつつ丁寧に抵抗する反応を楽しみたいだなんて、えっちでドスケベなむっつりさんですね~箕崎様はっ」

 ひどい。涙目になりそうである。もう他人から見ればなってるかもしれない。どうしてそんな極端な捉え方しかしてくれないのだろう。

「箕崎様がそのお気持ちならもちろんこの件を了承してくれますよね?」

「え、えっと、すぐには決められないというか……か、考えておきます……」

 ルリトちゃんと関わるのはともかく結婚云々については今のところほとんど首を縦に振る気が存在しないけど、これだけ期待を表しながら頼まれてはきっぱりと断りづらい。もしかしたらあるかもしれない未来の可能性としておこう。

「曖昧な返答ですね。まあこの件を了承しない限り箕崎様の弱みは消えないので今はその答えで満足しておきましょう。今日は初日なので少々猫をかぶらせてもらいましたけど、二日目からは覚悟してくださいな。箕崎様は弱みを握られているという自覚を、ゆめゆめお忘れなきよう。うふふふふっ」

 ルリトちゃんの部屋でのやり取りで、余興と発言したあの時に、片鱗を感じ取るべきだったのだ。物腰は丁寧だけど、和葉さんはたぶんどちらかといえば、円香さんよりの人なのかもしれない。これからの穏やかな時間が脅かされ、意気消沈しながら肩を落としつつ和葉さんの後をついていく――。

「っ……?」

 通路を右に曲がろうとした時だった。正面に見える奥まで伸びた通路に、一人の女性が床まで届く窓に手を当てて、そこから差し込む日の光を浴びていたのだ。刺繍の入った真っ白に近いドレス状のワンピースを着こなし、寂しげな表情を窓に向けている。美しさの中に今にも壊れてしまいそうな儚さを併せ持った、そんな印象の女性だった――。

「どうかなさいましたか……?」

 僕がついてこないことに気付いた和葉さんが足を止める。

「あ、えっと……」

 和葉さんに向けた顔をもう一度戻したら、すでに女性の姿は消えていた。すぐ側に左右へと別れる通路があったから、移動したのかもしれない。

「いえ、なんでもありません……」

「……そうですか」

 和葉さんはそれだけ言うと再び歩き出す。僕にとっては決して平穏無事と言えなかったし、この先主に和葉さん関連での不安が残るけど、何とかルリトちゃんのお屋敷での一日目が終了した。


            〇 〇 〇


「えええっ!? お兄ちゃんとルリトちゃんがけっこんっ!?」

 水島家に帰った途端早速僕の行き先について話題となった。ゆずはさん達が今日の出来事について尋ねてきたのだ。円香さんも居間で雑誌を読んでいる。とりあえず生徒が藍方院家のルリトちゃんというとこから一番印象に残ったことまで話したわけだけれど……。

「真衛君どういうことっ!? その話頷いたのっ!?」

「この家からも、いなくなってしまうのですか……?」

 このみちゃんが強めな剣幕で僕の眼前に差し迫ってきたので、座った状態の僕はゆずはさんの不安げな表情を視界に入れながらも両手を前に出して少し後ずさりしつつ事情説明。

「ル、ルリトちゃんとはまだ会ったばかりだし、ルリトちゃん自身もまだ知らないことみたいだから頷いてないよ……。今すぐって訳じゃなくて、これから関係を深めてくださいねって話みたいだったし……」

「で、でも私達と違って勉強してる時はふ、二人っきりってことでしょ!? ルリトちゃんのことだから大丈夫だとは思うけど、雰囲気とか可能性として何の間違いが起こるか……」 

「う、ううん、話を持ってきた和葉さんっていうメイド長さんもずっと一緒にいたよ……?」

 このみちゃんの怪しむ目はまだ戻らないけど何とか追及の勢いは緩んだみたいだ。

「そのインパクトには敵わなかったけど、僕としてはゆずはさん達が遊びに行ってることにも驚いたかな……」

「にゃはは……学園にいた時のきょうぐうが似てたから、自然とね……」

 苦笑いをしながら仲良くなったきっかけを述べる真実。境遇というのはたぶん、抱きしめられたりするあのことだろう。僕は雅坂学園で実際にその光景を見ていたからすぐに納得した。

「授業内容は? ぼく達と同じ?」

「えっと――」

「箕崎君ストップ。それ以上は流石に話さない方がいいんじゃない?」

 突然響く円香さんの声。円香さんは僕に目線を向けず、雑誌に目を落としたまま言葉だけを僕に投げかけている。

「円香さん……」

「たとえ仲良しでも尋ねられても悪気が無くても、あまりそういった情報を漏らさないほうがいいわ。この前と違って今回はちゃんとした依頼で報酬も出るんでしょ? 情報の秘匿も、その中に含まれてるんじゃないかな。というわけで真実ちゃん達も気になるだろうけど、あまり根掘り葉掘り訊かないでもらえると箕崎君も困らないと思うよ?」

「そ、そうですね……」

 僕の言葉と共に真実やこのみちゃんも質問をやめたので、誰も話さないちょっぴり重い空気が漂うようになっていた。

「もう、そんなに思いつめないの。私達大人の言葉をすぐ必要以上の否定にとらえちゃうんだから。その他のことまで遠慮する必要ないのよ? あなた達はまだ未熟でいることが出来るんだし、それが私達には無い魅力にも繋がってる。偉そうに言ったけど、私達も完璧なわけじゃないわ。わかってくれたなら、いつも通りにしてて全然問題ないのよ。個人的な箕崎君の結婚話については私も興味あるからもうちょっと詳しく訊きたいし。何よりこのみちゃんがまだまだ気になって気になって仕方ないみたいだよ箕崎君?」

「っ、わ、私は結婚とかまだ早すぎる年齢っていうか、その……姉さん達と同じで純粋な同じ家に住む人としてこの家にいてほしいと思っただけですっ! 真衛君っ? よく考えたら話を持ってきた人が傍についてたって全然抑止力になってない気がするんだけどっ。もう一度訊くけど、本当に何にもないんだよね?」

 円香さんに話を蒸し返され再び厳しくなったこのみちゃんの追及を必死になだめる僕。水島家のそんな夜が、また一日過ぎようとしていた――。

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